ギネス家の財に救われた館

 レンブラントやフェルメール、ターナー、コンスタブルといった著名画家の作品が四方の壁を埋め尽くすように飾られたダイニング・ルームは、文句なく、グレート・ルームと並ぶケンウッド・ハウスの見所の一つだ。
名画を次々に購入することができたマンスフィールド伯爵家の力をまざまざと見せつける。―と思いきや、実はこれらの名画は、マンスフィールド家がケンウッド・ハウスを手放してから同邸にやってきたものだった。2代目マンスフィールド伯が1793年に新たに付け足したこの部屋には、もとは一族の肖像画が飾られていたに過ぎなかった。
20世紀に入って新たに法制化された相続税の導入により、マンスフィールド家はケンウッド・ハウスを次世代に受け継がせることが難しくなった。第6代伯爵は、泣く泣くケンウッド・ハウスの売却を決め、1922年には屋敷内の家具家財がオークションにかけられた。さらに、付近に鉄道駅が新設されるという噂が生じたため土地開発業者が群がり、ケンウッド・ハウスの広大な土地も次第に分割、売却されることになってしまう。
ケンウッド・ハウスとその敷地は、1754年以降、最大の危機に瀕していたといえる。
それを救うきっかけを作ったのは、地元の市民たちだった。一帯の貴重な森林、緑地が失われることを危惧する人々が、「Save Kenwood(ケンウッドを救え)」というポスターを掲げ、募金運動を開始。しかし、敷地の一部は1924年にケンウッド保存委員会により購入されたものの、すべての土地を確保できるほどの資金を集めることはできなかった。
ここで登場するのが、ギネス・ビール社会長の初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネス(Edward Cecil Guinness, 1st Earl of Iveagh 1847~1927)=下の肖像画=である。1925年、アイヴィー伯はケンウッド・ハウスと、買い戻しが済んでいなかった土地約30ヘクタールを購入した。
ケンウッド保存運動に同調しての行動のように見えるが、別の思惑もあったようだ。彼は当時すでに第一級の絵画コレクションを所持しており、家具家財が売り払われてしまい、何もないケンウッド・ハウスは、それらの名画を展示するのに都合が良かったのである。
鉄道駅の新設予定もアイヴィー伯の反対により撤回され、ケンウッド・ハウス周辺の緑地は保全されることになった。このわずか2年後の27年、同伯は死去してしまうのだが、彼はさらに大きなプレゼントを用意していた。ケンウッド・ハウスが、同伯の絵画コレクションとともに国に寄贈され、28年に一般に公開される運びとなったのである。ダイニング・ルームばかりではなく、グラウンド・フロアにあるコレクションのほとんどが、アイヴィー伯所有だったもの。危機を乗り越えたばかりか、ケンウッド・ハウスはこれ以降、市民の宝としての道を歩むことになる。

 

 


© English Heritage

 

ケンウッド・ハウス所蔵
必見!の名画3選

各部屋ごとに、時にはひしめき合うように並ぶ絵画コレクションの中から、 これだけは見逃せないと思われる名画3点を独断で選んでみた。①と②はダイニング・ルームに、③はグリーン・ルームに展示されている。(写真はすべて English Heritage)

 

①レンブラント・ファン・レイン作『パレットと絵筆をもつ自画像 Portrait of the Artist』(1661~62年)  パトロンが他界し、自宅も売り払うほどの貧困状態に置かれていた時期に描かれた、レンブラントの自画像(60代)。
②ヨハネス・フェルメール作『ギターを弾く女 The Guitar Player』(1670年頃)  寡作のため、世界に30数点しかないフェルメール作品のうちでも、最も有名な作品のひとつ。
③トマス・ゲインズバラ作『ハウ伯爵夫人メアリーの肖像Mary, Countess of Howe』(1764年)本国英国では風景画の方が人気のあるゲインズバラの手による肖像画。本人も「肖像画はお金のために描く」と公言してはばからなかったらしい。