ナチスの暗号を解読せよ!
諜報基地ブレッチリー・パークを征く
■天才数学者アラン・チューリングの人生を描いた映画『イミテーション・ゲーム』(2014年/ベネディクト・ カンバーバッチ主演)の舞台となったブレッチリー・パーク。第二次世界大戦時の英国で、ドイツ軍が用いた暗号機 「エニグマ」に挑むべく頭脳集団がこの地に集結した。現在、暗号解読に関する博物館となっている、この「ブレッ チリー・パーク」を、今回は征くことにしたい。
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部
ナチス・ドイツがポーランドへと侵攻した1939年9月から1945年まで、約6年間続いた第二次世界大戦。もし も「ブレッチリー・パーク(Bletchley Park)」での、昼夜を問わぬ人々の奮闘がなければ、大戦は8年にも、10年に もおよび、より多くの人命が無残に散っていたかもしれない。
そう称えられる場所であるにもかかわらず、終戦から約30年もの間、人々の功績は秘されていた。その理由は、ここが 戦時下において、最高機密として扱われていた諜報基地だったからにほかならない。この「秘密」の場所を目指し、 取材班はユーストン駅から列車に乗った。
およそ40分でバッキンガムシャーの小さな町、ブレッチリーの駅に到着。駅から目と鼻の先にある今回の目的地ブレッ チリー・パークは、現在、暗号解読に関する博物館として一般公開されている。入館口となるビジター・センターをは じめ、敷地内に連なるブロック型の棟やプレハブ小屋の一部、そして19世紀に建てられた邸宅を中心に展示が行われて いる。
取材班が訪れた日には、社会科見学に来ていた小学生らの声が響き、穏やかな空気が漂っていた。戦時中には公けに 知られてはならなかった場所が、今では来場者を歓迎する場所に変化していることを考えると少し不思議な気持ちにな るのは、筆者だけではないだろう。約70年前にはどのような光景が広がっていたのか―。博物館へと進む前に、まずは、 第二次世界大戦前にさかのぼり、その様子を探ってみたい。
そう称えられる場所であるにもかかわらず、終戦から約30年もの間、人々の功績は秘されていた。その理由は、ここが 戦時下において、最高機密として扱われていた諜報基地だったからにほかならない。この「秘密」の場所を目指し、 取材班はユーストン駅から列車に乗った。
およそ40分でバッキンガムシャーの小さな町、ブレッチリーの駅に到着。駅から目と鼻の先にある今回の目的地ブレッ チリー・パークは、現在、暗号解読に関する博物館として一般公開されている。入館口となるビジター・センターをは じめ、敷地内に連なるブロック型の棟やプレハブ小屋の一部、そして19世紀に建てられた邸宅を中心に展示が行われて いる。
取材班が訪れた日には、社会科見学に来ていた小学生らの声が響き、穏やかな空気が漂っていた。戦時中には公けに 知られてはならなかった場所が、今では来場者を歓迎する場所に変化していることを考えると少し不思議な気持ちにな るのは、筆者だけではないだろう。約70年前にはどのような光景が広がっていたのか―。博物館へと進む前に、まずは、 第二次世界大戦前にさかのぼり、その様子を探ってみたい。
リドリー隊長の狩猟団
ブレッチリー・パークには多くの建物が立ち並んでいるが、戦前は、チューダー様式、ゴシック様式の折衷スタイル が特徴的な邸宅(マンション)と庭園が広がり、地元の政治家夫妻が静かに暮らしていた。この屋敷が慌しくなるのは、政治家夫妻の亡き後、子供たちがこの地を手放してから1年ほどが過ぎた、1938年 9月。ヒトラーの強引な要求に対し、各国の宥和政策が際立ったミュンヘン会談が行われていたころのことだ。
ウィリアム・リドリーと呼ばれる人物を中心とする狩猟団が、ロンドンからブレッチリー・パークを訪れていた。 「リドリー隊長の狩猟団」と名づけられた一行は、ロンドンのサヴォイ・ホテルきってのシェフを同行させ、ぜいたく な食事に舌鼓を打っていた。近隣の住民は、「どんな集団が来たのか」と井戸端会議に花を咲かせたに違いない。
しかし、「狩猟団」とは表向きの顔。実は、この邸宅と一帯は英国秘密情報部(MI6)によって購入されていた。 目的は、「ステーションX」(Xは10を意味するローマ数字)を開設すること。それはつまり、諜報活動の一翼を担う 政府暗号学校(The Government Code and Cypher School: GC&CS)を置くことだった。
現在の政府通信本部(Government Communications Headquarters: GCHQ)の前身となるこの組織は、「学校」の名 が付けられているものの、実際には空軍と海軍のそれぞれの暗号解読チームを統括する形で、第一次世界大戦後に平時 体制として組織された。ロンドンを拠点とし、ロシア、イタリア、米国、フランス、ドイツなどで使われる暗号の解読 に取り組んでいたが、万が一の避難先としてステーションXが用意されたのだった。
なぜこの町が選ばれたのかは、地図を開いてみると容易に納得できる。ロンドンから比較的近いだけでなく、東に ケンブリッジ、西にはオックスフォードの街があり、優れた専門家を招集するにはうってつけの立地。刻一刻と迫る戦 争に向け、ロンドンの政府官庁街への直通電話が引かれたほか、水道、電気といった生活環境の充実が図られるなど、 準備が進められた。
一方、人材を集めることも重要な案件のひとつだった。これまで政府暗号学校では、すでに所属しているメンバーの 伝を頼りに限定的に探していたが、開戦が現実味を帯びてくると、暗号学校の上層部は主要大学を回り、言語学者、古 典学者、数学者をスカウト。チェスの名手やクロスワードの達人なども対象に募集がかけられた。増える人員を見越 し、パーク内にはプレハブ小屋(Hut)が続々と建てられた。
そして、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、戦いの火蓋が切られたころ、急ピッチで戦時体制が敷かれつつあっ たステーションXでも必死の戦いが始まった。
開戦から70年となった2009年、ゴードン・ブラウン首相(当時)がチューリングに対する公式の謝罪声明文を発表し、名誉が回復した。チューリングの人生は、2014年の映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(The Imitation Game)で英俳優ベネディクト・カンバーバッチが好演している=同上。
ポーランドから送られた解読の足がかり
施設内では、大戦時に建てられたプレハブ小屋(Hut)の一部が修復され、見所のひとつとなっている。c ShaunArmstrong/mubsta.com
ステーションXの役割は、枢軸国、主にナチスの暗号を解読すること。
ドイツは数多くの暗号やコードを使用しており、それらはモールス信号で送られていた。最前線にいる陸・海・空軍のほか、国内の司令部で交わされるやりとりを英通信部が傍受 し、これが暗号解読チームへと渡された。
数ある暗号の中でも最も難解として有名なものが、ドイツ語で「謎」を意味する暗号機「エニグマ(Enigma)」によるものだ。このエニグマは、タイプライターのような形状をし ており、初期設定を施したあと、キーボードを打つと暗号文が作られる仕組みとなっている。復号(暗号を元に戻すこと) の場合も同様で、同じ設定キーのもと、暗号文をキーボードに打つことでメッセージを読むことができる。暗号解読とは、つまり、この初期設定を見つけ出すことにあった。
大戦以前、英国でこの暗号機に取り組んでいたのは、古典学者のディリー・ノックス、ただ一人だった。ノックスは、第二次世界大戦の前哨戦ともされるスペイン内戦の際、ドイツ軍が同盟国に与えていた初期モデルのエニグマの解読に成功した人物。エニグマ解読は彼に託されていたが、1938年の終わりごろ、ドイツがこの暗号機をより複雑に進 化させており、ノックスは頭を抱えていた。転機となったのは開戦直前にもたらされた、ポーランドからの知らせだった。同国ではすでにエニグマの解読に成功し、その方法を確立しようとしていた。ところが、ドイツが暗号を強化したことや、ドイツの脅威が間近に迫っていたことから、英国とフランスに助けを求めるべく、これまでに知り得た情報を公開。解読の手段、さらには暗号機のレプ リカが提供された。一気に勢いづくエニグマ解読チームに必要なのはノックスをサポートする新しい人材。ここに天才数学者のアラン・チューリングら数人が加わった。
エニグマを解読せよ!
ノックス率いるチームでは、ポーランドで採用されていた手法に倣い、ペンを片手に専用の用紙に向かって地道な作業が進められた。そして年が明けたころ、初めて解読に成功した。大きな第一歩だが、彼らを苦しめたのは、ドイツが暗号化と復号に必要な設定キーを毎日変更したこと。加えて、159000000000000000000(0が 18個!)通りという天文学的な数の設定キーの組み合わせ。たとえ運よく暗号を解読できたとしても、次の日には同じ作業を繰り返さなければならず、人手を使ってしらみ潰しに探すには限界があったのだ。さらには、エニグマの度重なる改良やオペレーション・システムの変更を前に、手も足もでない時期もあった。解読者たちは、1日の作業を終え宿 舎に戻っても、食事中も、暖炉の前に座っているときも、横になっているときでさえ、解読方法について取り憑かれたように思考をめぐらせた。この状況を目の当たりにしていたチューリングが頼りとしたのは、人間の頭脳ではなく機械だった。「機械の言語を理解できるのは、機械でしかない」。こう考えたチューリングは、ポーランドで使われていた解読機「ボンバ(Bomba)」の理論を発展させ、「ボム(Bombe)」を考案。ただ、期待された初期モデルでは思い通りの結果が得られず、改良 の日々が続いていた。
鬱々とした解読者の心情と反比例するかのように、戦場ではドイツ軍の攻撃が激化。これに合わせてエニグマ暗号に よる通信の数が劇的に増え始めていた。しかし、それは解読者らにとって悪いことばかりではなかった。暗号文を受け 取る敵国のオペレーターが忙殺されたことで、彼らのミスやクセが出始めたのだった。このわずかなほころびは解読に おける重要なヒントとなった。
さらに1940年8月、チューリングの改良版ボムが誕生する。オリジナルよりもはるかに進歩したこの解読機によ り、事態は画期的に前進する。この年から翌年にかけて英国はドイツ潜水艦Uボートの捕獲により、暗号書や有益な情 報を入手。特に難解とされた海軍の暗号文を、発信から数時間のうちに解くことができるようになった。
写真右上:暗号機「エニグマ」
同左:エニグマを使うドイツ軍兵士。c Bundesarchiv_Bild
同右下:ブレッチリー・パークにある暗号解読機「ボム」のレプリカ。
同左:エニグマを使うドイツ軍兵士。c Bundesarchiv_Bild
同右下:ブレッチリー・パークにある暗号解読機「ボム」のレプリカ。
暗号機「エニグマ」
…キーボードを打つと、電気信号が奥にあるローターを通り、換字された文字がランプボード(表示盤)に点灯し、これにより暗号を得ることができる。復号も同様。ローターの設定キーやプラグボードの配線の変更により、暗号が日々強化された。エニグマの仕組みについて、インターネット上にはシミュレーターが紹介されているので探してみては?
戦いの間も、ドイツは暗号の強化を図り、新しい暗号機「ローレンツ(Lorenz)」を開発。暗号解読者たちもこれに応戦した。ローレンツの暗号を解く目的で1943~44年にかけてブレッチリー・パークで誕生したのが「コロッサス(Colossus)」と呼ばれる機械で、これが世界初のプログラム可能な電子コンピューターとされている。
役目を終えたブレッチリー
ブレッチリー・パークでは、1945年の最盛期で9000人、戦時中を通して1万2000人がそれぞれの任務にあたったとされる。ヨーロッパが終戦を迎えた1945年5月8日、部隊の解散を前に、スタッフに次の言葉が伝えられた。 「この先いつか、我々の技術がまた必要となる日が来るかもしれない。それゆえに、私たちがこれまで守ってきたセキュリティー・レベルが緩められることがあってはならない。友人や家族に私たちの働きを伝えたいという思いがわくのは自然なことだ。しかし、何にかえてもその誘惑に耐えなければならない」戦後、一部のメンバーが残り、後身の政府通信本部がブレッチリー・パークに置かれたが、第二次世界大戦時の暗号解読部隊の存在も、貢献の名のもとに人々が払った犠牲も、まるで何もなかったかのように闇の中に消えていった。
暗号解読に挑んだ結果、チューリングをはじめ、多くの数学者や技術者によってコンピューターの新時代が開かれていた英国。しかし、その功績ごと秘密のベールに包まれ、米国でのコンピューター開発から英国が遅れをとったことは運命のいたずらといえる。
そして終戦から30年を迎えようとしていたころ、1冊の本が出版された。『The Ultra Secret』と題されたその本は、エニグマ解読に立ち向かった暗号解読チームの内側を描いたものだった。これ以降、戦時下の秘密が徐々に明らかにされ、1991年にはかつてこの地で働いた人々の要望を受けてブレッチリー・パーク・トラストが誕生した。1994年には、この諜報基地が博物館として一般オープン。同時に、ステーションXでの任務に従事した人を探し、オーラル・ヒストリー(口述歴史)を記録する活動も始まった。
また、戦後に放棄された場所などを中心に大規模な修復プロジェクトが進行している。2014年6月にその第1段階が終了しており、ビジター・センターがオープン。暗号解読に関する部署が置かれたHut3、Hut6も修復され、戦時中の様子が再現された。
1 エニグマの構造に迫る!
2014年にオープンしたビジター・センターを兼ねる建物(ブロックC)では、各種エキシビションが開催されている。そのうち、メインとなる展示「Introduction to Bletchley Park」では、暗号やエニグマに関する基本を知ることができる。タッチパネル式でエニグマの構造をわかりやすく解説してくれるコーナーもあり。2 世界で唯一、動くボム
ポーランドで開発された「ボンバ」を元に、アラン・チューリングが改良し、戦後まで活躍した暗号解読機「ボム」。そのレプリカが展示され、動いている様子を見ることができる。場所はブロックBにて。ここには、日本の暗号解読に関する資料が並ぶスペースもある。3 暗号解読者の作業場を再現
ドイツ陸・空軍の暗号を中心に、解読および翻訳、情報処理などが行われたHut 3、Hut 6では、戦時下の様子が細部にわたって再現されている。音声・映像も使われ、現場をリアルに体感できる。4 チューリングの部屋を覗いてみよう!
ドイツ海軍の暗号解読が行われたHut 8では、変人として知られていたチューリングの研究室が再現されている=写真下右。紛失・盗難を防ぐため、自分のマグカップをチェーンでラジエーターにくくりつけていた様子=同下左=などが紹介されている。5 映画の世界に浸る!
19世紀に建てられた邸宅=同上=では、映画『イミテーション・ゲーム』のエキシビション(2016年6月まで)も行われ、映画のセットや小道具が並ぶ。解読のヒントを得た重要なシーンはここで撮影された。このほか、政府暗号学校の上層部の部屋が再現されている。無名の暗号解読者たち
敷地内にある池のほとりから邸宅を眺めてみると、そこが諜報基地だったことなど決して想像もつかない、穏やかな風景が広がっている。c ShaunArmstrong/mubsta.com
取材班は今回、ブレッチリー・パーク・トラストの理事で、『The Emperor's Codes』などの著作を持つマイケル・スミス氏と話す機会を得た。映画『イミテーション・ゲーム』の話題に触れると、「映画の影響で、ブレッチリー・パークのことが知られるのは良いことだ」と嬉しそうな笑みを浮かべた一方で、チューリングにとどまらず、名もなき多くの人が、24時間体制で懸命に働いていたことも強調する。そのすべての人々が、自分の行いを他言してはならない状況に置かれ、「国にとってどれほど重要な役割を自分が担っていたかを肉親に伝えることなく、戦後、死んでいった人も少なくない」とスミス氏は話す。
博物館には、暗号について詳しく紹介する展示が数多く見られるが、それに留まらず、チューリングの生涯と偉業に関するギャラリーや、ここで働いた個人の暮らし紹介するエキシビション・スペースもある。戦時中ながらもクリスマス・パーティーを告知するポスターや、芝居の台本、楽譜などが並び、さまざまな才能を持つ人が集められたこの地で、秘密を共有する者同士が芸を披露し合い、ひとときの楽しみを得た様子がひしひしと伝わってきた。
敷地内には池が設けられ、氷が張った冬場には人々がアイススケートに興じ、芝のテニス・コートを利用して汗を流す人たちもいたという。張り詰めた空気の中で、人々のオアシスとなったことは想像にかたくない。
戦時中の面影をとどめているブレッチリー・パークで、暗号の世界に触れるとともに、当時に思いをはせながら歩いてみてはいかがだろうか。
Travel Information
※2016年3月14日現在
Bletchley Park
The Mansion, Bletchley Park, Sherwood Drive, Bletchley, Milton Keynes, MK3 6EBwww.bletchleypark.org.uk
Tel: 01908-640404
アクセス
【電車】ロンドン・ユーストン駅から電車で約40分。徒歩5分。【車】M1を北上し、ジャンクション 13 で Milton Keynes/Bedford/A507/Ampthill方面の A421 出口を出てから、約13キロ。ロンドン中心部からは所要約1時間20分。※Sat-NavにはSherwood Drive, Bletchley, MK3 6DSを入力。
オープン時間
【3月~10月】午前9時30分~午後5時【11月~2月】午前9時30分~午後4時
入場料
大人 17.25ポンド60歳以上、学生 15.25ポンド
子供(12~17歳) 10.25ポンド
旅のメモ
●見学に疲れたら、Hut 4を改装して設けられた「Hut 4 Cafe」で休憩することが可能。カフェテリア形式で、フィッシュ&チップスやパイなどを提供する。店内に飾られた、戦時中をイメージさせるポスターにもご注目を。●敷地内には、国立コンピューティング博物館(The National Museum of Computing)が併設されている。コロッサスのレプリカや、稼動する最古のデジタル・コンピューターを見学可能。チケット 大人7.50ポンド、オープン時間はウェブサイトにて。www.tnmoc.org
週刊ジャーニー No.924(2016年3月17日)掲載