忘れられることを恐れた晩年
そのほか地下には、エリザベス夫人と長男ジョンの碑も並ぶ。病弱だった長男は38歳で死去し、夫人も1815年にソーンを残して病死している。夫人の死後に作られたこの地下室は、悲しみに沈むソーン自身に慰めを与える空間なのだろう。老いたソーンはその後も1人でこの建物に暮らしながら、「今日も1人で夕食!」と日記に書き込んだりしている。
夫人の死後、ソーンはクリスマスを毎年風景画家J・W・ターナー一家のもとで過ごしたという話も残っており、寂しい晩年だったことが容易に想像できる。
ジョン・ソーン博物館所蔵のターナーの作品『Admiral Van Tromp's barge』。
そのかたわらで、ソーンの蒐集癖と改装趣味は、悲しみを紛らわすかのように年々度合いを増していった。
建築界への貢献が認められ、78歳でサーの称号を受けたソーンだが、老いてからの彼は英国の建築界に不満を募らせていたという。流行が変わり、ソーンの建築プランが却下されるようになっていたのである。
自分のこれまでのキャリアは、後世に忘れ去られてしまうのか。
ソーンは怖れた。産業革命の影響でめまぐるしく変わるロンドンの街にあっては、大規模な建築物ですらも簡単に壊され、永遠の命を保つことができないことをソーンは痛いほどに知っていた。
自分のこれまでの業績をきちんと残したいという想いは、やがて、自分が死んだら遺産相続の権利を有する次男のジョージは、コレクションを散失させてしまうだろうという恐怖に発展した。
長年敵対関係にあったジョージ(右頁右上のコラム参照)が、売却目的にコレクションに手を付けることができないよう、1833年にソーンは個別法律という法に則り自宅を博物館として登録する。自分の死後も存命当時の状態を保持しつつ、これを一般公開するという条件だった。
博物館はできる限り当時の状態を保持することが法律で定められているため、1837年にソーンが83歳で息を引き取って以来、修理以外の目的で建物が大きく改築されたことも、コレクションが増やされたこともないという。後世に名を残すことに執着したソーンは、ついに館内の時を止めてしまうことに成功したのである。
TRAVEL INFORMATION 情報は2014年2月17日現在のもの。 |
ジョン・ソーン博物館 開場時間 入場料 高額であったため、大英博物館も購入をあきらめたというセティ1世の石棺。ソーン博物館の地下1階に横たえられている。 ●やがて、係員から携帯電話のスイッチを切るよう、大きな荷物はビニール袋に入れて手に持つようにと注意を受け、数分のうちに中に入ることができた。さらに入口ではビジター・ブックにサインを求められ、ガイドブックを勧められる(5ポンド。もちろん辞退可)。ちなみに渡されるビニール袋より大きな荷物は、奥にあるクローク・ルームで、預けることになる(無料)。この場合はビニール袋に貴重品のみを入れて見学すればOK。 アクセス 特別展のご案内 淡い光の中に浮かび上がるコレクションの数々 ■毎月第1火曜日は「キャンドル・ナイト」の名のもと、博物館が午後6時から9時までの夜間に特別オープンする。電気のない当時のままの状況を再現するため照明は極力抑えられ、至る所にキャンドルが置かれる。 © Japan Journals Ltd |