甦った、名建築家の代表作 グレート・ルーム

 取材班が当地を訪れたのは、ケンウッド・ハウスの一大改修工事が完了して間もない、冬の日。暖炉の火が温かく燃えるエントランス・ホールを入り左奥にある、手入れの行き届いた英国式庭園に面する図書室は、見学ルートのハイライトの一つだった。
この図書室は「グレート・ルーム」とも呼ばれ、ロバート・アダムの内装作品の中でも傑出したものとされている。西側に突出した既存の温室(オランジェリー)とのバランスを取るため、屋敷の東側に3年をかけて増築されたこの部分は、「図書室」と名づけられたものの、客を招くサロンとしても活用されることを念頭にデザインされた。
高い天井を見上げると、見事な装飾画が施され、部屋をグルリと囲むようにして上まで続く本棚は、柔らかくカーブを描き、蔵書に囲まれている圧迫感を感じさせない。そして何より、今回の改装工事で本来の姿を取り戻したことが話題となっている。200年の間に塗り直しが繰り返されただけでなく、1922年からはオリジナルとは異なる色に塗り替えられてしまっていた天井や壁などが、アダムのデザイン通りの色に戻された。
専門家たちにより注意深く絵の具の層が剥がされ、当時どのような顔料が使われていたか、色合いだけではなく成分についても注意深く検証が行われたという。その結果、柱や天井の一部に施されていた、派手な金色が姿を消し、いずれもマットな質感の白と水色、そして淡い桃色に包まれた明るいイメージの空間へと再生を遂げたのだった。甦ったオリジナルのグレート・ルームと、ここ90年ほど、我々が見慣れていた図書室の違いの大きさには、驚きをかくせない。
筆者は取材時にこの色合いを見てウェッジウッドの食器を思い出したのだが、これは当時の人気デザイン様式である新古典主義の代表的なスタイルの一つだという。建築デザインばかりではなく、家具や食器など工芸の分野でもこの様式は人気を博した。ちなみに、ウェッジウッドもまた、この時代に創業された陶器メーカーだった。
なお、余談ながら、マンスフィールド伯は、大切な客人を迎えない時は、読みたい本を抱えて別の部屋に移動したという。天井の高いこの立派な部屋は、実際に読書の場として利用するにはかなり寒かったらしい。また、伯爵の不在時に限り、見学客は使用人の案内で図書室に入ることができたという。伯爵にとって自慢のスペースだったに違いない。
ところで、ロバート・アダムが影響を受けた新古典主義建築は、ヨーロッパで発展したスタイル。18世紀前半に発掘されたポンペイの遺跡がきっかけで古代への関心が高まっていた欧州、特に、それまで流行していたロココ美術があまりに甘美な装飾様式であったため、これを貴族主義的、退廃的と批判する動きが活発化したフランスで始まった。時はフランス革命前夜、また、米国では独立が宣言され、英国は産業革命のまっただ中である。そんな時代の空気が、過剰な装飾を排し、シンプルで男性的なギリシャ・ローマの古典様式を模範とした様式を生んだのだ。
ロンドンの大英博物館、パリの凱旋門やパンテオン、東京の国会議事堂といった建造物がこの様式で建てられている。 英国ではこの新古典主義は他のスタイルとの折衷で用いられることも多かったようだが、ケンウッド・ハウスの簡潔にし て堂々とした外観には、新古典主義の力強さが遺憾なく表現されているといえるだろう。

 



【写真左】アダムがデザインした当初の輝きを取り戻した図書室。© English Heritage / Patricia Payen
【同右】1922年から今回の改修前までは、金色がアクセントに使われる派手なデザインとなっていた。
決して趣味が悪いわけではないが、オリジナルと比べると違いは歴然。© English Heritage

 



ケンウッド・ハウスの庭側に面した外壁。
退屈な白壁にならないよう、美しい模様が施されている。

 

ロバート・アダムってどんな人

ケンウッド・ハウスの内装を任されたロバート・アダムは18世紀の人気建築デザイナー兼装飾家。彼にデザインを依頼すること自体が、一種のステイタスの一つだったと言われるほどで、本人は土地開発や工事も手掛けるやり手だった。
スコットランド出身のアダムは父親も著名な建築家であるうえ、兄弟4人全員が建築家として成功しており、天賦の才に恵まれていたのだといえる。20歳の時に父親が死去したため、エディンバラ大学を中退し、弟のジェームズと共に設計事務所を継ぐ。
しかし見聞を広めるために1754年から、4年間に渡りイタリアに滞在。ここで古代ローマやルネサンスの文化を吸収。特にローマでは古代遺跡をテーマにした版画家・建築家のピラネージ(Giovanni Battista Piranesi 1720~78)と知り合い、多大なる影響を受けた。
ポンペイなどの古代遺跡の調査も行い、帰国後にこれらの遺跡研究の成果を発表して名声を得、これが建築家として有名になるきっかけともなった。ロンドンのサヴォイ・ホテルのすぐそばに、アデルフィ(Adelphi=ギリシャ語で兄弟という意味)と呼ばれる端正な一角があるが、これはアダムが弟と共に開発した、時代の最先端をいく住宅地で、付近には彼らの名を冠したアダム・ストリートという通りもある。その8番地は英国に産業革命をもたらした起業家の一人、リチャード・アークライト(Richard Arkwright 1732~92)の住居でもあった。
彼と弟の優雅な新古典様式のデザインは世界的な流行を見せ、「アダム様式」という言葉が生みだされるまでに至った。ロバートが持病の胃病が原因で1792年に63歳で死去した時、葬儀はウェストミンスター寺院で行われ多くの貴族や政治家たちが出席した。結婚せず生涯独身を通したアダムは、その遺産を2人の実姉妹に残している。
また、彼が描いた多くのデザイン画は、同時期の建築家ジョン・ソーン卿(Sir John Soane 1753-1837)が購入。現在はジョン・ソーン卿博物館(13 Lincoln's Inn Fields, London WC2A 3BP)にその他のコレクションと共に所蔵されている。ちなみに、現代の王室メンバー、チャー ルズ皇太子も、ロバート・アダムのデザインのファンだという。