◆◆◆ 熟練ダイバー参上 ◆◆◆


聖堂地下室は大聖堂の中でも最古の部分。中央に立つのは彫刻家アントニー・ゴームリーによる「サウンドII」。今でもこの彫刻の腰の部分まで浸水することがあるという。
 当時のダイバーの仕事といえば、漁業はもちろん、港湾建設などの水中土木作業のほか、海難救助、沈没船引き上げなど軍事上、保全上にまつわるものが主であった。
 「ヘルメット式潜水」(1820年頃発明)といい、水上からホースで空気を供給する潜水方法が一般的で、ダイバーが自動呼吸装置を伴うスキューバ(scuba= self-contained underwater breathing apparatus)が1950年代に普及するまでは、このヘルメット式潜水が唯一の潜水方法であったとされる。ダイバーは、ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた真鍮製のヘルメットを着用。このヘルメットには空気供給ホースの接続口や排気バルブ、水上と交信するための通信装置などが取り付けられており、ダイバーは潜水服内の空気量を手動で調節しなくてはならない仕組みになっていた。 この方式は、空気ポンプさえ正常に作動していれば、時間の制限なしに潜水可能な上、潜水服やヘルメットがかなり大きめに作られているため、万が一、空気ポンプの誤作動で空気提供が断たれても、ダイバーは潜水服内の空気で5分程度は生存できるという利点がある。しかし一方で、空気供給ホースが水中の障害物に絡まる危険性や、手動による空気供給を誤った場合に高気圧障害や窒息死を引き起こす可能性もあり、ダイバーには熟練したノウハウと強靭な肉体が要求される。さらに、水中で安定した姿勢を取ることができるよう装備重量がとりわけ大きいのが特徴で、そのため水上では1人で移動することが難しく、水中での機動性もきわめて低かった。 ウィリアム・ウォーカー(1869―1918年)がウィンチェスターに召喚された時、彼はロンドンのヴィクトリア埠頭で働いていた。英国王室海軍にて上等水兵であったウォーカーは潜水の訓練を受け、21歳にして英国のトップクラスのダイバーになった。数年後に除隊してからは、民間のダイビング会社に所属、チーフ・ダイバーに昇格し、ジブラルタル軍港での4年の赴任を終え、英国に戻ったばかりであった。37歳、経験に裏打ちされた自信にあふれ、男性として最も脂の乗った時期でもある。 2人の候補者のうち、ウォーカーが抜きん出ていることは誰の目にも明らかであった。 

◆◆◆ 暗闇の5年半 ◆◆◆


赤い線で示してある部分の壁が外側に大きく傾斜していたところ。ノルマン人によって1079年から1150年に建てられた部分だ。
 聖堂参事会から大きな期待が寄せらせられたウォーカーには、以下の任務が課せられた。
 まず、土木作業員が壁の外側に1メートル強幅の細い溝を掘り進め、古い基礎として使われていた流木を切り出す。そこにウォーカーが潜り込み、泥炭を掻き出す。と同時に、地下水はどんどん満ちてくるので、ウォーカーはその真っ黒な泥水の中をさらに潜水し、泥炭をかきわけながら壁の真下へと潜り込む。土木作業員はその泥炭を取り除き、地下水が澄んできたら、コンクリートバッグ、コンクリートブロック、レンガなどを壁下のウォーカーに送る。ウォーカーはそれらをひとつひとつ積み上げ、砂利層から床下までを埋めていく。この間、ウォーカーの視界は真っ暗で手の感覚だけを頼りに作業するしかない。ウォーカーの積み上げ作業が終わり、コンクリートが2、3時間して固まると、初めてポンプによる水の汲み上げが可能になり、その後は完全に水を排除した状態での補強作業ができるようになる。
 と、書きまとめると、きわめて秩序だっており、その困難さが伝わらないかも知れないが、ウォーカーが1日6時間潜り続けても、5年半の月日を要したといえば、この一連の作業がどれほど気の遠くなる道のりであったか察しがつくだろうか。
 古い基礎を新しく差し替えるこの作業は、壁が倒れる危険性を常に伴うため、一度に大きな面積に着手するわけにはいかず、狭い範囲を地道にやり進める必要があった。当時、優秀な潜水士が限られていた背景もあるが、一度に何人もの潜水士が作業することは物理的に不可能だったのである。
 ウォーカーの潜り口として掘られた溝の数はなんと235ヵ所。作業が5年5ヵ月に及んだことを考えると、1年に約43ヵ所、つまり、1ヵ所の溝の作業を終えるのに約1週間かかった計算になる。ちなみに彼の積み上げたコンクリートバッグは2万5千800個、コンクリートブロックは11万4千900個、レンガは90万個にのぼったと伝えられている。

◆◆◆ 大柄な愛煙家 ◆◆◆


ウォーカー(左)とアシスタントのウィリアム・ウェスト
Walker and his dresser and assistant, William West
© Dr John Crook/Chapter of Winchester
 英国で指折りのダイバーとして活躍したウォーカーだが、私生活ではジブラルタル赴任中に妻ハナを亡くすという悲運に見舞われている。ハナは5人兄弟の末っ子となるエドワードを生んでまもなく他界。ウォーカーは、単身ジブラルタルに残り、この5人の子供たちを、英国に住むハナの妹アリスのもとへと帰さざるを得なかった。子供たちは無事英国に辿り着いたものの、そのうち2人は腸チフスにかかり瀕死の状態。アリスの懸命な看病のもと、なんとか快方に向かったという。ウォーカーはこのアリスの献身ぶりに打たれ、帰国してまもなくアリスと再婚し、アリスとの間に7人の子供を儲けている。
 この結婚を境に、生まれ育った南ロンドンのサザークから、南東のサウス・ノーウッドに居を移したウォーカーは、ここで残りの人生を過ごすことになる。ウォーカーの右腕として、空気供給ホースの管理などを行っていた助手のウィリアム・ウェストが自転車の乗り方を教えると、即座に乗り方をマスターし、週末の度にウェストを誘っては、75マイルの家路を自転車で往復したというから、運動神経が抜群でたくましい男性だったようだ。身長183センチ、体重約90キロという、当時の人にしては大柄な体格だったと伝えられる。
 周囲の誰もが「愛煙家」として認めるウォーカーは、「煙草は万病を防ぐ治療薬」と信じて疑わず、休憩で陸に上がる度に一服するのが常であった。過酷な潜水業務を長年にわたり続けるのに煙草がひと役買ったようだ。
 地味な作業を淡々と続け、泥水の底で誰からの監視の目がなくとも仕事を完璧にこなすなど、彼が持てる能力を存分に発揮して仕事に臨んだのはどの人の目にも明らかであった。彼の人柄や私生活については多くの記録が残されておらず推し量るより他ないが、おそらく真摯で実直な人柄だったのだろうと思われる。