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 来園者の入り口となるビジター・センターは、かつてウォールド(壁)ガーデンとして6つのコンパートメントに区切られていた場所の一部にある。カフェ、子供のためのプレイ・パークなどが設けられ、家族連れや小グループの団体旅行客などがちらほらと姿を見せ、ゆったりとした時間を過ごしている。庭園へは、ウォールド・ガーデンの名残を見せる壁にあるゲートを通り抜けて向かうことになるのだが、ひとつのゲートの奥には次のゲートが顔を覗かせ、それは秘密の花園へとつながる入り口のように感じさせる。興味をかき立てる心憎い演出だ。
ふたつめのゲートを抜けると、サルビアなど色とりどりの花が活き活きと咲き誇る箱型の庭「イタリアン・ガーデン」と、庭園のさらに奥にある、規則的に配置された彫刻などのオーナメント、自然の姿に近い木立が目に飛び込んできた。期待に胸を膨らませ、そのまま邸宅へと回り、そこから庭園全体を眺めると、そこにはベルサイユ宮殿を思わせる壮大な光景が展開していた。その規模は、およそ92エーカー(約37万平方メートル)と広大で、ロンドンからわずか1時間半の場所にこんな庭園があったことに驚きを隠せなかった。
ここレスト・パークには英国人を虜にしてきた庭園デザインの歴史が凝縮されているという。イングリッシュ・ヘリテージが20年をかけて修復にとりかかるほどの庭園がどのようにして育まれ、今に至ったのか、庭園デザインの歴史とともにレスト・パークの歩んできた道のりをたどってみよう。


邸宅から庭園を眺めると、ベルサイユ宮殿を思わせる光景が広がっている。
手前に見えるのは、フォーマルなフレンチ・パルテール(花壇)。

 

華麗な庭は権力の象徴

 英国の庭園と言えば、自然をモチーフに景観美を追求し、それを庭園の中に持ち込む風景式庭園がよく知られている。しかしこの英国式庭園の歴史が始まったのは18世紀と、それほど古いわけではない。それより以前の16世紀は、軸線を中心にした左右対称のデザインや立体感を強調したルネサンス全盛期のイタリア式庭園が主流だった。ツゲなどの常緑低木で結び目模様を描き、その間に彩色した石や季節の花を植えたノット・ガーデン(knot garden)、樹木を装飾的に刈り上げるトピアリー(topiary)などが盛んに取り入れられ、それらはヨーロッパのフォーマル庭園デザインの基礎を形作っていた。
17世紀になって台頭したのは、絶対王政の栄華を誇ったベルサイユ宮殿に代表されるフランス式造園法だ。
広大な敷地に幾何学的なデザインを描くように植物を配置し、壮大な眺めを際立たせた庭園には、彫刻や噴水、草花を整然と配列するといった、華やかな「人工美」が一大流行していた。というのも、当時のヨーロッパ貴族にとって、庭はステイタスや学識を表すもので、庭園に作り上げた「人工美」には、自然を征服する力、つまり権力者の力を示すという意味合いが込められ、このスタイルはヨーロッパを席巻した。


英国を代表する庭園のひとつチャツワースのカスケード・ハウスを設計したことで知られる
建築家トーマス・アーチャーによるバロック・パビリオン。

 

政治的かけひきに長けた嫌われ者


Henry Grey
12th Earl and Duke of Kent
1671-1740
 英国も、こうした流行に無関係ではいられなかった。やがてレスト・パークにもその波がやってくる。イングランドに乗り込んだノルマン貴族のひとつグレイ家によって所有されたレスト・パークは、13世紀初頭から1900年代初頭までの700年近くにわたり一族によって大切に受け継がれてきた。グレイ家は所領拡大を目的にした政略結婚を繰り返し、17世紀には英国有数の貴族として財を成しており、レスト・パークは、「パーク」といっても公園ではなく、壮厳な邸宅と、見事な庭園を有していた。
このグレイ家が輩出した人物の中で、突出した「野心家」だったといえるのが、政治家でもあった第12代ケント伯爵、ヘンリー・グレイ(Henry Grey, 12th Earl and Duke of Kent)だ。政治的なかけひきに長け、のちに公爵の地位へとのし上がっていくほどの人物だが、人望は厚くなかったようだ。尊大な振る舞いと体臭のキツさから、「虫」とあだ名がつけられ、宮廷では忌み嫌われていたという。
しかし、そんな他人の声は彼にとって関係なかったに違いない。自分の権力と財力を周りに誇示し、政治的忠誠をアピールしていかに王に取り入るか。そのための絶好の場所となる庭園をどう造るべきか。もともと教養の深かったヘンリーは、自分の庭園造りに精力を注いでいった。1690年代にはグランド・ツアーを敢行し、オランダ、ドイツ、イタリアを周遊。かつてフィレンツェを支配していたメディチ家が所有したボボリ庭園や、イタリア一美しい噴水庭園として知られるイタリア・ティヴォリのエステ家別荘など、ルネサンスを代表する庭園を回ったと言われている。
旅先で目にした荘厳な光景は、ヘンリーの創造力を激しく刺激した。庭師らと激論を交わし、熱心に書物を読み漁り、レスト・パークのイメージを大きく膨らませていった。
こうして彼の自慢の「グランド・ガーデン」が誕生した。べルサイユ宮殿噴水庭園に代表されるフランスのフォーマル庭園の影響を受け、先代までに既に完成していた「ロング・ウォーター」を軸に、両サイドに木立を配置。規則正しい形に設計された並木道は、オランダ・ハーグの街並みを真似た優雅なものだったという。