野田秀樹新作舞台 NODA•MAP「正三角関係」世界配信決定
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スコットランド軍が
劇的勝利をおさめてから710年 古戦場バノックバーンを征く【後編】

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

永遠の宿敵、スコットランドとイングランド。
イングランドに虐げられる時代の長かったスコットランドにとって、710年前、スターリング郊外でイングランド軍に対して鮮やかな勝利をおさめたことは今も大きな誇りであり続けている。
自由をかけた戦いが繰り広げられた、バノックバーンを先週号に続き征くことにしたい。

永遠に去った最大最強の敵

1306年、ライバルを教会内で殺害してしまい、後戻りできなくなったロバート・ザ・ブルース。みずからスコットランド王として戴冠する道を選び、3月25日、首尾よくロバート1世となった。しかし、ライバルを支持していた貴族たちの勢いを封じ、スコットランド国王として認められるには武力闘争に勝たねばならなかった。スコットランド内の反対派をすべて鎮圧すべく、ロバートは戦いに明け暮れた。

その国内闘争と平行して、イングランド軍が支配する城をひとつひとつ落とす地道な戦いを始めたロバートだったが、まもなく、ロバートは天が自分に味方していることを再認識する。イングランドのエドワード1世が、即位したばかりのロバート1世の軍をたたきのめそうと北上する途中で急死したのである。

エドワード1世(1239~1307年、在位1272~1307年)=左の人物=は、ウェールズ制圧にも情熱を燃やした。自分の息子、すなわち未来のイングランド国王=皇太子に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を初めて授けた。これが後のエドワード2世=同右=だが、これ以降、英皇太子を「プリンス・オブ・ウェールズ」」と呼ぶ慣例が続いている。

1307年7月7日のことだった。享年68。身長が190センチもあったので「Longshanks」(ロングシャンクス=長脚)と呼ばれ、また、スコットランドに容赦なかったことから「Hammer of the Scots」(ハンマー・オブ・ザ・スコッツ=スコットランド人への鉄槌)との異名を取った。敵からは恐れられたが、武勇に優れた知将で、イングランド史上では名君と称される。このエドワード1世がいなくなったことは、ロバートにとっても、スコットランドにとってもうれしいニュースだった。跡を継いだエドワード2世が無能だったからだ。

1308年には、150年にわたりスコットランド西部を支配してきたカミン派勢力の一掃に成功。1310年にはリンリスゴウ、11年にはダンバートン、12年にはパースをそれぞれ自らの管理下に置くに至った。ロバートがいよいよ次に狙うはスターリング城だ。

スターリングは、スコットランドの首都だったこともある古い町。南部のローランド(Lowlands)と北部のハイランド(Highlands)をつなぐ主要路が通ることから、『ハイランドへの鍵』と呼ばれ、交通の要衝であるとともに、軍事上の重要ポイントとして、時にはスコットランドの部族・貴族同士が、あるいはイングランドとスコットランドが、取ったり取られたりを繰り返してきた血なまぐさい場所でもある。

1314年春、ロバートの弟、エドワード・ブルースがスターリング包囲を開始。イングランド王から任命され、城主を務めていたフィリップ・モウブレイは、戦闘となれば自分も命を賭して戦わねばならないことを理不尽と考えたのか、6月24日までにイングランドから援軍が到着しなければ無血開城することを約束する。

スターリング城を明け渡してはならない。父王と似ても似つかぬエドワード2世でも、それぐらいのことは分かる。エドワード2世は2万の大軍を率いて北上した。

ロバート1世も、弟の軍と合流。運命の6月24日は、刻一刻と近づいていた。

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夜明けを合図に始まった戦い

前日の1314年6月23日。

30歳になったばかりのエドワード2世は、スターリング城への道を急いでいた。既にスターリング城の南で戦闘があったとの情報も入ってきていたが、まだ雌雄を決するような段階にはなっていなかった。本隊が到着すれば、スコットランド軍などひとたまりもないだろう。

そう信じてはいたものの、漠然とした不安が胸をよぎるのを感じずにはいられなかった。夕刻、この不安を抱いたままバノックバーンに到達。そして、この不安は、翌日、現実のものとなる。

1314年6月24日。戦闘2日目。

迎え撃つロバート1世は39歳。国王となってからこの8年、休む間もなく戦い続けてきた。今回の戦いも、どこに陣営を置き、どう自軍を配すか、そして相手軍をどこに誘導するか、練りに練った。兵士たちの訓練もたゆまず行ってきたつもりだ。

相手は強行軍で疲弊している。幸い夏至の季節。この夜の短さでは疲れも十分とれまい。ロバートは朝一番で戦闘を開始することを決める。

やがて夜が明け、戦闘が始まった。

やや高台にあり、比較的土が乾いているニューパークに軸足を置いたスコットランド軍に対して、イングランド軍の足場はきわめて悪く、重装備の騎兵はスピードのある攻撃を仕掛けることが叶わなかった。しかも、フォース川の支流がうねるように走り、歩兵部隊は、騎兵部隊と合流するためにバノック・バーン(バーンは「小川」のこと)を渡る必要があった。
さらに、イングランド軍は、バノック・バーンとペルストリーム・バーンにはさまれた狭い場所で戦うように仕向けられ、数で勝りながらも、それを活かして横に広く展開することができなかったのだ。

結果は1日で出た。
エドワード2世は、スターリング城に逃げ込もうとしたものの、敗北を見越したフィリップ・モウブレイに入城を拒絶され、そのままエディンバラの東にあるダンバー(Dunbar)まで一目散に逃走。そこから船でイングランドのベリック(Berwick)へと渡り、ロンドンに逃げ帰った。

ロバートは勝った。大勝利だった。

B Bruce(ロバート1世)軍 C Carrick(エドワード・ブルース)軍 M Morey(ロバートの側近、モーレイ伯)軍 D Douglas(ロバートの右腕、ダグラス卿)軍

このバノックバーンでの勝利がもたらしたものは二つある。もちろん、ひとつはイングランド軍をスコットランドから完全に駆逐するきっかけだ。エドワード2世の息子、エドワード3世が、スコットランドの独立と、ロバート1世が同国の国王であることを正式に認める1328年のエディンバラ―ノーサンプトン条約(Treaty of Edinburgh–Northampton)が締結されるまでに、さらに14年待たねばならないが、このバノックバーンでの勝利なくして、同条約締結はならなかった。

もうひとつは、ロバート1世に対する信頼の回復といえる。教会内でライバルを殺害して即位するという、『汚い』手を使った過去があったロバートに対しては、スコットランド内でも反発が根強かった。ロバート1世は、真の意味で、スコットランド国王としてスコットランドのために戦い、勝利し、それを周りも認めたのである。

スコットランドのダンファームリン修道院内にある、ロバート1世の墓。ただし、心臓はスコットランド南部のメルローズ修道院に埋葬されたと考えられている。言い伝えによると、十字軍に参加しなかったことを悔いたロバート1世の遺言に従い、側近中の側近、ダグラス卿はロバート1世の心臓を入れた小箱を胸にエルサレムに向かおうとしたものの、途中、イベリア半島で戦死。同卿の遺体とこの小箱はスコットランドに持ち帰られたという。

晩年は、脳梗塞、筋萎縮性側索硬化症などと考えられる病気に苦しんだ後、1329年6月7日、54年の生涯を終えたロバート。戦いに明け暮れた人生をふり返った時、敗れたことも勝ったことも思い出されたはずだ。その中にあって、バノックバーンで迎えた勝利の夏の日を思い起こすたび、ロバート1世の心は強い誇りに満たされたに違いない。

※お詫びと訂正…5月30日号「前編」内で「運命の石」はエディンバラ城に保管されていると記しましたが、今年3月末にオープンした、スコットランドのパース博物館に移されました。お詫びのうえ、謹んで訂正させていただきます。



ハイランドへの鍵スターリングを征く

※情報はすべて2024年6月3日現在のもの。
Special Thanks to: Stirling Council, Visit Scotland, Historic Environment Scotland, National Trust for Scotland

スターリングへは、ロンドン・キングズクロス駅発、エディンバラ経由(または乗換え)で、所要6時間程度(週末ダイヤではもう少し長くかかる)。「LNER(London North Eastern Railway)」社が列車を運行。車両は日立製の「AZUMA」。

古都スターリングは、「Royal Burgh」(スコットランド王室公認の自治都市)となって今年でちょうど900年を迎えた。城を中心に防御壁が築かれ、その中で町が発展したことが分かる城塞都市で、坂はどこもかなりの勾配。また、道路は石だたみの部分が少なくない。歩きやすい靴で出かけたい。なお、駅から城まで歩いて20~30分、駅からカンバスケネス・アビーまでは徒歩30分というところ。

↓画像をクリックすると拡大します↓

スターリング城 Stirling Castle

Castle Wynd, Stirling, FK8 1EJ
Tel: 01786 450000
www.historicenvironment.scot/visit-a-place/places/stirling-castle
【オープン時間】
4月1日-9月30日 毎日 9:30~18:00
10月1日-3月31日 毎日 9:30~17:00
12月25・26日 休場
※最終入場は閉場の45分前。
【入場料】
大人(16~64歳) £19.50
子供(7~15歳) £11.70
Historic Scotland 会員 無料
※オンライン予約なら割引あり。
■ スコットランド統治には欠かすことのできない重要な城。ジェームズ5世(在位1513~42年)の時代に宮殿部分が造られ、華麗な装飾が施された。同王の死去に伴い、そのひとり娘、メアリーは生後6日でスコットランド女王として即位。幼少期をこのスターリング城で過ごした。

アーガイルズ・ロッジング Argyll's Lodging 地図上❶

Castle Wynd, Stirling, FK8 1EG
www.historicenvironment.scot/visit-a-place/places/argylls-lodging
【オープン時間】
改修工事中。再オープンの時期は未定。
■ 17世紀に建てられたタウンハウス。地元で権勢を誇ったアーガイル伯が大きく手を加えた。

ホーリー・ルード教会 Church of Holy Rude 地図上❷

St John Street, Stirling, FK8 1ED
www.churchoftheholyrude.co.uk
【入場料】
大人 £5.00 【オープン時間】
2024年は3月27日よりオープン
月-土 10:00~18:00
※冬期の入場についてはウェサイトでご確認を。
■ スコットランド女王メアリーが礼拝に訪れ、ジェームズ6世(後にイングランド国王ジェームズ1世も兼ねる)が即位した教会。裏手には大きな墓地が広がる。

トールブース Tolbooth 地図上❸

Jail Wynd
Stirling, FK8 1DE
Tel: 01786 274000
https://stirlingevents.org/tolbooth-event
■ 一時は法廷、議会場として使われていた。現在は、アートやパフォーマンスなど、様々なイベントが催される会場となっている。

ダーンリーズ・ハウス Darnley's House 地図上❹

18 Bow Street
Stirling, FK8 1BS
www.instirling.com/sight/darn.htm
■ スコットランド女王メアリーの夫、ダーンリー卿が、メアリーがスターリング城に滞在している間、好んで滞在したという邸宅の跡。現在はカフェになっている。

スターリング観光案内所 Stirling iCentre 地図上❺

Old Town Jail
St John Street, Stirling, FK8 1EA
Tel: 01786 475019
www.visitscotland.com/info/services/stirling-icentre-p332521
【オープン時間】
水-土 9:15~16:15
※10月1日以降についてはウェサイトでご確認を。
■ かつての刑務所跡。現在は観光案内所として使われている。
※ウォレス・モニュメントやバノックバーン・ビジター・センターにバスで行く際、ここで教わるバス番号以外のバスでも行ける場合あり。

スターリング・ユースホステル Stirling Youth Hostel 地図上❻

St John Street, Stirling, FK8 1EA
Tel: 01786 473442
www.hostellingscotland.org.uk/hostels/stirling
■ 一見、ユースホステルに見えないほど建物が立派。

スミス・アートギャラリー&博物館 Smith Art Gallery & Museum 地図上❼

Dumbarton Road, Stirling, FK8 2RQ
Tel: 01786 471917
www.smithartgalleryandmuseum.co.uk
【オープン時間】
水-日 10:00~17:00
【入場料】 無料
■ 美術品だけでなく、スターリングの歴史を知るための展示も充実。

バスターミナル 地図上❽

カンバスケネス・アビー Cambuskenneth Abbey 地図上❾

Cambuskenneth Village
Stirling, FK9 5NH
www.historicenvironment.scot/visit-a-place/places/cambuskenneth-abbey
【オープン時間】
4月-9月 毎日 9:30~17:30
※冬期もすぐそばから眺めることはできる。 【入場料】 無料
■ バノックバーンで勝利を収めた後、ロバート1世が議会を開いた場所。かつては壮大な修道院だったが、現在残っているのはごく一部。


ウォリス・モニュメント The National Wallace Monument

Abbey Craig
Hillfoots Road, Causewayhead
Stirling, FK9 5LF
Tel: 01786 472140
www.nationalwallacemonument.com
【開場時間】
1月-2月 毎日 10:00~16:00
3月 毎日 10:00~17:00
4月-6月 毎日 9:30~17:00
7月-8月 毎日 9:30~18:00
9月-10月 毎日 9:30~17:00
11月-12月 毎日 10:30~16:00
12月25・26日、1月1日 休場
※最終入場は閉場の45分前。
【入場料】
大人 £11.30
子供(5~15歳) £7.10
5歳未満 無料
■ ウィリアム・ウォリスの偉業を称え、1869年に建造された。次号でさらに詳しくお届けする。
■息が切れるが、丘を上り、このモニュメントを訪れる価値は十分あり(モニュメント内にはさらに246段の階段があるが…)。駐車場から無料のシャトルバスも利用可。
■ 駅のそばのバスターミナルから52/MA3番のバスで約20分。「Causewayhead」バス停下車。

バノックバーン・ビジター・センター Bannockburn Visitor Centre

Glasgow Road, Whins of Milton, Stirling, FK7 0LJ
Tel: 0844 493 2139
www.nts.org.uk/visit/places/bannockburn
【館内展示オープン時間】
1月3日~12月21日 毎日 10:00~17:00
※ショップ、カフェは入場料を支払うことなく利用可。
【館内展示入場料】
大人 £8.50
シニア £7.00
ファミリー・チケット £24
National Trust for Scotland 会員 無料
※完全予約制。1時間ごとのスロットが設定されている。
【バノックバーン古戦場跡】
年間を通じて24時間オープン。入場料不要。
■ バノックバーンの戦いの700周年にあわせて、各種CG、インタラクティブ展示など、ハイテクを駆使したアトラクションとして再オープン。それから10年。コロナ禍を経て、現在は完全予約制。館内スタッフによる45分ほどのガイドつきツアーで見学。内部の展示見学を終えたら、外に出て、バノックバーンを見渡すように立つロバート1世騎馬像=上写真=を見るのをお忘れなく。
■ 駅のそばのバスターミナルからX36/56番のバスで約10分。「Whins of Milton」バス停下車。ここから徒歩約5分。バス乗車の際に購入できる往復チケットで、いずれの番号のバスでも乗車可。

週刊ジャーニー No.1345(2024年6月6日)掲載