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キーワード1:『衰退』の歴史

権力者の変遷に翻弄されたブドウ栽培

ワイン造りを中心に英国の歴史を振り返ってみると、大きく花開くのは1066年以降になってからだ。古代エジプトでは紀元前4000年頃、フランスでは紀元前600年頃からワイン造りが始まったとされることを考えると、かなり遅い幕開けといえる。
ただそれまでに、ワインとの接点が全くなかったかといえばそうではない。ローマ人による征服(43年)以前、グレート・ブリテン島の東部および南部に定住した一部の部族がワインを飲んでいたとされ、アンフォラ(ワインの保存・運搬に用いられた容器)や銀製のワイン・カップの発掘がこの事実を裏付けている。
ローマ人による統治下でキリスト教の布教が行われると、儀式で重要な役割を果たしたワインは、人々に広く受け入れられるようになっていく。一方で、ブドウの栽培も行われたと考えられているが、その規模や、ワインが造られたかどうかは解明されていない。
410年にローマ人が去った後も、聖職者を中心にブドウ栽培に尽力する者が現れてはいたが、地理的条件、土地支配をめぐる騒乱などの影響を受け、栽培が行われては途絶えるというパターンを繰り返している。
そのような中で、本格的なワイン造りの契機となる出来事となったのが、1066年のノルマン・コンクエスト(ノルマン人による征服)だ。
同年のヘイスティングズの戦いでノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服して王の座に就くと、フランスからワイン造りの経験を持つ修道僧や、日常的にワインをたしなんだ廷臣、兵士などが数多く移住。彼らは知識と経験、技術を活かしてワイン造りを始めた。1086年に著された土地台帳(Domesday Book)の記録によると、イングランドには42のブドウ畑が存在したとされる。それらは聖職者と密な関係で発展したと考えるのが自然だが、意外なことに、42のブドウ畑のうち修道院に属したのは12ヵ所のみ。残りのほとんどは貴族らが所有し、そこで造られるワインが、宗教儀式のみならず、歓待の酒として宴に花を添えたと考えられている。
ところが14世紀にヨーロッパで猛威を振るったペストがイングランドに上陸したことがブドウ栽培に打撃を与える。ペストにより、多くの労働力を失ったブドウ畑の所有者らは、稼働させるのが難しくなった農地を貸しに出したのだった。しかし、借り手側からしてみれば、長期的な生産計画の必要なブドウ栽培よりも短期で収穫でき現金に換えられる穀物を作る方が賢明であることから、農作物の転向が図られ、ブドウ畑の数は減少していった。
ワイン造りの終焉を告げたのは、1509年に即位したヘンリー8世で、イングランドを揺るがした一大離婚騒動がきっかけであった。最初の妃と離婚し、アン・ブリンとの再婚を是が非でも成し遂げたかった同王は、離婚を禁じるローマ・カトリック教会から破門される道を選択。自らが長となる英国国教会を誕生させると同時に、カトリックの修道院や教会も破壊してしまう。それらに属したブドウ畑は荒廃し、征服王ウィリアム1世がイングランドにもたらしたワイン造りの黎明期は終わりを迎えたのだった。



征服王ウィリアム1世の肖像画。同王の征服によって、イングランドでのブドウ栽培が本格的に始まった。
© National Portrait Gallery, London