
ロンドン中心部から西へ車で約2時間。 イングランド最古の都であるウィンチェスターからほど近い緑美しい穏やかな田園風景の中に、チャールズ2世が愛人と時を過ごしたとされる館、「レインストン・ハウス」がたたずむ。
17世紀当時のおもむきをそのままに留め、訪れる人を温かくもてなす隠れ宿ともいえるホテルを征くことにしたい。
17世紀当時のおもむきをそのままに留め、訪れる人を温かくもてなす隠れ宿ともいえるホテルを征くことにしたい。
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/秋穂ホートン・本誌編集部
客人を迎え入れてくれる薪の火
都会の喧騒を逃れ、静かな田園風景に身を置きたい。でもそこは荒涼とした大自然が広がるのではなく、人のぬくもりが感じられる場所であってほしい。そんな場所を求め、取材班は土砂降りの雨の中、灰色の空に覆われたロンドンから南西へ車を走らせた。目指す先は、壮麗な大聖堂でも知られるハンプシャーの町ウィンチェスターから2マイル(約3・2キロ)離れた場所に、63エーカー(約7万7千坪、東京ドーム5・4個分)の広大な敷地を有する「レインストン・ハウス」(Lainston House)だ。
走る車の水しぶきで前もよく見えない悪天候の中、M3をひたすら南に向かって走ること、およそ1時間。取材の行く末をやや不安に思いながら、雨空を恨めしく見上げてしまうが、唯一の救いは目的地の方向にある西の空が明るかったことだ。
M3を下り、しばらく走ると突然、晴れ間が空に広がった。生け垣の向こうには、冬だというのに緑をたたえる牧草地と、そこで馬がのんびりと草を食む光景が目に飛び込んでくる。雨上がりでしずくが太陽の光を受けてキラキラと輝く木立の田舎道に、自然と心は躍りだす。空気も都会のそれとは違い、体中の細胞が生き返るような気持ちになる。
「レインストン・ハウス」と見落としそうなくらい小さく書かれた道路標識を横目に、さらに進むと、煉瓦造りの古いゲートが突如現れる。ゲートをくぐって坂道を上ると、瀟洒な赤煉瓦の館が姿を現す。初めての場所にもかかわらず、どこか懐かしい人の家を訪れるような錯覚に陥った。
扉を開けて真っ先に目を奪われるのが、玄関前にしつらえられた大きな石の暖炉と、パチパチと小気味よい音を立てて燃える薪の左右にズラリと並べられた「ハンター」(Hunter)の長靴だ。大人用から子供用までカラフルに勢ぞろい。思わず、「ただいま」と口にしてしまいそうになる。
次に、扉を開けてゲストを迎え入れるドアボーイの姿に目がとまった。着用しているのは、英国紳士のハンティング・スタイルを意識した制服。ツイードのハンチング帽と同じくツイードのベスト、コーデュロイパンツのスタイルだ。ハンチング帽はシルクハットをかぶっていた裕福な英国人が、より狩猟や乗馬に適した帽子を求めたことから生まれ、広まったものだが、実用性が高く安価だったため、庶民にも広く着用されたカジュアルな帽子でもある。『リラックスした空間でのくつろぎ』を大切にするホテルの姿勢がわかりやすく伝わってくる。
愛人の数は13人!「陽気な王様」チャールズ2世
■革命の難を逃れてフランスに亡命した後、王権復活を目指しスコットランドに上陸するものの、クロムウェル軍に敗北し、再び大陸へ亡命。1660年にイングランド王として即位するまでフランス、オランダ、ベルギーなどを転々とする苦難に満ちた亡命生活を送ったという。
■即位するまでがあまりにも苦難の連続だったためか、即位後は大いに遊び、放蕩を尽くした君主とされている。1662年にポルトガルの王女キャサリンと結婚するものの世継ぎは生まれず、次々と愛人を作った。その数は確認されているだけでも13人に上り、14人の庶子が認知されている。愛人や庶子に大盤振る舞いで叙爵や屋敷を与え、明朗快活だったとされる人柄から「陽気な王様」(Merry Monarch)と呼ばれ、人々に親しまれた。
■ちなみにチャールズ2世の死因は美食と放蕩からくる痛風が原因の腎臓病だったとされている。
王と愛人の密会場所
現在のレインストン・ハウスの本館建物は17世紀後半、チャールズ2世の依頼を受けて、建築家クリストファー・レンによって設計されたという。クリストファー・レンは1666年に起きたロンドン大火で焼失した、セント・ポール大聖堂の復興にあたったことでも有名である。その頃の英国にあっては、間違いなく名実ともにトップの建築家だった。1683年、チャールズ2世はウィンチェスターに新しい宮殿を造営するようレンに命じ、レインストン・ハウスはその一部として手がけられたと考えられている。しかし、現在は遺跡として形を残す敷地内の礼拝堂の起源は12~13世紀に遡るとされる。また、邸宅の基礎部分からも、レインストン・ハウスの前身が中世の時代からの住居だったことがわかるという。
ところで、「レインストン」(Lainston)の名前は古語の「レオフワインズ・トゥン」(Leofwine's tun)に由来するとされている。トゥン(tun)は『囲い地』を意味し、レオフワインは当時、きわめて人気の高い名前だったという。さらに細かく語源をたどると、レオフ(Leof)は『親愛なる人』を意味し、ワイン(wine)は『友達』を意味する言葉だったとされる。またレインストンは「Leynstone」と綴られたこともあり、こちらは『豊かな田畑の農場』を意味するという。いずれもその名前の由来を納得させてくれる風景がホテルの窓の外には広がっている。
チャールズ2世は1685年に亡くなるまでこの館をたびたび訪れ、愛人で、同王への積極的な『おねだり』のすえにポーツマス公爵夫人に叙せられたルイーズ・ケルアイユと親密な時間を過ごしたともいわれている。
邸宅を含むレインストン・ハウスの敷地は直轄の王領地ではなく、1613年以降、弁護士のアントニー・ダウリーの所有だったとされ、およそ100年間にわたり、ダウリー家の所有下にあった。アントニーの曾孫にあたるヘンリー・ダウリーが1703年に亡くなるまで邸宅の増改築に心血を注いだが、熱心なあまりに資金が底をつき、残された家族は邸宅を1711年、手放してしまう。現在、私たちが目にするホテル本館の姿の多くはヘンリーの時代に整えられたものだという。
売りに出された邸宅は、廷臣であり外交官だったフィリップ・メドウ卿の手に渡る。しかし、メドウ卿は外遊のためほとんど領地に滞在することはなく、10年後に再びレインストン・ハウスは売りに出されてしまうのである。
そして、ある美貌の女性が館を訪れたがゆえに、後に社交界を揺るがすような大スキャンダルに発展する事件が起こることになるのだった。
鷹匠とともに鷹狩り(falconry)を楽しむ
■バサーっと薄茶色の羽を広げるたびに、迫力のある羽音をたて、白いやわらかな羽毛を空に舞わせる、ルーラちゃんはワシノスリ(Chilean Blue Eagle)という種類の鳥だ。立派な外見からはそうは見えないが2歳とまだ幼く、羽がすべて生え変わるまでは本格的に空を飛ぶことはできないという。
■鷹狩りは餌を載せた専用のグローブを身につけ、鷹を空に放ち、ウサギやリス、小鳥などの小動物を捕らえさせるスポーツで、鷹が大空を舞うその姿を愛でることも醍醐味の一つだ。鷹や鷲などの猛禽類は約3.2キロ離れたところからでも獲物を見つけることができるという。「ちゃんと主人の元に戻ってくるの? そのまま飛んでいってしまわないの?」という心配も無用。万一、戻ってこない場合は取り付けられたGPSで追跡可能だという。
■鳥の気質は人間の個性と同じく千差万別らしいが、全体的には雌の方が『大人っぽい』ものの、繁殖期など時期によっては『気分屋』になるそうだ。人間の場合とよく似ている!?
■驚いたのは、夜行性とばかり思いがちなフクロウが昼間の狩りに登場する点。ジュディさんいわく、黄色い目のフクロウは昼間でもよく獲物が見えるとのこと。癒し系動物として最近は日本でもブームのフクロウだが、その雄々しい一面に本来の姿を垣間見ることができるだろう。
美貌の貴婦人の秘密婚
事件は1744年、エリザベスが叔母を訪ねて同邸に滞在していた時に起こった。時を同じくして邸宅に滞在中だった若い海軍将校アウグスタス・ハーヴェイ(後のブリストル伯)と熱烈な恋に落ちたエリザベスは、ある真夜中の晩に、敷地内の礼拝堂で秘密裏に結婚式を挙げてしまったのだ。エリザベスは弱冠23歳。若かった2人がこの結婚は過ちだったことに気づくまでそう長くはかからなかった。
ハーヴェイは軍務で英国を離れる期間が長く、エリザベスもウェールズ皇太子妃の侍女となったために『既婚』であることは非常に都合が悪かった(宮廷の侍女は未婚が出仕の条件だった)。ハーヴェイは当初『離婚』を希望したが、エリザベスは侍女の職を失うことを恐れ、『婚姻無効』で何事もなかったことにして幕引きを図ることにしたのだった。
その後、エリザベスは華やかな宮廷生活を楽しみ、キングストン・アポン・ハル伯爵の愛人となる。1769年、長年の愛人生活を経た後、晴れて伯爵と結婚できた彼女は『愛』と『地位』を同時に手にし、幸せの絶頂にあったかもしれない。しかし、その幸せは長くは続かなかった。
結婚してわずか4年後に伯爵が他界。エリザベスを溺愛していた伯爵は全財産を彼女に譲るとし、他の親族には何も残さなかった。そして、このことを恨んだ甥のエヴェリン・メドウがエリザベスを「重婚」の罪で法廷に訴えたのだ。この事件は当時の社交界を揺るがす一大スキャンダルとなった。「貴婦人の仮面をかぶった金目当ての女なのか!?」―多くの人が裁判の傍聴に詰めかけ、新聞でも大々的に報道されたという。
そしてエリザベスは有罪の判決を受ける。烙印と投獄から逃れるために、エリザベスは財産とともに慌てて英国を去り、以後、1788年にフランスで亡くなるまで母国の地を踏むことはなかった。
ちなみに、エリザベスを訴えたエヴェリン・メドウはレインストン・ハウスを所有していた先述のフィリップ・メドウ卿の孫にあたる人物でもある。ここに因果めいたものを感じるのは筆者だけではないだろう。
その後邸宅は何人もの所有者を経て、1981年に宿泊施設として開業する。当初は14室の小さなホテルとしてスタートしたが、徐々に拡張。1983年に英国各地で高級リゾートホテルを経営する「エクスクルーシブ・ホテルグループ」(Exclusive Hotel Group)の傘下に入り、現在に至っている。
鷹狩りから散策まで自由自在
また、敷地内ではないものの近くには近代フライ・フィッシングの発祥地であり、ニジマスやサーモンなどの漁場として世界的にも有名なテスト川とイッチェン川が流れており、フィッシングも堪能できる。
一方、スポーツは苦手という方でも敷地内を散歩するだけで十分にリフレッシュできるはず。フロントで地図をもらい、我々取材班も雨上がりのみずみずしい空気の中、散策に出かけた。 まず、訪れたいのが邸宅のすぐ脇にある聖ペテロ礼拝堂跡だ。春には色とりどりの花を咲かせるだろう草木の中に12世紀当時の石壁がそのままの姿を留め、風情を感じさせる空間だ。聖命祝日にあたる6月29日には天気が許す限りではあるが、『屋外』礼拝が行われるそうだ。
駐車場の中心に位置する「サンディアル・ガーデン」(Sundial Garden)は生垣に覆われた庭でバラやラベンダーをはじめ多くの草花が植えられている。ホテルで飾られる花はここで摘まれ、ラベンダーは客室の匂い袋に用いられるという。ホテルのマスコット的存在である5羽のかわいいアヒルたちの姿もここで見ることができる。
駐車場脇の小さな扉をくぐると、「キッチン・ガーデン」(Kitchen Garden)があり、およそ40種類の野菜とハーブが植えられた菜園と果樹園が整然と広がっている。日本の水菜も栽培されていた。シェフの食材に対するこだわりを感じさせる場所でもあり、後に控えた食事が俄然楽しみになる。
木のぬくもりを感じさせる部屋
再び、ホテルの中へと戻ろう。2つの対照的な雰囲気のラウンジがレセプション・ホールを囲むように設けられている。華やかな壁紙で明るい色調のラウンジと、重厚な木目調のバーラウンジ「シーダー・バー」(Cedar Bar)だ。気分に応じて選ぶことができるが、オススメは、長さ0・75マイル(約1・2キロメートル)に及ぶ菩提樹の並木道「ライムツリー・アベニュー」(Lime Tree Avenue)を一望できるシーダー・バーの窓側の席だろう。この並木は1716年頃に植えられたとされ、菩提樹の並木道としてはイングランド一の長さを誇る。その眺めはまさに『壮観』という言葉がふさわしい。続いて、客室を見学。アンティークのタペストリー(装飾用壁掛け)が飾られた廊下を通り、最初に案内されたのは19世紀に増築されたノースウィング(北棟)にある「エクスクルーシブ・ジュニア・スイート」の部屋「グリーンウエル(夾竹桃)」。ちなみに、客室のほとんどが木や花の名前にちなんで名づけられている。
2階の屋根裏部屋を改造したこのスイートルームの窓からは礼拝堂跡や美しい庭園を眺めることができる。部屋には四柱式のベッドのほか木目が美しいカントリー・スタイルの家具が置かれ、中世風の梁(はり)が落ち着いた雰囲気を演出するのにひと役かっている。
豪華で広々とした造りの浴室には、バスタブと高機能シャワールームがゆったりと配され、旅の疲れを心地よく癒してくれるバスタイムが待っていそうだ。浴室のバスタブにはホテルで飼育するアヒルを象徴してか、ホテルのマークが入った黄色いラバーダックが置かれている。洗練されたバスルームとキッチュなラバーダックというユーモラスな対照、ゲストをクスっと笑わせようとする演出も、ホテル側の細やかな計算に基づくものなのだろう。
次に案内されたのはよりリーズナブルなカテゴリー「デラックス・ゲストルーム」の「サウス・ロッジア」。
こちらは、「離れ」と呼ぶべき建物の地上階にあるツインの部屋だ。前述の部屋とは異なり、よりモダンで華やかな内装になっている。部屋から直接庭に出ることもできるので、季節のよい時は礼拝堂を眺めながらのお茶や、庭での夕涼みと洒落込むのもよさそうだ。
なお、ホテルではゲストに快適な眠りを届けるために、5種類の枕が用意されている。自分の好きな硬さや高さ、素材の枕を選べるのもうれしい心遣いといえる。
美しい木彫りの調度品に囲まれたバーで過ごす、贅沢な時間
「シーダー・バー」(Cedar Bar)
■1930年の大嵐で倒れた敷地内のヒマラヤスギ(cedar)が、内装に使われていることから「シーダー・バー」と名付けられたという。古木を偲んだ記念プレートも菩提樹の並木道を見下ろすバーの窓辺には飾られている。木への愛情がたっぷりとつまった空間だ。
■バーの自慢のひとつは、コニャックをはじめとしたブランデーの品揃え。英国でもトップクラスとされるだけあり、中には1811年に遡る年代物も見られる。オリジナルのフレッシュカクテルも月替わりで登場。自家製の果物を使ったカクテルも試していただきたい。
気鋭のシェフが生み出す美食
レインストン・ハウスの大きな魅力のひとつは『食へのこだわり』にある。ホテル内にあるレストラン「アベニュー」ではキッチン・ガーデンで収穫される新鮮な野菜や果物をふんだんに使い、モダンヨーロピアンをベースとしながらも様々な食文化に刺激を受けた創作料理が味わえる。新鮮な地産食材を用い、五感を刺激する味でゲストの舌を楽しませてくれる。メニューには、用いられる食材名しか書かれていないため、「どんな料理が出てくるのだろう?」とこちらも想像力がかき立てられる。豆腐やしいたけ、柚子といった日本人には馴染みの深い食材もメニューには登場。「何料理? と聞かれても一言で答えられないのがこのレストランの特徴でしょうか」と給仕スタッフは微笑む。こちらの質問にはすべて丁寧に答えてくれるスタッフとのやりとりも重要なスパイスの1つとして食事に彩を添えてくれるだろう。食事の詳細は次頁をご覧いただきたい。
歌手のマドンナやマライア・キャリーといったハリウッド・セレブをはじめ、お忍びでこのホテルに滞在したことがある有名人は枚挙にいとまがない。「父ブッシュ」で知られるジョージ・H・W・ブッシュ元大統領は釣りと食事をお目当てに定期的に訪れるという。
緑豊かな自然に包まれ、美食に舌鼓を打ちながら、優雅なくつろぎの時間を過ごしたい方は、大聖堂が有名な中世の古都ウィンチェスター観光とあわせて、レインストン・ハウスにぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
The Avenue Restaurant
アべニュー・レストラン

Starter
塩漬けビーフ、赤キャベツのザワークラウト、玉ねぎのピューレ添え
Salt Beef, Red Cabbage Sauerkraut, Onion Puree

蛸のマリネ
Octopus, Chorizo, Pinenut, Basil, Green Chive

Amuse(付き出し)
葱とサツマイモのエスプーマ
Leak, Sweet Potato Espuma

Main
マスのソテー
Trout, Fresh Pappardelle, Wild Mushrooms, Leeks, Sorrel

牛ホホ肉の煮込みと豚バラのグリル
Beef, Smoked Bacon, Pumpkin, Celeriac, Onions

Dessert
ホワイトチョコレートのムース
White Chocolate Mousse, Mandarin Sorbet, Caramel, Pistachio

チョコレートとヘーゼルナッツのフィナンシェ
Chocolate Hazelnut Financier, Praline Ice Cream, Lemon Curd

Travel Information
※情報はすべて2015年2月16日現在のものです。
レイストン・ハウス Lainston House, an Exclusive Hotel
Hampshire SO21 2LT
Tel: 01962 776088 Fax: 01962 776672
www.lainstonhouse.com
アクセス
■車…ロンドン中心部から約2時間。まずM3へ。A34とまじわるジャンクション9でおり、A34を北方面(ニューベリーNewbury方面)へと走れば、途中で「Lainston House」への道路標識が出てくるので、あとはそれに従う。あるいは、標識を見落としてしまった場合は、A34→B3420→B3049と走ればOK。www.winchester-cathedral.org.uk
❷ ジェーン・オースティンズ・ハウス博物館 Jane Austen's House Museum
www.jane-austens-house-museum.org.uk
宿泊料金
マスター・スイート Master Suite 745ポンドエクスクルーシブ・ジュニア・スイート Exclusive Junior Suite 525ポンド
トラディショナル・ジュニア・スイート Traditional Junior Suite 485ポンド
デラックス・ゲストルーム Deluxe Guest Room 365ポンド
トラディショナル・ゲストルーム Traditional Guest Room 245ポンド
週刊ジャーニー No.869(2015年2月19日)掲載