市場を進化させた3つの転機

 

 市場の歴史はコラムに譲るが、バラ・マーケットは長い歴史の中で、ここ200年ほどの間に3つの大きな転換期を経て現在の形へと躍進している。
最初の転機が訪れたのは、19世紀。産業革命が進む中、鉄道の出現によりもたらされた。
1756年に青果卸売市場としてビジネスが形作られた同市場は、鉄道が走りはじめ、遠方からの輸送が比較的容易になったことから、英国カントリーサイドで育まれた野菜や果物などが各地からもたらされていた。18世紀に起きた農業革命の恩恵を受けて農作物の供給量も増しており、同市場にも多くの農作物が運び込まれると、ロンドンの卸商たちがこぞって足を運んだ。
また産業革命はロンドンの人口を大きく増加させていた。食の需要もますます高まっており、人や物資の流れの規模が飛躍的に増えると、バラ・マーケットは、街の移り変わりと足並みをそろえるようにして売場面積を拡大。ロンドンの重要な食の拠点として急成長した。
ところが20世紀後半には大手スーパー・マーケットが庶民の間で浸透したことにより、バラ・マーケットは第2のターニング・ポイントを迎える。
生活用品から野菜、生鮮食品までを一挙に取り扱う大手スーパー・マーケットは、文字通り、市場(=マーケット)を超える(=スーパー)販売店。そこにいけば何でもそろう便利さから、人々の生活にすっかり浸透し、一般市民の買い物事情は様変わりすることになる。
野菜は八百屋で、魚は鮮魚店で、という構図は崩れはじめ、精肉、魚介、野菜など、それぞれの専門店や小規模小売店は、スーパー・マーケットの勢いに押され徐々に衰退していた。卸売市場として機能していた同市場にも影響は及び、規模縮小は避けられない状況に陥っていく。

 

復活を支えた、食への情熱

 

 危機に瀕しつつあったバラ・マーケットを救ったのは、3度目の転機だった。
時は、21世紀を目前に控えた1998年。長期的な不況からの復活を経た英国では、人々の経済活動も活発になっていた。中流階級を中心とした市民らはスーパー・マーケットの画一的な商品に飽きたらず、「より美味しいもの」「体にいいもの」といった食への関心が芽生えていく。
こうした動きにあわせるかのように、生産農家が集まって市場を開くファーマーズ・マーケットが台頭しはじめる。生産農家が直接販売するスタイルは、生産者と消費者をより密接に結んだ。自らの育てた農作物に愛情を注ぐ生産者とのやり取りのなかで、市民らは、食に対する知識を高めていくのだった。
この流れは卸売市場として低迷しつつあったバラ・マーケットに再興のヒントを与える。
チーズを専門に取り扱う「ニールズ・ヤード・デアリーNeal's Yard Dairy」やスペイン食材専門店「ブリンディサBrindisa」などが集まって、一般に向けた小売販売のイベントを開催。消費者からの大きな手ごたえが得られると、1998年に「フード・ラバーズ・フェア」と題した、食をテーマにした一大イベントが開かれるに至る。英国内でも良質の食品を提供する生産者が一堂に集められた同企画は、人々の心をしっかりつかんだようだ。これまで青果卸売を主流としていた同市場が、トレーダー、消費者らの勢いに後押しされる形で小売の側面も担うようになり、食市場としてビジネスの拡大に成功した。
平日に開かれる卸売市場とは別に、月に1度、毎月第3土曜日は一般にも開放。それはすぐに毎週開催への運びとなり、くたびれた市場は、近隣の住民のみならず、ロンドン各地から訪れる食通らでにぎわうトレンディーな場所へと変貌した。常に新しい味を探求するシェフらも赴くなど、バラ・マーケットは英国食文化の発展の一翼を担う存在と認められるまでになった。



ロンドン中心部に複数の支店を持つ人気店になっている、
「ブリンディサ」=写真左=と、「ニールズ・ヤード・デアリー」=同右。

 

市場として発展したのは苦情のおかげ!?
なぜバラ・マーケットが英国一の歴史を誇る市場へと飛躍したのか。その理由の一端を、市場の立地にみることができる。

同市場は、ロンドンの金融街シティからテムズ河を渡った南岸のサザークと呼ばれる地域に位置している。今でこそ、 テムズ河にはタワー・ブリッジをはじめとした多くの橋がかけられ、鉄道が走り、最近ではゴンドラ(ロープウェー)=写真下=も 開通。対岸へと渡る手段は選び放題といえるほどあるが、18世紀中頃まではテムズ河にかかる橋はロンドン・ブリッジのみであった。 同エリアは人や物の玄関口として機能し、当然多くの人が集まり、活況を呈した。

穀物や家畜などを売ることを生業とする人には格好の場所。橋を行き来する人から利益を得ようと商人らが集まりはじめ、12世紀になると現在のバラ・ハイ・ストリートに沿って店が並び、市場が形作られていった。1276年の記録には、ロンドン・ブリッジが市場のために混雑するとして苦情が寄せられたことが記されているという。
同市場の運命が大きく決定づけられたのは、それからしばらく時を経た、1756年のことだ。通り沿いで行われ、大いな賑わいを見せていた市場での売買は、交通混雑を理由に、閉鎖を余儀なくされてしまったのだ。
ところが、この出来事がバラ・マーケットに大きな一歩を踏み出させるきっかけとなる。地元の市民グループは資金を募り、 通りから少し入ったところに市場を開くのに適当な場所を購入、そして市場営業の権利を得たのだった。こうして青果卸売市場とし てのビジネスが始まり、今日の姿へとつながる基盤が築かれていく。同市場が発展したのは、苦情によっていったん閉鎖されたおか げといえそうだ。



地下鉄ロンドン・ブリッジ駅側の入り口。