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清々しい空気が漂うひっそりとした木立。
まるで野外美術館のように飾られている彫刻を見ながらゆっくりと散策を楽しみたい。

 さらに英バロック建築家のトーマス・アーチャー(Thomas Archer 1668-1743)に依頼し、ロング・ウォーターの頂点に「バロック・パビリオン」を建て、その正面にはウィリアム3世への忠誠を誓う彫刻を設けた。小さいながらも威厳に満ちたこのパビリオンは、その後、何代にもわたって一族の憩いの場となり、ロング・ウォーターからパビリオンに向かう眺めは、レスト・パークを象徴づける光景として鮮やかな印象を与えている。
伯爵(earl)だったヘンリーは、1710年に公爵(duke)へと地位を上げる。彼の『出世』に歩調を合わせるように、レスト・パークは変貌を遂げていったのだった。

 

ドレスよりも庭園を愛した侯爵夫人


Jemima Campbell
Marchioness Grey
1723-1797
 18世紀に入るとデザインの流れは一気に自然派志向へと向かう。このとき誕生したのが英国を代表する造園法のひとつ「風景式庭園(landscape garden)」だ。塀など視覚の障害になるものを取り払い、遠くまで見渡すことができる緑の広がりと、周りの自然と調和した緩やかな曲線を用いたスタイルは、それまでの整然と作り込まれた「人工美」から成る庭園とは対照的と言える。
ヘンリーの死後、1740年にレスト・パークを相続したのは、当時17歳だった孫のジェマイマ・キャンベル侯爵夫人(Jemima Campbell, Marchioness Grey)だ。若きジェマイマはいつでも庭園で過ごすことを好み、毎日のように庭園を散策しては、祖父ヘンリーの設けたバロック・パビリオンなどでティータイムや読書を楽しんだという。彼女には、ヘンリーと同じ血が流れていたようだ。当時の庭園デザインのトレンドに敏感に反応し、庭園を発展させていくのだった。1758年頃、造園の魔術師として知られ、数々の庭園を手がけた、時の造園家ランスロット・『ケイパビリティ』・ブラウン(Lancelot "Capability" Brown)に依頼。祖父の築いたフォーマルな庭に柔らかい側面を加えていった。
ブラウンの見事な造園技術は、ヘンリーの築いたグランド・ガーデンの周囲に巡らされた、まるで実際の川が流れるような形状の水路に見ることができる。庭園中央に配置された真っ直ぐに伸びるロング・ウォーターと比べると、彼の水路は自然の形に似たなだらかな曲線を描いていることが園内見取り図(左図⑥)から読み取れる。取材中、実際に木が生い茂る木立を抜けてふとこの小川のような水路に出くわしたとき、それが人の手によって作られたものであることを一瞬のうちに忘れてしまうほど自然で、元からその場所にあったかのように感じられたのは、ブラウンの優れたセンスのなせるわざだろう。


邸宅の中心部にあるライブラリー。
光がたっぷり差し込む窓から庭園を広く見渡すことができる。

 レスト・パークの魅力が今も色あせることがない秘密は、ジェマイマの姿勢に見ることができる。彼女は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのあったケイパビリティ・ブラウンに依頼したものの、自由気ままに手を入れさせたのではなく、祖父ヘンリーの築いたフォーマル庭園に最大の敬意を払い、大々的に変更をすることはさせなかった。例えば直線を描いていた並木道は、ところどころが不規則な木立へと姿をかえた。ロング・ウォーターを挟んで左右対称だったデザインに不規則さが加わったことで、「フォーマル」と「インフォーマル」の融合が生まれたのである。
ただフォーマルなデザインはこの時代には『時代遅れ』であり、ヘンリーによって設けられたバロック・パビリオンも古くさく感じられ、訪れた者からは「醜い」と評されることもあったという。その声はジェマイマの耳にも届いていたはずだ。しかし今こうしてレスト・パークが庭園デザインの変遷を魅力的に残すのは、批判の声に惑わされず、自らの審美眼を信じ、祖父の遺産を守った彼女の意思のおかげと言えるだろう。
また一方で、当時もてはやされていた、田園風景や異国趣味などの絵画的な雰囲気を尊重する美的概念「ピクチャレスク」なスタイルを取り入れているのも見所だ。ケイパビリティ・ブラウンと同時代にありながらも彼のスタイルに対し批判的で、キューガーデンのパゴダを設計したウィリアム・チェンバーズ(Sir William Chambers 1723-1796)作と言われるチャイニーズ・テンプル、遺跡のような佇まいのバス・ハウスといった新しい特徴を導入して、庭園にさらなるアクセントを加えた。それらは決して華やかなものではないが、そこに権力の象徴としてではなく、純粋に庭園で過ごすことを好んだジェマイマならではのスタイルを感じ取ることができる。
ヘンリーと同様、多くの庭園を見て歩いたジェマイマだが、自分の庭園をこよなく愛した彼女は、「他に匹敵するものはない」と、娘にあてた手紙に残している。ジェマイマが庭園に注いだ情熱は、レスト・パークの長い歴史の中でも最高の財産といえよう。

チャツワースやブレナム宮殿などの名庭園を生み出した、造園の魔術師

ケイパビリティ・ブラウン(1716-1783)


 庭園にあまり馴染みがない人でも、この名前を覚えておけば、庭園鑑賞がもっと身近に感じられる、という人物をぜひご紹介したい。18世紀の造園家ランスロット・ブラウンだ。
「It's got potential(可能性・将来性がある)」という口癖から、「ケイパビリティ(Capability)・ブラウン」というあだ名を持つ彼は、庭師としてそのキャリアをスタートさせると、1741年にコバーム卿のストウ庭園で働く機会を得た。ここでの経験が、のちにロンドンで独立した際に才能を大きく開花させる。彼の手がける庭園は、小川をせき止めて作られるなだらかな曲線の湖水や、ゆったりとした起伏の広大な緑地、茂み、木立など、「水」と「樹」が絶妙なバランスで配され、壮大な空間が演出された。それらは周辺に広がる田園風景とすらも調和した自然風景画のような美しさを備え、当時の貴族たちの間でたちまち人気となった。彼の生み出した庭園は、代表的なチャツワースやブレナム宮殿のほか、170以上の数を誇り、今も英国の各所で見ることができる。