
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/名越 美千代・本誌編集部
今年の夏から一時的に閉館されていた、デザイン・ミュージアム。
東ロンドンからケンジントンの新施設への引っ越しが完了し、11月24日から再び一般に公開される。
新ミュージアムでは、展示フロアの面積がこれまでの3倍になり、特別展示スペースやカフェなどの付属施設も充実。
「再オープン」というよりも、これまでのものとはまったく異なる、「新しいミュージアムの誕生」と言えるだろう。
今号では、ミュージアムに隣接するホランドパークと合わせて、ご紹介したい。
現代デザイン界を牽引するミュージアム

ロンドンの美術館や博物館はかなり充実しているため、ロンドン観光の楽しみのひとつに「美術館巡り」を挙げる人は多いだろう。そんなアートな街でも、1989年に新たにデザイン・ミュージアムができた時には、世界で初めてのモダン・デザインを専門とするミュージアムとして、他の美術館とは異なる画期的なコンセプトが話題となったという。
デザイン・ミュージアムが収集するのは、貴重な芸術作品ではなく、いわゆる「産業デザイン」と呼ばれるものたちだ。工業や産業プロダクト、乗り物、建築、ファッション、グラフィックなど、 ありとあらゆる分野の20世紀以降のデザインが集められている。また、完成品のみならず、デザインを考える過程を示すもの、デザインする際に使う道具、下書き、模型、試作品なども合わせて収集し、展示してきた。
工業技術や製造技術は日々、すさまじい速さで進化しており、昨日まで最新とされたものがあっという間に過去のものとなってしまう。現代世界を作り上げるデザインの数々は重要な記録でもあり、このスピード社会の中では「残そう」と意識していないと、それらはすぐに失われる。日常的に目にするレベルのものから特別感のあるものまで、デザインとはいったい何なのかを、デザインの専門家のみならず、一般の人々にも伝えることを目的とする場所。デザインの世界と一般社会に影響を与えたり、革新や試みをもたらしたりしたものを収集し、記録として残すという使命を担うのが、このデザイン・ミュージアムだ。
コンラン卿の熱意とバナナ貯蔵庫

デザイン・ミュージアムを設立し、情熱を持って育ててきたのは、英国の大御所インテリア・デザイナー、テレンス・コンラン卿だ。 コンラン卿は、モダンでスタイリッシュなインテリアを一般へ普及させようと、1964年にライフスタイル・ショップの「ハビタ(Habitat)」をつくった人物。ほかにも、「コンラン・ショップ(The Conran Shop)」や多くの有名レストランを手がけた実業家でもある。洗練されたデザインの追求とビジネスの成功を両立させてきたコンラン卿は、産業デザインの認知度を高めようと、1980年にコンラン財団を設立。翌年の1981年に、 デザイナーやデザインを学ぶ人々、そして一般の人々に産業デザインをより知ってもらうおうと、「ボイラーハウス・プロジェクト(The Boilerhouse Project)」という、デザイン・ミュージアムの前身にあたるギャラリーを、ヴィクトリア&アルバート美術館の地下に建設したのだった。
この「ボイラーハウス・プロジェクト」は、1986年に終了。しかし、コンラン卿はタワー・ブリッジ近くのシャド・テムズ地区の再開発計画に参加し、その一環としてテムズ河南岸に「ボイラーハウス・プロジェクト」の流れを汲んだミュージアムを設立することを決めた。1940年代のバナナ貯蔵倉庫を改築し、1989年にデザイン・ミュージアムがオープン。以来、今年6月末に閉館するまで、年間20万人もの入場者が訪れていたという。
スペースを求めて移転
2011年、スペースの狭さの問題から、コンラン卿はミュージアムを西ロンドンのケンジントン・ハイストリートに面したコモンウェルス・インスティチュート(英連邦協会)の跡地へ、2016年に移転させることを決断した。この建物は、1962年に建てられた「20世紀のモダニズムの象徴」とも言えるデザインで、歴史的建造物として「グレードII」に指定されている。2002年にコモンウェルス・インスティチュートが解散してからは10年以上、放置されたままだったが、内装を一新させ、新デザイン・ミュージアムとして生まれ変わった。ただし、緩いカーブを描く特徴的なピラミッド型の屋根は、以前のまま残されている。ちなみに、リニューアルに費やした金額は、なんと8300万ポンド(100億円超)という。
新ミュージアムの内部面積は9480平方メートルで、旧ミュージアムの3倍以上も広くなったのが、移転の大きなメリット。常設展示コーナーのほかに、特別展示スペースが2つあり、ここでは年に4~6回の特別展の開催を予定している。旧ミュージアムでは、手狭な展示スペースに対して入場料が10ポンドと割高な印象だったが、新ミュージアムでは特別展のみが有料で、常設展示は無料となる。加えて、この規模と便利な立地で、年間50万人以上の来館者数を見込んでいるとされている。
新ミュージアムについてコンラン卿は、「私の長いデザインにおけるキャリアの中でも、デザイン・ミュージアムのケンジントンへの移転は最も重要な出来事だ。これで、このミュージアムへの私たちの夢と希望が現実のものとなる。英国のデザインと建築力をさらに高めることができる、世界でも第一級のスペースが生まれることになる」と語っている。
充実した展示と新たな試み
入場無料の常設展示コーナーは「Designer Maker User」と名付けられている。デザイナーと作り手、そして消費者という役割のはっきりした3者が、ときにつながり合い、また融合することで、世界のあらゆるプロダクトが生み出されているという観点から、ミュージアムのコレクションを使ってモダン・デザインの物語を紡ぐのだという。例えば、コレクションの中には1946年に作られたイタリアのピアッジオ社のスクーター「ヴェスパ・クラブマン」があるのだが、そのデザインだけに注目するのではなく、それが使われていた時代や、そこに生きていた人々など、プロダクトの背景に幾層にも重なる要素も盛り込んだ展示を実現するという。
新ミュージアムは、英国の秀でたデザイン技術を世界に示し、次世代のデザインの才能を育むクリエイティブ・センターを目指している。そのため、ワークショップやセミナーにも使える教育・研究用のスペース、デザイナーの仕事場として提供されるスペース、文献や記録文書の保存スペース、194席を備えるホールなども併設されている。
さらに、レストランやカフェに加え、ミュージアム会員の専用ラウンジも用意。ミュージアム・ショップは移転前もセンスの良いステーショナリーや小物が人気だったが、新ミュージアムにもクールな品揃えのショップが2店舗できる予定だ。
また、一般の人々を巻き込む画期的な試みとして、移転準備期間中に、世界で人気がある身近な消費者向けプロダクトをウェブサイトで募集した。選ばれた476点は、ギャラリー入口付近の壁に展示されるとのこと。
私たちは、家の中、職場など生活のあらゆる場面で常に物に囲まれている。合理的で使いやすい物、デザイン重視の物、装飾的な物。毎日使う物、たまに使う物、まったく使わない物。それぞれが、人や生活となんらかのつながりがある。展示を見るうちに、デザインの歴史だけでなく自分の人生も振り返ってしまいそうだ。友人や家族と行けば、懐かしいプロダクトに出会って、思い出話にも花が咲くかもしれない。
新デザイン・ミュージアムの内装、 どうかわった?

地上3階建ての吹き抜け構造が特徴だった、旧コモンウェルス・インスティチュートの建物。地上階の中央に円形の踊り場を設け、階段で各所を繋いでいた。新ミュージアムでは、この踊り場を撤去。内装も白色で統一し、明るい雰囲気になっている。
森林に建てられた貴族の大邸宅

さて、新デザイン・ミュージアムを堪能したあとは、ミュージアムの北側に隣接する公園、ホランドパークを散策しよう。ホランドパークはロンドン中心部よりやや西寄りにあり、ハイドパークやリージェントパークといった中心部の公園に比べてのんびりした印象がある。観光客の姿も見受けられるが、のんびりと散策したり、ベンチや芝生でくつろいでいたりする人の多くが、地元で暮らす人々のようだ。このあたりはロンドンでも由緒ある高級住宅地であり、ホランドパークにも英国らしい品格のある雰囲気が漂っている。
かつては、ホランドパーク界隈は500エーカー(約2平方キロメートル)もの鬱蒼とした森林であった。現在のホランドパーク・アヴェニューから地下鉄のアールズ・コート駅のあたりまで、深い緑が南北に広がっていて、当時では珍しいエキゾチックな木も見られたという。この森林の中に、ウォルター・コープ卿という16世紀の貴族が大邸宅を建てたのが、現在のホランドパークの原型だ。コープ卿は英国王ジェームズ1世に仕え、晩年には大蔵大臣の地位を与えられた人物である。彼の名をとって「コープ・キャッスル」と呼ばれた自慢の大邸宅に、ジェームズ1世と王妃を何度も招き、もてなしたと伝えられている。
コープ・キャッスルには、コープ卿が亡くなったのちも、残された妻のドロシーが再婚するまで住み続け、その後は娘のイザベルが受け継いだ。イザベルの夫となったヘンリー・リッチもジェームズ1世のお気に入りで、1624年に初代ホランド伯爵の爵位を与えられたため、コープ・キャッスルは「ホランドハウス」と呼び名が変わることとなった。

夏は野外オペラの会場となる。1625年にチャールズ1世が王位を継承したのち、イングランドでは清教徒革命が勃発。数々の反乱や暴動でイングランド内が大きく揺れた結果、チャールズ1世は1649年に処刑された。そして初代ホランド伯爵も同年、議会派から王党派に鞍替えした裏切り者として、国王と同じ運命をたどる。ホランドハウスは議会派に没収されて、内戦が終結するまでは議会軍の司令部として使用された。清教徒革命の中心人物で議会派のリーダーであるオリヴァー・クロムウェルもしばしば、ホランドハウスを訪れていたという。また、初代ホランド伯爵の亡霊が、切り落とされた自身の頭部を腕に抱えてさまよう姿を見たという、怪談話も当時はあったと伝えられる。
ホランドハウスは1655年に第2代ホランド伯爵に返却され、以降はホランド一族や、一族とゆかりのあった貴族らに代々引き継がれていった。喘息を患った国王ウィリアム3世が療養のために滞在したり、自由党(現自由民主党)の前身にあたるホウィッグ党の有力者一族(ホランド男爵家)が住んだり、20世紀に入ってからは王立園芸協会のフラワーショーの会場になったりと、この大邸宅が華やかな貴族社会の歴史の一角を占めていたことは間違いない。とくに第3代ホランド男爵の時代には、バイロンやディケンズ、ディズレーリら文学界・政財界の著名人がホランドハウスに足を運んでいる。上流階級の紳士淑女たちが大勢集い、賑やかに過ごす様子が描かれた壁画が、ホランドハウスの遺構の回廊に設置されているので、公園を訪れた際にはぜひ現在の風景と見比べていただきたい。
時代は移り変わり1940年9月、第二次世界大戦中に起きたドイツ軍の空爆によって、残念ながらホランドハウスの多くの部分は失われてしまう。焼け落ちたままになっていたホランドハウスは、1952年にロンドン市によって買い取られ、現在はケンジントン&チェルシー地区が所有・管理を行っている。
ホランドパーク内の高級レストラン
「ベルヴェデーレ」


17世紀にホランドハウスの夏季舞踊室だった建物を利用したレストラン「Belvedere」。外観はジャコビアン・スタイルだが、内装はロンドン市内の高級レストランやバーの数々をデザインしたことで知られたインテリア・デザイナー、故デヴィッド・コリンズ氏が手がけており、リッチでキッチュなモダン・スタイルだ。高い天井から床まで垂れ下がるカーテン、中東風のランプ。ある壁には鏡が、別の壁にはアンディ・ウォーホルの作品が一面に飾られていたり、ダミアン・ハーストによる蝶を散りばめた作品が展示されていたりと、内装は好みが分かれるかもしれないが、高さを活かした大きな窓の外に広がるホランドパークの木々の緑はとても美しい。
サービスは古風で、メニューはフレンチ寄りのモダン・ヨーロピアン。公園の景色が楽しめる時間帯のランチ・セットメニュー(2コース£17.95、3コース£21.95)がお得だろう。
Belvedere RestaurantOff Abbotsbury Road, In Holland Park, London W8 6LU
http://belvedererestaurant.co.uk
多種多様に楽しめる公園

ホランドハウス周辺の土地は、歴代の所有者たちが手放したために住宅地として開発されていったが、それでも、公園としてのホランドパークの敷地面積は54エーカー(約2万2千平方メートル、東京ドームの約4・7個分)も残っている。
南北に縦に伸びる公園の北半分の部分には、野生の森のように木が生い茂っており、一年中、森林散歩が楽しめる。リスやクジャクにも会えるし、点在する屋外アートや第3代ホランド男爵の彫像などを眺めることもできる。公園内にはエコロジー・センターもあって、自然や環境保護について学ぶアクティビティも行われている。 加えて、新デザイン・ミュージアムのある南側にはスポーツグラウンドが広がり、サッカーやクリケットなどに利用され、テニスコートも設置されている。

ところで、ホランドハウスが建っていたのは公園の東側。焼失を免れた部分は、保存されるべき歴史的建造物として「グレードI」の指定を受けている。ホランドパークは、毎年夏に野外オペラやクラシック・コンサートが開かれることでも知られているが、ちょうどホランドハウスの建物中央の正面部分が舞台の背景になるように会場が設営されるのが特徴。通常の野外会場とは異なった格調ある雰囲気は、人気のオペラにさらに趣を添えている。また、建物の東側部分は改装されて、格安ホステル(旧ユース・ホステル)のひとつとして利用されているのも興味深い。
公園の西側には、噴水や彫刻を配したオランダ式庭園がしつらえられている。広々として、花壇の手入れも常に行き届いており、四季折々の花に彩られる。ベンチに座ってのんびりするにはもってこいの場所だ。巨大なチェスセットで遊べるスペースや小規模だがバラ園もあり、ちょこちょこと小さな発見があるだろう。アーチ型の回廊を改装したカフェ、子ども用のプレイグラウンド、公衆トイレなどもこの一画にあり、家族での出かけ先としても使いやすくなっている。
日本の技術で作られた京都庭園

そして、日本人として特に見逃せないのが京都庭園だ。
1992年にロンドンで開催されたジャパン・フェスティバルを記念して、京都の造園技術の粋を集めて作られた日本庭園である。錦鯉の泳ぐ、約600平方メートルの池を中心に、滝や石造りの八つ橋、小さな玉石を敷き詰めた州浜、自然石を使った飛び石や庭石、草木、乱杭などが配されている。三段に流れ落ちる滝は深山幽谷を、池は広大な海の風景を現し、日本の雄大な自然景観を表現しているという。また、石灯篭、手水鉢、ししおどしも設置され、伝統的な池泉回遊式の日本庭園となっている。
毎年、端午の節句(5月5日)の時期には鯉のぼりも掲げられ、英国にいながらにして日本の風物詩を楽しめる場所でもある。2014年にはウィリアム王子夫妻の長男ジョージ王子の初節句を祝して、日本鯉のぼり協会が英王室に鯉のぼりを寄贈。その鯉のぼりも、ここでお披露目されている。
さらに、2012年5月には東日本大震災の復興祈念のため、天皇皇后両陛下の訪英を機に、京都庭園の囲いの中に「福島庭園」も増設された。天皇皇后両陛下が仲むつまじく橋を渡り、池を悠々と泳ぐ錦鯉を覗き込まれていたお姿は、記憶に新しいだろう。
天気の良い日を選んで、ぜひ一度、新デザイン・ミュージアムとホランドパーク散策をゆっくりと楽しんでいただきたい。
ホランドパークMAP
Travel Information ※2016年11月15日現在
The Design Museum
224-238 Kensington High Street, London W8 6AG
http://designmuseum.org
開館時間:10:00~18:00(無休)
最寄駅:地下鉄ハイストリート・ケンジントン駅

Holland Park
Ilchester Place, London W8 6LU
最寄駅:地下鉄ハイストリート・ケンジントン駅、地下鉄ホランドパーク駅
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週刊ジャーニー (2016年11月17日)掲載