野田秀樹新作舞台 NODA•MAP「正三角関係」世界配信決定
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堅牢な城塞都市から雅やかな王都へ

 エディンバラという地名の起源は、先住のケルト系ゴドディン人が「ディン・エイディンDin Eidyn」(丘の上の砦)を同地に築いたことに由来する。7世紀、イングランド北部を制圧していたアングロ・サクソン人の王国ノーサンブリアの軍勢がこの砦を陥落させると、彼らは同所に新たな要塞を造り、ノーサンブリアの英雄エドウィン王の名にちなんで「Edwin's Burgh」(エドウィンの要塞)と呼ぶようになった。それが後に「エディンバラEdinburgh」へと変化し、やがてそのまま街の名前になったとされている。ちなみに、この要塞とはエディンバラ城のことである。
10世紀に入ってノーサンブリアが滅びると、スコットランド王国はエディンバラを併合。以降、イングランドとの激しい抗争の舞台となり、堅固な要塞としてエディンバラ城の増改築が行われた。長い戦乱で破壊と再生が繰り返されたエディンバラの街がようやく穏やかな時間を手に入れるのは、300年以上経った1328年のこと。スコットランドはイングランドからの独立を勝ち取り、1492年に首都がパースからエディンバラに移されると、王都として急成長を遂げていった。
ところが1603年、運命が大きく動く。イングランドの君主エリザベス1世が独身のまま逝去したため、イングランド王家の血を継ぐスコットランド王ジェームズ6世が、イングランド王も兼ねることになったのである。イングランドではジェームズ1世と名乗ることになった新王はロンドンに居を定め、エディンバラに戻ることはなかった。君主不在が続き、エディンバラの政治的権威が徐々に衰えていく中、1707年スコットランドとイングランドがついに合併。スコットランド王国は消滅し、「連合王国の北の雄」の一都市としてエディンバラは新たな道を歩みはじめる。



16世紀のエディンバラの様子。エディンバラ城(左)、カールトン・ヒル(右上)、
アーサーズ・シート(右下)に挟まれた地に、街ができている。

 

富裕層は地上、貧困層は地下

 エディンバラが現在の街並みになるのは、18世紀後半である。他国に先駆けて英国ではじまった産業革命の波がこの北の地にも押し寄せ、当時、深刻な社会問題が発生していた――人口急増による住宅難と、貧富格差の拡大による治安の悪化である。
城塞都市としての歴史が長いエディンバラは城壁に囲まれており、また高台の上に広がる都市という特殊な地形条件もあいまって、限られた範囲の中だけで街は栄えていた。そのため、新天地を求めて大量に流れ込んでくる人々の居住スペースは、すぐに不足してしまったのである。そんな彼らに与えられた選択肢は2つ。既存の建物の「上」、あるいは「下」のどちらかに住むことだった。
この結果は、火を見るよりも明らかだろう。当然ながら上流・中流階級の人々や裕福な商人などは建物を増築することを選び、上階で暮らしはじめた。16世紀には2~3階建てであった家々は7~8階建てに姿を変え、中には14階建ての住宅も登場するなど、建物は急速に上へ上へと伸びていった。それに対し、貧しい人々や他国からの移民は地下に潜らざるをえなかった。貧しい者ほど、より地下深い部屋で生活していたという。陽の光が入らず、空気もこもり、じめじめと湿った小さな部屋に数家族が肩を寄せ合って暮らす光景は、さながら監獄、あるいは地下のスラム街の様相を呈していたのではなかろうか。
経済格差の拡大は、盗難や強盗といった犯罪の横行を促し、街の衛生状態も悪化の一途をたどっていく。さらには高くなりすぎた建物が崩壊して負傷者が出る騒ぎも起きてしまう。こうした劣悪な居住環境に頭を悩ませた富裕層の人々が打ち出したのは、「新たな街」の建設計画であった。現在のエディンバラは、プリンシス・ストリート・ガーデンとそのそばを通り抜ける鉄道を境にして、新旧の街並みが南北に分かれてたたずむ。要するに彼らは、今は公園となっている谷底を挟んだ向かい側に、都市計画に沿って整備された「ニュータウン(新市街)」を誕生させたのだ。ニュータウンの設計には、スコットランド出身である新古典主義の人気建築家ロバート・アダムなども携わり、裕福な人々が次々と移り住んでいった。

 

エディンバラ公爵って?

 1726年、グレート・ブリテン貴族のひとつとして「エディンバラ公爵」位が創設され、時の皇太子ジョージ2世の長男に授けられた。以降、王族直系の長子が襲爵することになる。1760年、ジョージ3世が即位すると、エディンバラ公は国王が兼ねることになったため、改めて王弟のウィリアム王子に「グロスター=エディンバラ公」を授けるが、男子に恵まれず廃絶となった。
1866年、連合王国貴族のひとつとして「エディンバラ公」が復活し、ヴィクトリア女王の次男アルフレッド王子に授爵されるものの、男子が早世し再び廃絶。
1947年、エリザベス2世と元ギリシャ王族のフィリップ殿下=写真=の婚儀で、エディンバラ公爵位がフィリップ殿下に授爵された。殿下の死後は、同公位はチャールズ皇太子によって一旦継承されるが、王冠に統合されてしまうため、王弟エドワード王子が新たなエディンバラ公に叙される予定。