王妃のための「憩いの離宮」から絢爛豪華な「新宮殿」へ

 バッキンガム・ハウスが購入された当時の王宮は、セント・ジェームズ宮殿であった。前年に即位した新国王ジョージ3世は、ドイツから輿入れしてきたばかりである17歳の妃シャーロットのために、王宮を離れて人目を気にせずに寛げる場所、またこれから誕生する子供たちを伸び伸びと育てられるような、プライバシーの守られた私邸にしようとここを手に入れた。ジョージ3世は改修と拡張に着手すると同時に、自身が所持する膨大な量の書籍や絵画のコレクションをこの離宮に移送。とくに、世界各地で集めさせた書籍は貴重なものが多く、のんびりと読書を楽しむことができる書庫も設けられ、バッキンガム・ハウスは一家の憩いの場となった。「プリンス・リージェント」と呼ばれた皇太子の下の弟妹たちは、みなこの邸宅で生まれている。
現在のバッキンガム宮殿の姿へと大きく変貌を遂げるのは、ジョージ4世の時代である。1820年にジョージ3世が死去し、病床の父に代わりに執務を行っていた長男の摂政皇太子がジョージ4世として王位に就くと、新王宮の建設案が持ち上がった。ジョージ4世は、これまで約100年間王宮として使われてきたセント・ジェームズ宮殿ではなく、自身が暮らしていたカールトン・ハウス(現ウォータールー・プレイス)を建て替え、国王が住まう公邸にしたいと考えたようである。


1765年頃に描かれた、バッキンガム・ハウスで過ごすシャーロット王妃と子供たち。
当時は通称「クイーンズ・ハウス」とも呼ばれた。

 ところが、皇太子時代のギャンブルや女性がらみのスキャンダル、度を越した豪遊生活により王室の借金は膨れ上がっており、さらに粗野で田舎くさいイメージのロンドンを洗練された都市にしようと、建築工事に湯水のように金を使っていたため、新たな宮殿建設には多額の費用がかかり過ぎるとして、このアイディアは議会や国民から猛反発を受けた。同王はやむなく造営を断念し、代わりにリージェント・ストリートやリージェント・パークを手がけたお気に入りの建築家ジョン・ナッシュを起用して、バッキンガム・ハウスを改築することに決めたのである。
しかし、度重なる設計変更により工事は遅々として進まない。ナッシュは、バッキンガム・ハウスは王室の正式な宮殿とするには小規模すぎると考え、せめて威厳のある華やかな外観にしようと修正に修正を重ねたという。その計画の一つが、後年、東正面棟の建設に伴ってオックスフォード・ストリート西端に移転された「マーブル・アーチ」だ。ローマにあるコンスタンティヌスの凱旋門を基にしたというこの大理石の門は、元来はバッキンガム宮殿の正門として建造されたものである。
こうして、ナッシュによる大増改築は莫大な資金と長い時間を要し、ジョージ4世が逝去して、弟のウィリアム4世が即位すると、これ以上の浪費を避けるためにナッシュは任を解かれてしまった。だが、新たに任命された建築家エドワード・ブロアも新館として東正面棟を設計するなど、完成までにさらに多くの歳月を費やすことになる。
そして、工事開始から12年が過ぎた1837年、いまだ作業中であったものの、完成の目途が立ったバッキンガム宮殿にヴィクトリア女王が君主として初めて足を踏み入れた。
東正面棟が完成したのは、さらに10年以上が経った1850年頃。その後も様々に増改築が行われ、部屋数775、屋内プールも備えられた現在の姿に落ち着くのは、1900年代前半、ジョージ5世の時代である。

 

一般公開20年を祝して

 バッキンガム宮殿の公式諸間(The State Rooms)が一般公開されるようになったのは、1992年、ウィンザー城が大火災に見舞われてからである。重度の被害を負った城の修復費用を補うために、翌年からエリザベス女王がスコットランドに滞在する夏の約2ヵ月間、有料で公開されることになったのだ。この火災は不運な事故であったが、こうした悲劇が起きなければ、いまだに我々が宮殿内を見学することはできなかったかもしれない。ふりかかった突然の惨事が、奇しくも、国民に支持されるために王室が目指す「開かれた存在」に大きく近付けたと言えよう。また、火災が発生したのは11月だったにもかかわらず、翌年の夏からすぐに一般公開が開始されたことを考えると、女王の決断の早さに感心せざるをえない。
一般に公開されているのは、玉座の間(The Throne Room)、公式正賓の間(The State Dining Room)、舞踏室(The Ballroom)など、バッキンガム宮殿の中心を成す公式諸間の19室。バルコニーのある東正面棟からみると中庭を挟んだ奥の建物にあたり、ナッシュが手がけた旧バッキンガム・ハウスの部分である。各部屋をルートに沿って進んでいくと、最後は園遊会が開かれる庭園に出る。普段は目にすることのない旧館や庭園の眺めを楽しみながら散策することができるので、見学には2時間程度は見積もっておきたいところだ。
ちなみに、一般公開が始まった当時は宮殿の入口オフィスに長蛇の列ができ、チケットを購入するために何時間も待たなければならなかったが、現在は日時指定の事前オンライン予約制が導入されている。ただ、早朝から並ぶ必要はなくなったとはいえ、余裕をもって到着したい。