

ウェールズが誇る首都
城下町カーディフを征く
イングランド、スコットランド、北アイルランドとともに、英国を構成する国、ウェールズ。その首都カーディフは、城下町として栄え、産業革命期には世界有数の石炭積出港として発展した街である。かつての面影を残す一方、現在では湾岸のウォーターフロント開発が進み、オシャレなスポットとして観光客を集めるほか、英国人が暮らしたい街のひとつに選ばれることも多い。今回は、近代文化に彩られる旧城下町カーディフを征くことにしたい。●征くシリーズ●取材・写真・執筆/本誌編集部
「Welcome to Wales / Croeso i Gymru」
ロンドンからひたすら西へと車を走らせ、ブリストル海峡を越えると、英語、そしてウェールズ語の2ヵ国語で表記された看板が目に飛び込んでくる。ようこそウェールズへ―。同じ英国にありながら、違う国に来たことを実感する瞬間だ。
首都カーディフはウェールズ南部に位置し、街の中心を通って港へと注ぐタフ川の恩恵を受けて発展してきた。始まりは今から2000年前、地の利に目をつけたローマ人が、ここに砦を築いたことにあると言われている。
ローマ時代の痕跡は、街の中心部にあるカーディフ城で見ることができる。およそ1000年後にノルマン人がカーディフの戦略的価値を見出すと、彼らはここに新たに要塞を築いた。それもまたカーディフ城を彩る歴史的要素のひとつだ。
城の詳しい紹介は次項に譲るとして、街の成り立ちについて話を進めたい。ノルマン人の築いた要塞を中心に、13世紀には小さな交易の町ができあがり、徐々に港としての重要性も高まっていった。ところがそれに合せて、ブリストル海峡を横行する海賊を寄せ付けることとなる。思わぬ『副作用』に、街を離れる人も多かったに違いない。18世紀の記録によると、住民の数はせいぜい1500人程度だったとされる。
この小さな港町が世界から一目置かれるようになるのは、それから間もなくのことだ。各地の村々で炭鉱が発見された結果、ウェールズが石炭・鉄鋼ブームに沸いたことは皆の知る所だろう。1794年には炭鉱の村マーサ・ティドヴィルとカーディフをつなぐ運河が開通し、産業革命の『原動力』が大量に集まってきた。1839年に、ウェールズで広大な土地を所有していた第2代ビュート侯爵がドック(船着場)を開設。のちに鉄道が開通すると、カーディフからは大量の石炭や鉄鋼が世界中に輸出されるようになった。
イングランドやアイルランドのほか、中東、アフリカからも大量の労働者が流入し、人口は1850年の3万人から1911年には18万2000人に激増。その間の1905年には、エドワード7世により正式に「市」のステータスを与えられるまでになった。こうしてカーディフは世界最大級の石炭積出港へと急成長を遂げたのだった。
街の発展と足並みを合わせるように、1900年に入ると都市の再構築が行われる。港から北へ2キロほど入った内陸に官庁街が整備され、シティ・ホール(1906年)や裁判所(同)、国立博物館(1912年に着工するが、第一次世界大戦の影響を受け、完成は1927年)などが設けられる。この一帯をもともと所有していたビュート一族が高さや外観に関する建築規制を厳しく強いたことにより、官庁街は白亜のネオクラシック様式の壮麗な建物で統一され、カーディフを特徴づける景観となっている。
第二次世界大戦終盤のエネルギー革命により石炭貿易は衰退を余儀なくされ、一時は失業率が上昇し、犯罪がはびこることもあった。しかし、集まった人々のエネルギーが渦巻くカーディフの街は、衰えるどころか、経済、文化の中心地へと変化し、1955年にはエリザベス女王より勅許を受けて正式にウェールズの首都となった。
1990年代には、産業革命期に一時代を築いた港を観光・娯楽の中心にすべく、再開発プロジェクトがスタート。2000年にカーディフの新しい顔として「カーディフ・ベイ」が誕生した。
カーディフの主な見所は、前述のように壮麗な建造が並ぶ官庁街やカーディフ城のある中心部、そしてオシャレなスポットとして注目される湾岸部のカーディフ・ベイに分けられる。それぞれはバスで10分ほどと近く、比較的小規模にまとまっている。一日をたっぷり使えば、新旧入り混じる街をじっくり散策できるはずだ。ロンドンから電車、あるいは車で約2~3時間。週末のシティ・ブレイクに訪れてみてはいかがだろうか。また、せっかくここまで来たからには、と欲張りたい人は、カーディフから北へ40キロの「ブレコン・ビーコンズ国立公園」と組み合わせたプランにするのも一案。南ウェールズの魅力を探る旅を存分に楽しんでいただきたい。
ロンドンからひたすら西へと車を走らせ、ブリストル海峡を越えると、英語、そしてウェールズ語の2ヵ国語で表記された看板が目に飛び込んでくる。ようこそウェールズへ―。同じ英国にありながら、違う国に来たことを実感する瞬間だ。
首都カーディフはウェールズ南部に位置し、街の中心を通って港へと注ぐタフ川の恩恵を受けて発展してきた。始まりは今から2000年前、地の利に目をつけたローマ人が、ここに砦を築いたことにあると言われている。
ローマ時代の痕跡は、街の中心部にあるカーディフ城で見ることができる。およそ1000年後にノルマン人がカーディフの戦略的価値を見出すと、彼らはここに新たに要塞を築いた。それもまたカーディフ城を彩る歴史的要素のひとつだ。
城の詳しい紹介は次項に譲るとして、街の成り立ちについて話を進めたい。ノルマン人の築いた要塞を中心に、13世紀には小さな交易の町ができあがり、徐々に港としての重要性も高まっていった。ところがそれに合せて、ブリストル海峡を横行する海賊を寄せ付けることとなる。思わぬ『副作用』に、街を離れる人も多かったに違いない。18世紀の記録によると、住民の数はせいぜい1500人程度だったとされる。
この小さな港町が世界から一目置かれるようになるのは、それから間もなくのことだ。各地の村々で炭鉱が発見された結果、ウェールズが石炭・鉄鋼ブームに沸いたことは皆の知る所だろう。1794年には炭鉱の村マーサ・ティドヴィルとカーディフをつなぐ運河が開通し、産業革命の『原動力』が大量に集まってきた。1839年に、ウェールズで広大な土地を所有していた第2代ビュート侯爵がドック(船着場)を開設。のちに鉄道が開通すると、カーディフからは大量の石炭や鉄鋼が世界中に輸出されるようになった。
街の発展と足並みを合わせるように、1900年に入ると都市の再構築が行われる。港から北へ2キロほど入った内陸に官庁街が整備され、シティ・ホール(1906年)や裁判所(同)、国立博物館(1912年に着工するが、第一次世界大戦の影響を受け、完成は1927年)などが設けられる。この一帯をもともと所有していたビュート一族が高さや外観に関する建築規制を厳しく強いたことにより、官庁街は白亜のネオクラシック様式の壮麗な建物で統一され、カーディフを特徴づける景観となっている。
第二次世界大戦終盤のエネルギー革命により石炭貿易は衰退を余儀なくされ、一時は失業率が上昇し、犯罪がはびこることもあった。しかし、集まった人々のエネルギーが渦巻くカーディフの街は、衰えるどころか、経済、文化の中心地へと変化し、1955年にはエリザベス女王より勅許を受けて正式にウェールズの首都となった。
1990年代には、産業革命期に一時代を築いた港を観光・娯楽の中心にすべく、再開発プロジェクトがスタート。2000年にカーディフの新しい顔として「カーディフ・ベイ」が誕生した。
カーディフの主な見所は、前述のように壮麗な建造が並ぶ官庁街やカーディフ城のある中心部、そしてオシャレなスポットとして注目される湾岸部のカーディフ・ベイに分けられる。それぞれはバスで10分ほどと近く、比較的小規模にまとまっている。一日をたっぷり使えば、新旧入り混じる街をじっくり散策できるはずだ。ロンドンから電車、あるいは車で約2~3時間。週末のシティ・ブレイクに訪れてみてはいかがだろうか。また、せっかくここまで来たからには、と欲張りたい人は、カーディフから北へ40キロの「ブレコン・ビーコンズ国立公園」と組み合わせたプランにするのも一案。南ウェールズの魅力を探る旅を存分に楽しんでいただきたい。
華麗か、悪趣味かは見る人次第!?
Cardiff Castle カーディフ城
写真上:第3代ビュート侯爵が好んだとされる「アラブ・ルーム」の天井。金箔が用いられたイスラム式の装飾模様が壁から天井にわたって続いている。
写真中央:写真正面が邸宅。右手の丘の上にノルマン人によって築かれた天守閣(the Keep)がそびえる。
© Crown copyright (2015) Visit Wales
写真下左:邸宅内で最も広いバンケティング・ホール(晩餐会場)。ステンドグラスや壁画にはカーディフ城の歴史が描かれている
写真下右:ヴィクトリア朝時代に再建された外壁。その一部に、ローマ時代に築かれた石垣が残されている。 周囲に施された赤いレンガが目印!
中でも強烈なインパクトを与えているのは、19世紀半ばに世界で最も裕福な人物のひとりに数えられるようになっていた第3代ビュート侯爵によって改築された邸宅部分だ。ビジネスよりも歴史や学問に強い関心を抱いた第3代ビュート候は1866年、当時の人気建築家ウィリアム・バージェスに城の大幅な改築を依頼。ふたりは雇い主と建築家という関係を越えた固い友情で結ばれ、夏には共にヨーロッパ、中近東を旅し、新しいアイディアを探し求めたこともあったという。
邸宅内を歩いてみると、ふたりが共有した建築に対する情熱を随所に感じることができる。中世イングランド、アラブ、旧約聖書、童話…、ありとあらゆる方面からヒントを得て設計が施され、部屋の装飾や家具にいたるまで、細やかな配慮がなされている。例えば子供部屋(the Day Nursery)を覗いてみると、『アラビアンナイト』や『グリム童話』などの物語をモチーフにした装飾でにぎやかに彩られ、侯爵用の浴室(Lord Bute's Bathroom)には、60種類の異なる大理石が張られている。また、カーディフ城の外からでも眺めることができる時計塔(the Clock Tower)は、中世から着想を得たカラフルな彫刻が施され、遠くから見ても目が釘付けになる。
こうしたド派手とも表現できる内装を、エレガントさに欠ける…と感じる人も多いだろう。実際に、完成当初から「華麗」と評されてきた一方で、「悪趣味」とも形容されるなど、さまざまな批評を受けてきた。しかし、その過剰なまでの装飾ぶりに、ヴィクトリア朝時代の活気とビュート一族の繁栄を感じ取ることができるはずだ。
カーディフ城は1947年に、隣接する広大な敷地(のちにビュート・パークと命名される)とともにカーディフに寄贈され、現在は自治体によって管理が行われている。城内を十分に堪能するためには、入場料に大人1人3ポンドを追加して、ハウス・ツアー付チケットにアップグレードするのがお勧め。見逃せない必見ポイントや設計の裏話など、知識豊富な専門ガイドの案内でめぐることができる(所要時間およそ50分)。
地図④/入場料 大人12ポンドwww.cardiffcastle.com
アニマル・ウォールをお見逃しなく!

東京駅をつくった辰野金吾も師事した建築家ウィリアム・バージェス

バージェスは53年の生涯の中で、産業革命による工業化と、ネオクラシック様式に疑問を抱き、中世ゴシックを追求。大聖堂、教会、城などを後世に遺した。カーディフ城は代表的な作品とされ、ユーモアや駄洒落などを好んだとされるバージェスの個性が発揮されている。
ウェールズの進化をたどる
National MuseumCardiff カーディフ国立博物館&美術館
白亜の建物群が並ぶ官庁街の一角にある博物館&美術館。(写真上)
ロダン『接吻』(写真中央)
© Crown copyright (2015) Visit Wales
ルノワール『青衣の女』(写真下)
© Crown copyright (2015) Visit Wales
また2階にあるフランス印象派のコレクションには定評があり、モネ、ルノワール、ゴッホらの作品を鑑賞することができる。時間がない人は、「ギャラリー16」の部屋へ直行! 印象派の作品が集まっているので効率よく堪能できる。
地図①/入場無料 www.museumwales.ac.uk/cardiff
気分はラガーマン!
Millennium Stadium ミレニアム・スタジアム
ロンドンにある「サッカーの聖地」、ウェンブリー・スタジアムが改修工事中だった2000年代前半は、FAカップ、リーグカップの決勝の舞台として、その代役を務めたことでも知られる。日本人の活躍が記憶に新しい一戦は、2012年ロンドン五輪の女子準決勝。難敵ブラジルに押し込まれる苦しい展開の中、「なでしこジャパン」はこの地で見事、勝利を収めた。
2015年、金融機関「Principality Building Society」との新たなスポンサー契約が結ばれ、2016年からは「プリンシパリティ・スタジアムPrincipality Stadium」と改称される予定。
地図⑤ www.millenniumstadium.com
スタジアム見学ツアーに参加しよう!
トロフィーは2013年のラグビー大会
「Autumn Internationals」で、ウェールズが
トンガに勝利した際のもの。
時空を越えた冒険の旅へ!
Cardiff Bay & Doctor Who Experience カーディフ・ベイ&ドクター・フー・エクスペリエンス
立ち並ぶエリアよりさらに南へ徒歩10分。
エキシビションでは人気悪役「ダーレク」の姿も発見!
またファンの間ではよく知られていることだが、英国で不動の人気を誇るSFドラマ「Doctor Who」の制作スタジオもこの港にある。主人公「ドクター」とともに、時空を超えたアドベンチャーを体験できるアトラクションが併設されているほか、初めて放映された1963年以降の、歴代の衣装コレクション、舞台セット、小道具を展示するエキシビションもあり。これを機に、ドラマにはまりそう…!?
地図⑦/Doctor Who Experience 16ポンド www.doctorwho.tv/events/doctor-who-experience
そのほかの見所

②City Hall / Civic Centre
③Bute Park
ビュート家がカーディフ城とともに自治体に寄贈した広大な公園。タフ川の河岸に沿って広がる。
④Cardiff Castle
⑤Millennium Stadium
⑥Cardiff Central Market
石炭ブーム真っ只中の1891年に鋳鉄とガラスで建てられた、ヴィクトリア朝時代の面影を漂わせる屋内マーケット。現在も60を超す店が軒を連ね、生鮮品からジュエリーまで多様な商品が並ぶ。
⑦Cardiff Bay(写真右上) / Doctor Who Experience
⑧St Fagans National History Museum
中心部から西へ7キロの場所にあるユニークな博物館。ファームハウスやコテージ、鍛冶屋、学校など、ウェールズ各地で実際に使われていた、年代の異なる建物およそ40軒が移築され、ウェールズの生活史を伝える。St Fagans National History Museum, Cardiff, CF5 6XB/入場無料 www.museumwales.ac.uk/stfagans

樹木が生い茂る山腹に建ち、まるでおとぎ話の世界から飛び出してきたような佇まいの城。荒廃していた13世紀の古城を、カーディフ城の再建に取り組んだ第3代ビュート侯爵と建築家ウィリアム・バージェスのコンビが建て直した。中心部から北西へ10キロ。Castell Coch, CF15 7JS大人5.50ポンド http://cadw.gov.wales/daysout/castell-coch/?lang=en
Travel Information
※2015年11月16日現在

カーディフまでのアクセス
車:ロンドンからM4で西へ、約3時間。途中、ブリストル海峡にかかるSecond Severn Crossingでは通行料(toll)が必要。乗用車の場合6.50ポンド。イングランドからウェールズへ入るときのみ徴収される。電車:ロンドン・パディントン駅からカーディフ・セントラル駅まで約2時間。
コーチ:ヴィクトリア・コーチ・ステーションから約3時間20分。
中心部から車で約20分 ヴィクトリア朝時代のマナーハウスに宿泊!
今回、取材班が滞在したホテル「ミスキン・マナー」は、炭鉱オーナーでウェールズの文化振興にも貢献したデイヴィッド・ウィリアムズが19世紀に建てた邸宅。ウェール
Miskin Manor
Pendoylan Road, Groesfaen, Pontyclun, CF72 8ND
Tel: 01443 224 204
www.miskin-manor.co.uk
※シングルルーム95ポンド~、ダブル、ツインルーム115ポンド~
週刊ジャーニー No.908(2015年11月19日)掲載