日差しを浴びて輝く白亜の館
比較的暖かな気候であった昨年末が嘘のように、ぐっと冷え込みはじめた1月中旬のある朝、取材班はロンドンから西へと車を走らせた。今回の目的地は、バッキンガムシャーに佇む「デーンズフィールド・ハウス・ホテル&スパDanesfield House Hotel and Spa」だ。
1時間ほど車で進んでいくと、テムズ河畔の小さな町マーローへと辿り着く。町のシンボルであるマーロー橋の傍らには、背の高い尖塔が目を引くオール・セイント教会と、ロンドン・チェルシーで評判の有名レストラン「オーバジンAubergine」の2号店がオープンしたことで知られる高級ホテル「コンプリート・アングラー」。この「オーバジン」は、かつてゴードン・ラムジーが腕を振るっていたレストランでもある。
お洒落なティーハウスなどが軒を連ねるハイストリートを駆け抜け、A4155へ入ると、間もなく昨年ミシュラン2つ星を獲得したレストラン「ハンド&フラワーズThe Hand and Flowers」が目に入る。我々が約1年半前に同店を取材した際には、すでにミシュラン1つ星の評価を得ていたが、どちらかというと利用客は地元住民が多く、『知る人ぞ知る』名店といった風情であった。しかし、美食の地へと急速に進化しつつあるマーローのミシュラン2つ星店とあって、いまや週末などは予約困難なほどの人気ぶりだという。
さらに5分ほどテムズ河沿いの木立の中を走った後、ついにデーンズフィールド・ハウス・ホテルの大きな標識を発見。期待に胸を膨らませながら、その手前にある急勾配の坂をぐんぐんと車でのぼっていく。すると突如視界が開け、目の前に明るい日差しを浴びて佇む邸宅が姿を現した。その邸宅を目にした瞬間、一転して我々の胸に不安がよぎる。白亜の外壁は雨染みやさび汚れなどにより少々古びた印象で、その外観補修作業のため、建物の一部分に足場が架設されている姿が痛々しく映る。また、由緒あるマナーハウスなどには大抵設えられている華やかな玄関ポーチも見当たらない。このホテル内にあるレストランは、昨年ミシュラン1つ星を獲得したと聞いているが、ここが今回取材する「デーンズフィールド・ハウス・ホテル」で間違いないのだろうか…。そうした疑念が脳裏をかすめていく。
ヘンリー・オン・テムズへと流れていくテムズ河を、丘上から見下ろす。
冒険家、貴族、石鹸王――多くの人が求めた理想の地
マーローとヘンリー・オン・テムズの間には、「チルターンヒルズChiltern Hills」と呼ばれる、波打つようにうねる丘陵地帯が広がっている。そのうちのひとつ、一際小高い丘の上に、テムズ河を見守るかのようにデーンズフィールド・ハウス・ホテルは佇む。
この高台に最初の館が築かれたのは、1664年のこと。メドリーコット家の屋敷であったことから、「メドリーコッツ」と呼ばれていた。「デーンズフィールド」と名前を変えるのは、1750年に法廷弁護士ジョン・モートンがこの屋敷を買い取ってからである。モートンはジョージ3世の妃シャーロット専属の司法高官などを務める、当時の権力者の一人であった。郊外ではあるものの、テムズ河畔の見晴らしのよい丘上という立地を気に入ったモートンは、それまで建っていた古い館を取り壊し、豪邸を新築。昔、デンマーク人(デーン人)の冒険家がここでキャンプを張っていたという伝承に由来し、「デーンズフィールド・ハウス」と命名した。
この邸宅が現在の姿となるのは1901年である。ヴィクトリア朝時代に石鹸でひと財産を築いたハドソン家の長男ロバート・ウィリアム・ハドソンが、趣味の鳥猟を楽しむためにこの地を購入。地元バッキンガムシャーの石灰岩を用いて、シンプルでありながらも重厚感の漂うネオ・チューダー様式に改築を行なった。
第二次世界大戦が始まると、デーンズフィールド・ハウスは学生たちの疎開先として提供される。やがて英国空軍の手に渡り、1977年まで空軍の将校宿舎として使われていたという。この建物がホテルへと生まれ変わったのは、約20年前、1991年のことである。
優雅な雰囲気が漂うグレートホール(大広間)。