2012年5月17日 No.728

取材・執筆・写真/本誌編集部

祝 女王陛下在位60年
ダイヤモンド・ジュビリー プチガイド  


God save our gracious Queen,
Long live our noble Queen,
God save the Queen:
Send her victorious,
Happy and glorious,
Long to reign over us:
God save the Queen.

この英国国歌にあるとおり、エリザベス2世は「永き御世」を与えられ、
在位期間は60年を超えた。その「ダイヤモンド・ジュビリー(60周年)」を祝うイベントが
今年は数多く用意されている。この際、国籍は脇に置き、英国民と喜びを分かつべく、
紙面が許す限り。祝賀行事などについてご紹介することにしたい

 

 

65年変わらぬ決意

 "I declare before you all that my whole life whether it be long or short shall be devoted to your service and the service of our great imperial family to which we all belong."
1947年4月21日。 後にエリザベス2世となる、リリベットことエリザベス・アレグザンドラ・メアリー王女は、父ジョージ6世、母エリザベス王妃、そして妹のマーガレット王女とともに、21歳の誕生日を南アフリカで迎えた。英国で、伝統的に「成人」に達したと見なされていた年齢といえば21歳。一家揃って南アフリカおよびローデシア(現ジンバブエ)を訪問していた同王女のもとにも、多くの人々、関係機関から祝いの言葉が寄せられた。 エリザベス王女は、そうした祝賀メッセージに応える形で、コモンウェルス(英連邦)にあててケープタウンからスピーチを行った。冒頭の一節はそのスピーチからの抜粋である。 65年前、同王女はこう宣言したのだった。 「ここで皆さん全ての前で誓います。長くとも短くとも、私はこの生涯を皆さんに、そして、私たち皆が属する英連邦に捧げることを」 英連邦の中心となるのは、いうまでもなく英国である。エリザベス王女は、英国を頂点とする英連邦と、それらに属す全ての民への「サービス(奉仕)」を命果てるまで続けると21歳の時に誓ったわけだが、その期間がまさか60年を超えることになるとは、誰が予想し得ただろう。 エリザベス女王本人にとっても、大きな驚きといえるのではあるまいか。 いや、この驚きも、同王女の人生の序盤に起こった、英国内外に強い衝撃を与えた出来事に比べれば、それほどのことではないのかもしれない。 その出来事が起こったのは1936年のこと。エリザベス王女はまだ10歳だった。 波乱の1936年は、祖父として孫のエリザベス王女をことのほかかわいがっていたジョージ5世の逝去という悲報で幕を開ける。1月20日、暗い冬の日に息を引き取った同王には4人の息子がいた。 長男は、「プレイボーイ」と称されるなど品行方正とは言えないものの、天才肌で魅力的、カリスマ性にあふれるエドワード皇太子。その下に、エリザベス王女の父ヨーク公、グロスター公、ケント公がいた。 まじめすぎるとさえ言われたジョージ5世の気性を引き継いだのは、エドワード皇太子とはひとつ違いのヨーク公こと、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ王子だった。しかし、このアルバートは実直な分、内向的。また吃音(きつおん)に悩まされていたことは、近年大ヒットした映画『英国王のスピーチ』で広く知られるに至っている。 父王の死を受けて、皇太子はエドワード8世として即位。戴冠式は翌年5月に行われることになった。 ところが、国家を揺るがす事態が起こる。 エドワード8世の結婚問題であった。


生まれながらに威厳を備えた子

 英国は、世継ぎほしさに離婚・結婚を繰り返したヘンリー8世の時代に、カトリック教の総本山バチカンと決別。1534年には、「国王(または女王)を、イングランド国教会(Church of England)の地上における唯一最高の首長とみなす」という「国王至上法」が制定され、それ以来、英国王(女王)は常にイングランド国教会(英国国教会)の長であり続けている。
英国国教会では、事実上、君主が離婚歴のある人物と結婚することを認めておらず、エドワード8世が人生の伴侶にと切望した米国人女性、ウォリス・シンプソン夫人は2度目の離婚の手続き中だった。
時の首相ボールドウィン、ヨーク公などが必死の説得に当たったが、エドワード8世のシンプソン夫人に対する愛は強かった。
1936年12月11日午後10時。英国民は、エドワードが国王としての「責務」を放棄し、愛する女性を選んだことをBBCのラジオ放送で知らされた。
メアリー皇太后に、「国王になりたくない」と涙ながらに訴えたとされるヨーク公の人生が、この日を境に劇的に変わったのと同時に、エリザベス王女の人生も信じがたいほど変わることになる。だが、クリスマスを楽しみに待つ10歳の少女に、伯父エドワードの決断が何を意味するのか即座に理解できるわけがなかった。
エドワード8世の退位を受けて、ジョージ6世が誕生。この1936年、英国は3人の王を頂いたことになる。
一家の楽しい思い出がつまったメイフェアの住まいから、バッキンガム宮殿へと居を移した後、未来の女王、エリザベスへの君主教育が始まった。もともと、4歳下のマーガレット王女とともに、王室のしきたりどおり、学校には通わず自邸で教育を受けていたエリザベス王女だったが、知識だけでなく、君主としてどう振る舞うべきかといった心構えなども身につけていくことを求められる。10歳の王女にとって、その荷がどれほど重かったか、我々庶民の想像を超えるものだったのではなかろうか。
しかし、王女がまだ2歳だったころ、チャーチル(その時は財務大臣)が「幼少であるにもかかわらず、威厳を漂わせ、思慮深さを感じさせる」と感嘆の声をもらしたことが伝えられている。確かに、エリザベス王女の3歳時の写真を見ると、もちろん愛くるしさにあふれているが、その一方である種の厳かな落ち着き、あるいは意志の強さを秘めている気がしてならない。当時、同王女が女王となる運命にあるのを知っていたのは神のみだが、生まれながらにして、統治者としての「資質」を備えていたといって良さそうだ。

 

 
 

3歳の時のエリザベス王女。






















































首相時代のウィンストン・チャーチル(1941年撮影)。60年の間に、エリザベス女王に任命された首相の数は12人。