自宅を一大作品に完全改装

 冒頭の、ソーンの肖像画が掛けられた居間を一歩出ると大きく雰囲気が変わる。
部屋と呼ぶのも憚られる、単なる通路のような狭い空間に、小さな机と椅子が設置してあるのだが、ここはソーンの書斎兼ドレッシング・ルーム=写真左=だという。圧巻は壁を覆い尽くす古代ローマ遺跡の破片の数。明かり取りのためのステンドグラスがある以外は、どこを見ても高い天井ぎりぎりまでオブジェが並ぶ。
これらは、ソーンが尊敬する師であるヘンリー・ホランドが死去した際に譲り受けた物だそうだが、ほかの見学客とすれ違うこともままならない細長いスペースに並ぶ考古学資料の列を見ていると、ソーンの子供たちは幼い頃、家の中で走ることを禁じられていたのではないかと想像せずにはいられない。
しかも、この尋常ではないコレクションの展示密度に対する驚きは、奥へ進むにつれて強まるばかりだ。ソーンは館内をすべて自分の手で改装し、最終的には両隣りの家とも行き来ができるように奥で繋ぐなどし、外観を残して中はそっくり変えてしまったのである。
左へ進むと古代ローマの柱や彫像が並ぶコロネード(柱廊)、右へ折れると絵画の部屋(Picture Room)。その脇にある石の階段を下りるとエジプト王の石棺がある地下へ辿り着くのだが、どこへ進もうと、オブジェが鈴なりの高い壁に四方を囲まれるため、自分がどこにいるのか、まるで迷路の中をグルグル回っているような感覚に襲われる。
それに加え、スペースが広く見えるようにと、万引き防止に使われるのと同じような丸鏡が、いくつも設置されており、これがまた空間に不思議な効果をもたらしている。これらの鏡は後世になって付け加えられたのではなく、ソーンの設計によるものだ。
ソーンは鏡のほかにステンドグラス、採光窓をはめ込んだドーム式天井などを駆使し、暗くなりがちな内部に可能な限り光を取り入れようとした。中でもドーム式天井はソーン建築の特徴でもあり、イングランド銀行をデザインした際にも使われている。夫人のエリザベスが好んで使用した朝食用の部屋にはそのミニチュア版といわれる見事なドーム型天井が施されている。彼はコレクションを蒐集する一方で、自宅改造を他の建築プロジェクトの試作に当てていたのかもしれない。
よく言えば情熱的、悪く言えば思い込みの激しいソーンは、数ある芸術ジャンルの中で建築こそが最も優れたアート形態だと考えていた。そして建築を一種の総合芸術の位置まで高めることを目指したという。現代アートのインスタレーションの手法と同様に、建物の内部空間自体を一つの「作品」にしようとしたのだともいえる。そうしてみると、ソーン博物館が体系立った収蔵・展示方法をとらない、時代やジャンルが複雑に絡み合った不思議な空間であるのは、ソーンが意図した形としてうなずける。
そうであれば、総合芸術を構成する一つ一つの展示品に関して語るのは野暮なこと。しかしながら、漫然と眺めるだけではつまらないので、博物館内の代表的な見どころをあげてみよう。

英国の電話ボックスのデザインは
ソーンの◯×△がモデル!

【問い】数こそ少なくなったとはいえ、郵便ポストやダブルデッカー・バスと並び、今でも街角を彩るロンドン名物の一つとして数えられる赤い電話ボックス。これをデザインしたのは国会議事堂を設計したことでも知られる、英国の建築家ギルバート・スコット(Giles Gilbert Scott 1880~1960)。スコットがデザインの着想を得たのは何から?


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【答】デザインを依頼された当時、ソーン博物館の理事になったばかりだったスコットは、ジョン・ソーンがデザインした、ソーン家の廟に着想を得て電話ボックスを作り上げた。ーーということで、「◯×△」の部分に入る言葉はジョン・ソーンの「お墓」。赤い電話ボックスのドーム屋根は、キングス・クロス/セント・パンクラス駅からほど近い場所に位置する、セント・パンクラス・オールド・チャーチ(St Pancras Old Church)内にあるソーンのお墓のドームから来ているのだ。なお、ここにはソーンの愛した妻、長男、そしてソーン自身が眠っている。ソーンが所蔵した、ホガースの連作絵画『放蕩一代記』を地でいくような生涯を送り、ソーンと折り合いの悪かった次男(本文と12頁のコラム参照)だけは、別の墓に葬られた。