部屋に見立てた庭

 シシングハーストの庭は1938年から一般に公開されるようになったが、世間に広く知られるようになったきっかけは、ヴィータが1947年から始めた、英国日曜紙『オブザーバー』の園芸コラムだった。
ガーデニングに関する実用的なアドバイスが主であったが、同時に好きな植物に対するヴィータの情熱もほとばしり出ていた。特に、中世の古いタペストリーにあしらわれているような花、長い歴史を感じさせるような植物をヴィータは好んでおり、『ローズ・ガーデン』に見られるオールド・ローズはその一例だ。
『ローズ・ガーデン』が最も美しいのは6月後半から7月初旬。バラが咲き誇るかたわらで、石壁に沿って配されたイチジク、ブドウ、クレマチスが夏の陽光を謳歌し、土壌が見えないほど咲き乱れる花の色と香りで、むせ返るほどになる。
かたや、夫妻が暮らしていたサウス・コテージから見下ろす位置にある『コテージ・ガーデン』は夕焼けのイメージで作られており、赤や黄色、オレンジといった鮮やかな色の花が使われている。
『ハーブ・ガーデン』は、一般的なハーブ・ガーデンと違って台所から一番遠い場所にしつらえられているが、これは、ここのハーブが食卓への利用を目的としておらず、庭で香りと美しさを楽しむためのものだったからだと思われる。
そして、シシングハーストで最も人をひきつけているのが、全体を白で統一した『ホワイト・ガーデン』。もともとはバラ園だったが、バラが育ちすぎて手狭になったため、1949年の冬にバラを現在の『ローズ・ガーデン』へ移し、代わりに白い花や銀系の葉の植物を集めることにしたのだという。「部屋」としてのキャラクターが最後に確立された一画であり、詩的な舞台効果と園芸の専門知識や伝統的な手法が融合して、ヴィータとハロルドの狙いが最高の形となって現れた場所となっている。
『スプリング・ガーデン』は、接木されたライムの木とそれに沿った花壇が平行して並んで並木道を作り出しており、『ライム・ウォーク』とも呼ばれている。ここではハロルドが設計だけでなく植樹も担当した。ヴィータも、直角と直線の様子が(ロンドン地下鉄の)チャリングクロス駅のプラットホームのようだと評しつつも、この並木道をとても気に入っていたという。

 



シシングハースト内でも、特に人気の高い『ホワイト・ガーデン』
© National Trust Images/Jonathan Buckley

 

全身全霊をかけて続けた共同作業

 シシングハーストでは、「部屋」毎にテーマが異なり、花の盛りの時期も違えば、かもし出す雰囲気もそれぞれ異なることは既に述べた。それを意識したうえでの散策をお薦めするが、歩きながら、時折後ろを振り返ったり、横を見渡したりすることをお忘れなく。室内でドア越しに隣の部屋を覗くように、ひとつの庭から次の庭が垣間見え、新たな表情が発見できる。楽しみが増すような仕掛けがあちらこちらに施してあるのをみつけるたびに、喜びが積み重なっていくのを感じることだろう。
ハロルドは、直線的なレイアウトによって庭と庭を分断したり、結合させたりして、ヴィータのために様々な「部屋」を持つ「広い屋敷」を用意し、ヴィータがそれぞれの「部屋」を仕上げた。この二人の共同作業の全体像をつかむのに最適な場所は、コートヤードにある『タワー』の屋上だ。ここに登れば、庭とその先に広がるケントの景色を一望することができる。『イチイの小道(Yew Walk)』の直線的に美しく刈り込まれた生け垣やハロルドの幾何学的な設計を、その目で確かめていただきたい。

 



生垣と生垣のあいだに視線を走らせると、彫像など、
「何か」が目に入るよう工夫されている。

 

 さらに、『タワー』には、ヴィータが仕事場として使っていた書斎があり、当時の部屋の様子が再現されている。天気の良い夏の日には庭からの花の香りが窓から流れ込んできたことだろう。ヴィータはまた、同性愛の恋人もここへ招待していたそうだが、ハロルドは、自宅からは離れた場所で恋人と会っていたという。
また、『ライブラリー(読書室)』も必見だ。エリザベス朝時代に馬小屋として使われていたものを改築したもので、夫妻は「ビッグ・ルーム」と呼び、居間兼書斎として利用していた。置かれている調度品や壁にかけられたヴィータの祖先の肖像画などからは、夫妻がここでもノールの面影を追っていたことが見て取れる。庭と同様にこの部屋も、ヴィータが男に生まれなかったばかりに失った遺産の記録なのかもしれない。
ヴィータは結局、自らの資産をすべて、シシングハーストの再生につぎ込んだといっても過言ではない。晩年に体調を崩してからも、庭用の資金を稼ぎ出すために『オブザーバー』紙へのコラムを書き続けている。
ヴィータは、亡くなる前年にハロルド宛に書いた手紙に、「私たちはベストを尽くした。そして、どこにもないような庭を創りあげた」と書いた。1962年に亡くなった際には、後世に残るものを一生をかけて生み出したことに、深い満足を覚えていたに違いない。
先祖から引き継いできたものを失ったという喪失感と罪悪感を、シシングハーストという庭を生み出すための強いエネルギーに変えて昇華させたヴィータ。しかし、その燃える思いを支え続けた夫・ハロルドのヴィータへの愛も、計り知れないほど大きく強い。ヴィータに先立たれた後のハロルドは孤独と悲しみに打ちひしがれた。シシングハーストを訪れた人々は、頬に伝わる涙を拭こうともせず、庭に座るハロルドの姿を見たという。

 



庭の外にはレストラン、ショップ(素敵なお土産がみつかる可能性高し)のほか、
ビールの原料のひとつであるホップの貯蔵庫もある。
ちなみに、ケントはホップの産地としても知られる。

 

庭を流れる濠(ごうmoat)のほとりに佇むパヴィリオン(Gazebo)。ハロルドの亡くなった翌年、息子たちが父親をしのんで建てた。

 

夫妻の寝室や浴室があった、サウス・コテージの入り口。戸口の前に見えるイスに、ハロルドが座っていた写真が残っている。