伯爵の信頼を得た褐色の肌の少女

 話は前後するが、1920年代に一般公開がスタートするまで、ケンウッド・ハウスの住人たち(初代~6代マンスフィールド)は実際どのように暮らしていたのかを見てみたい。映画『ゴスフォード・パーク』などでも描かれたとおり、主人一家と使用人たちという階級の上下が厳しく設けられ、くっきりと棲み分けられていたはずだ。多くの人が階級制度の重みにあえぎながら生きていたこの時代、ケンウッド・ハウスで独特の位置を占めた人物がいる。
初代マンスフィールド伯が奴隷制の解体に寄与した法律家だったことはすでに述べたが、彼に影響を与えたのではないかと思われる、ある女性がいる。名を、ダイド・エリザベス・ベル(Dido Elizabeth Belle)=下の肖像画の左側=という。

 


© English Heritage

 

 ダイドは1761年に英領ハバナに生まれた。父親のジョン・リンゼイ(John Lindsay)はマンスフィールド伯の甥で、当時24歳だったが、七年戦争のため英海軍の軍艦「HMSトレント」号の艦長として西インド諸島に派遣されていた。そしてダイドの母親はというと、英戦艦と交戦したスペインの奴隷船から略奪された、アフリカ人奴隷だったのである。
リンゼイは生まれた娘を本国の叔父、マンスフィールド伯一家が暮らすケンウッド・ハウスに送った。子供のなかった伯爵夫妻は、母親を亡くした姪孫エリザベス・マレー(ダイドにとっては1歳年上の又従姉にあたる)=同右側=を引き取って養育していたが、マンスフィールド伯はダイドを、エリザベスの遊び相手に、成長したあかつきには彼女の私的な付き人(メイドというよりは、コンパニオンに近い存在)となるよう教育した。
しかしながら、リンゼイの血を引くとはいえ、ダイドはまぎれもなく奴隷の娘。それも英国外で使役される奴隷の娘ということで、非常に特異な存在となっていた。
マンスフィールド伯は自身の高等法院首席判事という立場を使い、ダイドの法的・社会的地位や扱いに対する批判をかわしつつ、事態の収拾に成功する。やがて、「サマセット事件」と呼ばれる奴隷逃亡事件を扱うことになった同伯は、そもそもの奴隷という存在に疑問を投げかけ、奴隷制廃止のきっかけを作ったのだった。
さて、ダイドに話を戻そう。彼女は約30年間をケンウッド・ハウスで過ごした。この時代のことであるから、マンスフィールド一家から家族同然の扱いを受けたというわけではなかったようだが、ダイドが十分な教育を与えられたことは確かだ。また、彼女も聡明だったようで、期待に応えた。
成長したダイドは、裁判に関して大叔父の相談役(通常は男性秘書の役割)を引き受けるようにまでなる。さらに、ケンウッドの付属牧場(Dairy)=写真下=の監督も任され、家禽や家畜の管理にも携わった。
ケンウッド・ハウスから徒歩数分のところにあるこの牧場は2代目マンスフィールド伯が夫人のために建てたものである。当時、上流階級に属する女性の間で流行していた「農村遊び」用(フランスではヴェルサイユ宮殿の庭園内にあるプチ・トリアノンに作られた農場がそれにあたる)の小さな牧場で、夫人たちは乳搾りなどに興じたそうだ。この牧場は今も庭園内にあり、今回の改装事業で新たに甦り、現在はボランティア・スタッフたちの部屋として利用されている。

 

 

階級を越えた待遇

 ダイドの父親リンゼイは遺言によって1000ポンドを娘に残し、マンスフィールド伯も即金500ポンドに加え、毎年100ポンドを贈ることを遺言したうえで、彼女を奴隷身分から解放することを書き残した。ダイド自身がどんな人物であったか詳しい資料はなく、推測の域をでないことだが、ダイドが信頼され、大切に思われていたことは否めぬ事実であろう。そして、ダイドをわざわざ英国に送ったことから考えると、リンゼイはダイド(および、おそらくその母親)を愛していたのではないだろうか。階級社会の取り決めにがんじがらめになっていた、その時代にあって、それは許されることではなかったが、ダイドの肖像画の知的ですずやかな瞳を見ると、そう思えてならない。
また、大叔父のマンスフィールド伯も、ダイドに対し義務以上の務めを果たしているように思える。今年5月にはダイドを主人公にした映画「Belle」が公開されるといい、ケンウッド・ハウスでのダイドの日々がスクリーン上で展開されることになりそうだ。ダイド役をググ・ムバサ=ロー、若き父親リンゼイをマシュー・グッド、マンスフィールド伯をトム・ウィルキンソンが演じる。ただしロケ地はケンウッド・ハウスではないというのが残念なところである。

 

映画の中のケンウッド・ハウス
白亜の外観や重厚な内装は、ピリオド・ドラマ(英語でいう時代劇)のロケ地にぴったり。
また、北ロンドンという立地ながら、ハムステッド・ヒースのおかげでカントリー・サイドのような景色も同時に収録できることから、これまで多くの映画で取り上げられてきた。
ここではケンウッド・ハウスが登場する代表的な3作品を紹介しよう。

『ノッティング・ヒルの恋人/ Notting Hill』(1999年)
ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントが、ハリウッドの人気女優(アン)としがない本屋のオーナー(ウィリアム)に扮し、ロンドンでの偶然が引き起こした2人の関係を、随所に笑いをちりばめながら描いたラブ・ストーリー。互いにひかれあいながらも、マスコミによる騒動などで別れることを余儀なくされ、アンは米国へ帰国。1年が経過しても彼女を忘れることの出来ないウィリアムは、アンが撮影のためロンドンに戻って来たことを知り、ロケ地であるケンウッド・ハウスへ向かう。だが、時代ドラマの衣装に身を包んだアンと共演者の男性のあいだの会話を聞いてしまったウィリアムは、傷心のうちにその場を離れる…。白亜の館と緑のコントラストが印象に残るシーンだ。

『マンスフィールド・パーク/ Mansfield Park』(1999年版)
ジェーン・オースティンの同名原作を映画化。子沢山の貧しい家庭に生まれた娘ファニーが、伯母のバートラム一家の住むマンスフィールド・パークに引き取られるが、この一家の住むのがケンウッド・ハウス。優雅な暮らしを営む一家の中で「格下の親戚の娘」として扱われるファニーだが、彼女の真面目で素直な性格は、次第にバートラム夫妻の心をつかんでいく。18世紀の英国の准男爵の領内の邸宅として描かれるケンウッド・ハウスの格調ある内装は、映像に重みを加えている。なお、実際のケンウッド・ハウスも18~19世紀に「マンスフィールド」伯爵家の所有だったが、オースティン作品の登場人物と直接の関係はないようだ。ただ、マンスフィールド伯家族と暮らしたダイド・エリザベス・ベル(11頁参照)の立場が、主人公ファニーと重なるところもあり興味深い。

『101/ 101 Dalmatians』(1996年)
ウォルト・ディズニーのおなじみのアニメーション『101匹わんちゃん』の実写版。ダルメシアンの仔犬で毛皮のコートを作ろうと企む、グレン・クローズ扮する世にも恐ろしい女性、クルエラ・デ・ビルが住むのがケンウッド・ハウスという設定。クルエラはダルメシアンの飼主アニータが働くデザイン会社の社長という役回りだが、ゴージャスなファッションに身を包む彼女ならではの、豪華な邸宅として登場している。