また、チャールズ皇太子夫妻とハリー王子はクラレンス・ハウスに居を置いている。一方、ウィリアム王子夫妻は、故ダイアナ元妃の最後の住居でもあったケンジントン宮殿をロンドンでの公邸としながらも、実際はウェールズ北部アングルシーの自宅が生活の拠点であるため、日々公務に追われる彼らにとっても一堂に会することができる貴重な場所が、バッキンガム宮殿。まさに、名実ともに「英王室の象徴」なのだ。
さて、バッキンガム宮殿を改めて考えたときに思い浮かぶ疑問は、なぜ「バッキンガム」という名称がついているのか? ではないだろうか。
バッキンガムは、イングランド南東部のバッキンガムシャーにある最古の町の名前である。「Ham」とは住居や村を指す古英語で、「バッキンガムBuckingham」は「ブッカの家」、「バッキンガムシャーBuckinghamshire」は「ブッカの家がある地域」という意味である。7世紀頃、この地に最初に居を築いたとされるアングロ・サクソン人の族長、ブッカがその名の起源といわれ、この都市名にちなんで創設されたのが「バッキンガム」という爵位であった。かなりの歴史好き、あるいは文学好きであれば、この爵位名に繋がる「男たち」に思い至る人がいるかもしれない。では、この宮殿の歴史を語る上で欠くことのできない人物のひとり、300年以上前に権勢を誇ったバッキンガム公爵ジョン・シェフィールドについて語る前に、まずは歴代のバッキンガム公について話しておこう。


セント・ジェームズ・パーク越しに望む、旧館部分の増改築がほぼ終了したバッキンガム宮殿。
正門として白いマーブル・アーチの姿がある。

 

呪われたバッキンガム公爵位

 バッキンガム公爵家は、何度も断絶の憂き目にあっている「呪われた」爵位といえる。
最初にバッキンガム公爵位を叙爵されたのは、15世紀半ば、百年戦争や薔薇戦争で数々の戦功を挙げたスタフォード伯爵ハンフリー・スタフォードとされる。この公爵位はスタフォード家の世襲とされたが、ハンフリーはまだ6歳の息子を残し、戦場でその命を散らしてしまった。賜った新たな地位を確立させるためにも、息子を養育する時間を持てなかったのは無念だったであろう。
父の跡を継いだ幼い第2代バッキンガム公ヘンリーは、周囲の懸念をよそに、成長するにつれて政治的手腕を発揮。やがてシェークスピアの『リチャード3世』でも知られる、悪名高き国王リチャード3世の腹心となった。ロンドン塔に幽閉された少年王エドワード5世の暗殺を指示したとされる『容疑者』の一人でもあり、シェークスピア劇の中にも登場する。しかし、後にリチャード3世に反旗を翻したため、反逆罪で処刑され公爵位は廃位。ヘンリーの遺された息子はひっそりと育てられ、リチャード3世が戦死してテューダー朝が始まると、第3代バッキンガム公として復位した。だが、彼も謀反の疑いをかけられ処刑となり、スタフォード家は断絶した。
次に歴史上にバッキンガム公の名が現れるのは、17世紀前半のこと。
ジェームズ1世とチャールズ1世の2代にわたって仕えた寵臣ジョージ・ヴィリアーズがバッキンガム公に叙爵され、ヴィリアーズ家の元で約100年ぶりに同公爵位が復活した。この初代バッキンガム公ジョージは貴族階級の出身ではなかったが、フランスで教育を受けた容姿端麗の青年であり、同性も恋愛対象であったといわれるジェームズ1世の寵愛を瞬く間に得た。男爵、子爵、伯爵、侯爵と次々にその地位は上昇していき、同王に仕えるようになって10年を待たずに、公爵にまでのぼりつめた策略家である。
ジョージはまた、アレクサンドル・デュマ・ペールの『三銃士』に、フランス王妃の愛人であり、リシュリュー枢機卿のライバルでもある人物として登場している。小説では、リシュリュー枢機卿の密命を受けた暗殺者により殺害されるが、史実でもフランス遠征の最中に英国の陸軍士官に暗殺されている。まだ36歳の若さであった。同年に生まれたばかりの息子が第2代バッキンガム公となるが、嫡子に恵まれずに公爵家は再び絶えた。
そして1703年、3度目に同公爵位を授与されたのが、先述した鍵となる人物、マルグレイヴ伯爵ジョン・シェフィールドだ。ただし、すでに受け継いでいた爵位を組み合わせたため、正式にはバッキンガム・ノルマンディ公爵(Duke of Buckingham and Normandy)という肩書きであった。
2人の妻に先立たれたジョンは、ジェームズ2世の娘を妻に迎えることになり、新たな屋敷を建てようと土地を購入。3年の月日をかけて完成した新居は「プリンス・バッキンガム」と呼ばれていたジョンにちなみ、「バッキンガム・ハウス」と名づけられた。この邸宅がバッキンガム宮殿の前身であり、同宮殿のイメージとして最もよく知られている、バルコニーが設けられた東正面棟を除く建物の基礎となっている。
ジョンが死去すると、息子が2代目として公爵位を継いだものの、未婚のまま19歳でその人生を終えてしまう。他の2人の兄弟もすでに亡く、直系のシェフィールド家は断絶。バッキンガム公はまた消滅してしまった。存命していたジョンの庶子がバッキンガム・ハウスを相続したが、1760年に手放し、翌年ジョージ3世が買い取ったことから王室所有となった。国王の寵臣として権勢を振るいながらも、最後にはいつも処刑や暗殺、夭逝などによって家督が続かなかったバッキンガム公爵家。歴史に埋もれ、文学作品に悪役として残るばかりかと思われたその名が、英国を体現する建物の名称となって、世界中に知られるようになるとは誰も想像していなかったに違いない。