王室より長い歴史を保持

 ビリングズゲートの現在地での歴史は前述の通り32年だが、発祥までさかのぼると、ロンドンで最も古い市場のひとつといえる。この市場で商いに携わる者に場所代が課せられた記録が残る1016年を起点としても、通算で千年近い歴史を誇る。この1016年以前に、既に市場として定着していたと見るべきだろう。長さを比べれば、ノルマンディ公ウィリアム(ウィリアム1世/1066年に即位)を祖とする英王室の歴史に匹敵、またはそれ以上だ。
従来はロンドン・ブリッジに対して東側、つまりテムズ下流側に位置していたことから、船の係留や荷降ろしに便利な場として、重宝されたようだ。13世紀頃には魚のほかにトウモロコシや酢、塩なども荷揚げされていたことが分かっており、1400年にはヘンリー4世が市場での営業を許す代償として、場所代を課す決定をした記録がある。


1808年のビリングズゲートの様子を描いた版画。
市場専用の建物があるわけではなく、船着場で取り引きが行われていたことが伺える。


その後も、トウモロコシ、石炭、鉄、ワイン、塩、陶器、フルーツや様々な雑貨などを魚と共に取り扱って、大いに活況を呈した。16世紀頃までは魚に特化した市場というわけではなかったのが魚中心になったのは、1698年に「ビリングズゲートを魚全般を取り扱う、自由で開放された市場とする」という法律が議会を通過してから。これは、独占専売を行なっていた魚売り業者に規制をかけ、より多くの売り手が公平にビリングズゲートでビジネスに参加できるように環境を整えることを目的にしたものだったという。しかし、この法律の制定後もウナギだけは例外で、当時テムズ河に船を停泊させていたオランダ人漁師にのみ、専売が許可されていた。その理由は、ロンドン大火(1666年9月に起きた大火災)の折に、オランダ人漁師たちがロンドン市民に食べ物を供給してくれたことへの見返りだったといわれている。

 


ビリングズゲート魚市場がロワー・テムズ・ストリートにあった時代、
ポーターは独特の皮製の「ヘルメット」を着用していた。
このヘルメットは、ヘンリー5世(1387~1422/在位1413~22)の
弓兵がかぶっていたものがモデルとされている。

 

古き良き英国の姿をとどめる場所

 魚介類や水産物加工品専門の市場となってからも、19世紀中頃までは、市場として決まった建物はなく、ビリングズゲートの船着場や桟橋辺りの空きスペースのあちらこちらに建つ、露店や小屋で商品が売られていた。しかし、これでは効率が悪い。取り扱われる量が増えるに従って、市場として、取り扱い業者すべてが一つ屋根の下に集うことのできる大規模な建物の必要性が唱えられるようになる。
1850年、ビリングズゲート市場のための最初の建物が、テムズ河岸のロワー・テムズ・ストリートに完成。しかしながら、この建物はすぐに魚市場には不向きであることが判明、1873年に取り壊されてしまう。
この失敗の後、2代目の建物の設計は慎重に行われた。タワーブリッジやスミスフィールド市場の設計で知られるシティ・オブ・ロンドンお抱えの建築家、ホレース・ジョーンズ卿に設計を依頼、建設が行われた。
ジョーンズ卿を選んだのは正解だった。この2代目の建物は、内部は魚の卸売りに必要な条件を考慮して、鉄骨を生かしたアーケード型の実用的なマーケット・ホールとなっていたが、外部はフランス・ルネッサンス風のマンサード屋根を施したデザインで、今もグレードⅡの歴史的建造物の指定を受けて保存されるほど美しい建物に仕上がった。また、サイズとしても19世紀当時では世界で最も大きな魚市場だったという。
しかしながら、せっかく建て直しまでして1877年に再オープンさせたにもかかわらず、次なる問題がもちあがる。ロワー・テムズ・ストリートが交通量の多いA3211線とつながっているという立地に対して、批判の声が聞かれるようになっていく。ビリングズゲート魚市場が、大都市ロンドンで交通の妨げになっているというのだ。とはいえ、これだけの規模の市場を移転させるのは容易なことではない。移転が本格的に検討されるのは、1970年代になってからのことだった。




上は、1876年当時のビリングズゲート魚市場(「Illustrated London News」より)。
下は現在の姿。建物の右上方に風見鶏ならぬ「風見魚」
(厳密には、「魚」ではなく「黄金のイルカ」)が輝いているのが見える。© Keith Jones

 

1982年1月16日、ビリングズゲート魚市場はついに再閉鎖の憂き目にあうこととなる。実際の移転作業中、魚の卸売りはストップするわけだが、ロンドンの外食産業に及ぶ影響は最小限にとどめねばならない。新しい魚市場の建物の完成を待ち、一斉に『引越し』を行う方法がとられた。
かくして3日後の1月19日、新ビリングズゲートの門が開き、ビジネスが再開されたのだった。移転に際し、旧市場で商品搬出の始まりの合図に使われていた古い鐘も新しい場所へ移された。また、旧魚市場の建物は、2千2百万ポンドでロンドン・エジンバラ・トラストに売却され、現在はイベント会場として使用されている。
かつては、ビリングズゲート魚市場といえば、冒涜やののしり、口汚い言葉が飛び交う場所として悪名高かったといわれるが、現在の市場を歩いてみても、その名残は、少なくとも我々一般客には感じられない。逆に、卸業者のトレードマークである白衣をまとった、売り手の人々の対応ぶりからは、丁寧で礼儀正しいという印象すら受ける。国際化で変貌していく英国社会の中で、卸市場のような保守的と見える世界は意外にも、古き良き英国の姿をとどめる場所として残っていくのかもしれない。

 

市場を案内してもらった魚の達人!
立石和大(たていし・かずひろ)さん

◆語学留学で英国に来たものの、最初のバイト先が魚関係だった縁で魚にどっぷりとはまり、以来魚一筋の人生という立石さん。2001年に日系卸業の会社から独立し、みずからロンドン市内の日本食レストランや寿司店に魚を卸すビジネスを開始、今日に至っている。

◆独立前からの期間を合わせれば「ビリングズゲート魚市場利用歴」27年の大ベテランだ。ビリングズゲート魚市場には、約100軒の店やスタンドが軒を連ね、例えば専門が同じ店であっても、値段も違えば(それほどの大差はナシ)対応の仕方も異なる。また、相手が一般客と見ると、大柄に対応したり、残念ながら古い魚を売りつけようとしたりする店も皆無とは言えないようだ。今回の特集にあわせて、日本人の好みを分かってくれている、一般客でも買い物のしやすい店をアドバイスしてもらった。

◆市場内の業者相手にはもちろん顔パス。立石さんの顔をみれば、「活きのいいのが入ってますぜ」と、こちらから頼まずとも向こうから品物をどんどん出してくれる。商売上のつきあいとはいえ、それだけではない強い信頼と絆が立石さんと市場の業者さんたちとの間に感じられた。立石さんの背中が、ずいぶん昔に見た板前修業ドラマの中で築地市場での買出しシーンを演じる梅宮辰夫のそれとだぶってしまった。筆者の個人的感想は…「市場男子ってかっこいいかも?」。

魚市場が休業となる日・月曜(漁が休みである日曜日の翌日なので休業)以外は、午前2時に起床し市場に向かうと話す立石さん。業務は拡大中で、注文によっては、ニュー・スピタルフィールズ野菜市場、スミスフィールド肉市場にも出向き、仕入れを行っているという。またパットニーでは日本食レストラン「ともえTomoe」292 Upper Richmond Road, SW15 6TH / Tel: 020 3730 7884 / www.tomoe-london.co.uk(ランチ・ディナーともに火~日曜営業)を営業中。お刺身、寿司のレベルの高さは言うまでもないだろう。一品料理も数多く揃った居酒屋スタイルだが、子供さんも大歓迎とのこと。