華麗なるレイトンハウス博物館内部
「ミュージアム」(博物館)と呼ばれてはいるものの、
建物自体が見事な美術作品という体をなしている、レイトンハウス。
レイトンの美意識の高さを感じつつ、じっくりと見学したいもの。
なお、内部にリフト、カフェはなし。

1 The Staircase Hall


レイトンハウス博物館の入り口をぬけ、まず足を踏み入れるとあるのがこのホール。上階にあがるための階段と1階の各部屋への入り口がある。階段の手すりの柱にクジャクの剥製があるが、クジャクは、ヴィクトリア朝時代のアート・ムーブメントの象徴とされており、レイトンはこのクジャクを唯美主義運動と結びつけることが多かったという。唯美主義者らは、ヴィクトリア朝時代の英国に反発、芸術を通して美意識を取り戻すために、様々な地域の文化を融合するという手法を用いた。このホールには、古代ポンペイに影響を受けたモザイクの床、日本製のつぼ、17世紀のトルコの家具などがあり、レイトンの唯美主義が反映されている。

2 The Library


レイトンの書斎。1892年に撮影された写真を見ると、レイトンのデスクの上には手紙が山積みにされており、王立芸術院の長でもあったレイトンが日頃雑務に追われていた様子が分かる。また、書棚には美術、建築、彫刻、哲学などの本が並べられていた。部屋にはヴェネツィア派の宗教画がかかっており、レイトンがイタリアのルネサンスに興味をもっていたことを示している。ドアの上にかかっている肖像画は、レイトンが姉のアレグザンドラと父のフレデリックを描いたもの。

3 The Arab Hall


邸宅のなかでも最も壮麗な部屋が、このアラブ・ホール。1877年から79年にかけて増築された部分にあたり、パレルモのラ・ジサ宮殿をもとにしたといわれる。レイトンは中東を旅行した際、現地の文化に惹かれ、大量の陶磁器や布地、木工品を買い込んだ。ホールは彼の中東への思いを表現したものだ。陶磁器の大半は17世紀にシリアのダマスカスでつくられたもの。大きな木の窓枠と格子窓はエジプトのカイロから輸入。タイルの多くには精巧な装飾がなされている。室内に入って頭上にあるパネルには、世界の創生に関するコーランからの一節が描かれている。中央には小さな噴水がもうけられ、涼やかな水の音と流れが癒しの空間をつくりあげている。

4 The Narcissus Hall


部屋の中央にナルキッソス(ナルシシストの語源。日本では「ナルシスト」と表記されるのが一般的)のブロンズ像が置かれていることから、ナルキッソス・ホールの名前がついた。ギリシャ神話に登場する美青年のナルキッソスは池の水面に映った自分の姿に恋焦がれて水死し、スイセンに生まれ変わったという。そのナルキッソスにちなんだこの部屋では、来場者の姿を映し出すかのように天井には金箔が貼られ、壁は水を彷彿させる青色のタイルで埋め尽くされている。このタイルはレイトンの友人でもあるセラミック・アーティストのウィリアム・デ・モーガンによるもの。1740年にポンペイで発掘された家にナルキッソス・ホールという部屋があり、レイトンの古代ローマへの興味が高じて、自身の邸宅にナルキッソス・ホールを作り上げるに至ったとされている。

5 The Drawing Room


ドローイング・ルーム(応接間)は、ヴィクトリア朝時代の家庭では、通常リビングルームの役割を果たしていた。しかし、レイトンの邸宅で応接間として使用されていたのはスタジオであり、このドローイング・ルームはあまり積極的に使われていなかったようだ。部屋で最も目を引くのは、壁にかかる4枚の絵。フランス人アーティスト、ジャン=バティスト=カミーユ・コローによる「Times of Day」という作品のレプリカ。レイトンはこの絵に描かれた風景のなかの茶色と壁紙の色をマッチさせたかったのではないかとみられている。また、暖炉の煙を逃すための煙突は壁の後ろに設置されているため、視界を妨げられることなく庭を眺めることができる。

6 The Dining Room


赤い壁紙が印象的なダイニング・ルームには、レイトンが収集していた貴重な陶器が飾られている。陶器のほとんどは中東、もしくは地中海地域で製作されたもの。レイトンは、しばしば友人や知人を招待してディナー・パーティーを開いていたという。ゲストのなかには、詩人のブラウニング、デザイナー/アーティストのウィリアム・モリス、ロセッティなどヴィクトリア朝時代の著名人が含まれ、1869年にはヴィクトリア女王自身もレイトン邸を訪問している。

7 The Silk Room


部屋の壁紙にグリーンのシルクが使用されていることから、シルク・ルームと呼ばれている。壁にはレイトンのアート・コレクションが並ぶ。暖炉の上には、イタリアのルネサンス期のアーティスト、ティントレットの肖像画「Elderly Gentleman」、部屋の真ん中にはラファエル前派のメンバーであるミレイの「Shelling Peas」が飾られている。これはレイトンの彫像「Needless Alarms」のお返しに、ミレイからレイトンに贈られたもの。そのレイトン作の彫像も、現在は同室内に飾られている。また、見逃せないのは、マッシュラビヤと呼ばれるエジプト製の格子の窓=写真上。中東や北アフリカでは通常建物の2階の部分にあり、強い日光を遮り、涼しい風を通すのが本来の目的だが、ここでは装飾のために設えられている。

8 The Studio


レイトンハウス博物館のハイライトといえる。2階部分のほとんどを占めるほどの大きさだ。ここでレイトンは数々の作品を生み出した。部屋に入ると、まず視界には、大きくとられたガラス窓から注ぎ込む日の光が飛び込んでくる。アーティストにとって、自然光は作品製作に重要な要素であったことから、スタジオの窓はことさらに大きくつくられている。ほかにも、大きなカンバスを運び出すための専用扉(ピアノが置かれた「舞台」に向かって左手にあり、こげ茶色の細長いパネルに見えるのがその扉)や大きなカンバスに描くときのための足場など、絵画製作に欠かせない工夫がなされている。スタジオの後ろ側にあるスペースは、モデルたちが脱衣や身支度をするための場所として使われた。足場にあがるための階段の後ろには小さな出入り口があり、モデルたちは正面玄関からではなく、この出入り口を使用した。ここからも当時の厳然たる階級格差がうかがわれる。

9 The Bedroom


レイトンの寝室。小さな部屋にはベッドがひとつ、ぽつんと置かれており、豪華な他の部屋と比較すると、簡素というよりもみすぼらしいという印象さえ受ける。壁にはレールとチェーンを使って絵が飾られている。記録によると、この部屋には常に家具らしい家具はなかったという。寝台そばのドアの向こうにはバスルームがあった。寝室の壁は、ウィリアム・モリスの「インディア」という壁紙で覆われている。この大きな邸宅にあって、寝室は唯一ここのみだが、レイトンが必要に応じて寝室を増築しようとしていたのか、最初から家族をもつことは考えていなかったのかについては不明。レイトンは1896年1月にこの部屋で姉と妹に看取られて、息を引き取った。

10 Downstairs


地下には使用人たちの部屋がある。レイトン宅には、執事、メイド、料理人など、数人の使用人がいた。使用人たちは、専用の階段を使って、階上と階下を行き来していた。また、レイトン邸の出入り口は、家族・来客用、モデル用、使用人用と3つに分かれており、それぞれ厳格に使用されていた。いかにもヴィクトリア朝時代らしい。