◆◆◆ 蘇った大聖堂 ◆◆◆


1912年7月15日の感謝祭のもよう。ジョージ5世と王妃メアリーをのせた馬車がアルフレッド大王の像のそばを過ぎゆくのを群集が見守る。 © Dr John Crook/Chapter of Winchester
 6年におよぶ基礎補強プログラムに費やされた総工費は当時の金額で11万3千ポンド。現在の貨幣価値が当時の500倍ほどと考えると、5千万ポンド以上の莫大な経費が費やされていることになる。カウンシルからの援助はなく、公式に募金団体が関与しているわけでもなく、聖堂参事会にとっては資金調達が何より悩みの種であった。土木作業員の総数は100人を超えており、人件費が賄えず解雇せざるを得ないこともしばしばであったという。それでも国王を含め、寛大なスポンサーたちが名乗りを挙げ、新聞広告やチャリティ活動の呼びかけも功を奏し、1911年8月上旬、ウォーカーの使命は果たされた。ウィンチェスター大聖堂はついに倒壊の危機から救われたのである。
 ウォーカーには聖堂参事会から、「聖堂の基礎補強のために尽力を注いだその功績はまことに顕著であり、ここに感謝の意を表します」と刻まれた銀製のローズボールが贈られた。 翌年7月14日から21日までは大聖堂の修復完了を祝う大感謝祭が催され、ウィンチェスターの守護聖人、聖スウィザンの日にあたる15日には、盛大なセレモニーが執り行われ、時の国王ジョージ5世と王妃メアリーも参列した。
 セレモニーの後、国王はウォーカーと握手、「1日6時間、約6年働いておりました」とウォーカーが答えると、「あなたの力で聖堂を救うことができたのですね」と賛辞を述べ、さらに「もしまた依頼があったら、同じ仕事をやりますか?」と尋ねた。ウォーカーは「決して易しい仕事ではないですが、またお役に立てるなら光栄です」と答えたという。
 この日のことをウォーカーは後に、とても気恥ずかしかったと振り返り、それはおそらく潜水服ではなく慣れないフロックコートに身を包んでいたためで、それゆえ自分だと気づかなかった人も多かったと冗談まじりに語ったという。
 同年の暮れには、この功績を称えてウォーカーはロイヤル・ヴィクトリア勲章MVO=Member of the Royal Victorian Order(*)を授かり、フランソワ・フォックスはサーの称号を、トーマス・ジャクソンは準男爵に叙せられた。

ウォーカーの胸像がある奥内陣の南側部分。現在でも床面が歪曲しているのがわかる。
 しかし、それから6年後の1918年10月31日、スペイン風邪がヨーロッパ中に蔓延すると、ウォーカーは発症後、ほんの3日でこの世を去ってしまう。トップダイバーとして強靭な肉体を持ち、かつて75マイルの道のりを物ともせず自転車を走らせたウォーカーは、健康そのもの、病気とは無縁の生活を送っていた。だが、感染者6億人、死者4―5千万人といわれる伝染病の猛威には打ち勝つことはできなかったのである。享年49。あまりにあっけない英雄の最期であった。
*ヴィクトリア勲章―1869年にヴィクトリア女王により選定された、君主個人への貢献を授与基準とする勲章。全5等級がある。日本人では昭和天皇と今上天皇が皇太子時代に授与されている他、東郷平八郎なども受章している。  

◆◆◆ 英雄ウォーカー、永遠に ◆◆◆



2001年にウォーカーの顔写真をもとに作り直された胸像。
 大聖堂の奥内陣は、聖スウィザンの霊廊が座し、中世より多くの巡礼者を収容する「レトロクワイア」として機能してきた。現在、その北端には、フランスの国民的英雄であり、カトリックの聖人であるジャンヌ・ダルクの像が立つ。これは、彼女を異端審問裁判にかけ火刑に処した、ウィンチェスター枢機卿ヘンリー・ボーフォートの贖罪の意を込めて設置されているもの。1920年にジャンヌ・ダルクが聖人に指定されたことを受け、23年からここで巡礼者を迎えている。
 そして、その南対面に立つのが、潜水用のヘルメットを手にしたウォーカーの胸像だ。実はこの胸像は40年を経て作り直された改訂版。もとの胸像は、ウォーカーの功績を称えて作られたものの、全く別人のダイバーをモデルに作られていたため、1964年3月の除幕式で、ウォーカーの孫が「あんなの僕のお祖父さんじゃない!」と苦言を呈したという。それから長い時を隔て、2001年6月にウォーカーの顔写真をもとにようやく作り直され、再設置された。そこには「William Walker 1869-1918 …who saved the Cathedral with his own hands… 1906-1911」と刻印されている。
 暗闇の中、その手の感触だけを頼りに働き続けた5年半―。イングランドの歴史を背負ったウィンチェスター大聖堂が倒壊していたかもしれない事実を考えるとき、彼の偉業は聖人の域に達していると思わざるをないのである。