2010年10月21日No.648

取材・執筆・写真/本誌編集部

潜り続けた5年半
大聖堂を救ったダイバーの物語

Walker standing in full diving dress in front of the cathedral
© Dr John Crook/Chapter of Winchester
ウォーカーは9キロの潜水服に、鉛の錘が内蔵された靴16.4キロ(片足8.2キロ)、ヘルメット22.8キロ、胸や背中に装着する錘36.2キロと、総重量91キロに及ぶ装具をまとう必要があった。

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 ロンドンから電車で南西へ小1時間というウィンチェスターは、全体を歩いて周ることのできるこぢんまりとした町。今ではのどかな郊外の町のひとつにすぎないが、かつてはここに、イングランド7王国時代に優勢を極めたウェセックス王国の首都があった。中世らしい閑静な街並みや歴史的建造物などからは、古都ウィンチェスターとしての誇りが感じられる。
 ノルマン征服後に首都がロンドンに移された後も、国王戴冠式はウェストミンスター寺院だけでなく、ウィンチェスター大聖堂でも行う必要があったというから、この町がイングランドの歴史上いかに重要な役割を果たしていたかがおわかりいただけるだろう。
 かつて7王国時代には、現在の大聖堂の北側に約3分の1の大きさの旧聖堂「オールドミンスター」が存在した。1079年、ノルマン人により新たに大聖堂が建てられると、オールドミンスターは93年の大聖堂完成と同時に解体された。その後、大聖堂は13、14世紀にかけて拡張され、現在のゴシック建築として完成したのは16世紀のこと。ヨーロッパのゴシック様式大聖堂のうち、最も長い身廊(*)と全長(約160メートル)を持つ、イングランド最大級の聖堂として知られる。
 およそ100年前、この由緒正しい大聖堂が倒壊の危機にさらされていた。今、我々が目にする壮麗な姿は、ある男の一騎当千の働きなしには存在しえなかったのである――。
*身廊―キリスト教建築の一部分を指す呼称で、入口から主祭壇に向かうまでの中央通路となる部分。

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◆◆◆ 木と泥の上に ◆◆◆


© Dr John Crook/Chapter of Winchester
The works in progress on the north side of the east end of the cathedral 修復中の大聖堂
 1905年1月、ウィンチェスター大聖堂の定期調査を行っていた建築家のJ・B・コルソンは教会の奥内陣(*)を構成する南側の壁が外側に大きく傾斜していることを懸念し、早急に措置をとる必要があるとの報告書をまとめた。なぜそれほどまで傾斜するに至ったかは定かではなかったが、聖堂が拡張されたという13世紀の工法に理由が隠されているのではないかとコルソンは推測した。
 「おそらく基礎が不安定なのだろう。しかし果たしてどうやって基礎を強化すべきか…」コルソンは頭を痛めた。というのも、大聖堂界隈は海抜が低く、冬には聖堂の地下室が水浸しになることも少なくないからだ。水浸しの状態では基礎に手を加えることもできない、今できることは、傾斜している壁に木の支柱をつっかえ棒として何本も添え立て、これ以上壁が倒れないように支えることぐらいだろう――コルソンはそう提案し、この傾斜を軽視すべきではないと警鐘を鳴らした。
 聖堂参事会から助言を求められたウィンチェスター教区の建築顧問、トーマス・ジャクソンは、壁の外側を掘り進み、地盤調査を実施。すると、床下から数メートル下方に、13世紀の職人たちが基礎として敷いた流木が露になった。しかも、その流木の数十センチ下方には分厚い泥炭の層が広がる。コルソンの推測どおり、「木と泥」では600年以上にわたる石造建築の重みに耐えかね、基礎が揺らぎ、壁が傾くのも無理はなかった。
 不幸中の幸いは、泥炭のさらに下層は硬質の砂利層になっていることだ。この砂利層ならどんな重みにも耐えられる。問題は、基礎から砂利層までの3メートル弱の隙間をどうやって埋めるかだ。
 ジャクソンの呼びかけで、水中建築において定評のある建築技師、フランソワ・フォックスがこの基礎強化プロジェクトに参加。フォックスは次の5つの措置を提案する。
 ①コルソンの提案どおり、壁を木の支柱で支えること、②奥内陣のアーチ天井を木の梁で固定すること、③南北の壁を鋼棒でつなぎ、壁の傾斜を防ぐこと、④壁内の小さな隙間や穴に液状セメントを流し込み塗り固めて強化すること、⑤壁は砂利層を基礎とするべく、新しい建材で基礎固めをすること。
 最も困難を極めたのは⑤の基礎の補強であった。まず、流木を切り外し、泥炭を掘り起こす。そして現在の床面から砂利層までの隙間を硬質の建材で埋めていくというのが計画であるが、泥炭を掘り起こすと同時に地下水が満ちてきて、水位は作業が可能なレベルのまま下がっていてはくれない。強力ポンプで水を吸い上げる方法は、泥炭だけでなく硬質な地盤をも削り取り、壁の倒壊をむしろ促す危険性をはらんでいた。
 ポンプを使わずに作業するにはどうすればいいか…、フォックスは考え抜いた末に突然ひらめいた。 「ダイバー(潜水士)ならできるかもしれない!」 こうして2人の潜水士が候補者としてウィンチェスターに召喚された。
*奥内陣―教会を人間の体と見立てた場合に頭の部分にあたる、祭壇や聖歌隊席の裏手となる部分。