人類の知的好奇心に応える 大英図書館を征く

インターネットの発達にともない、「知的財産」という言葉が広く聞かれるようになった。近年はそれを無断で使用されるのをいかに防ぐかに重きが置かれがちだ。これに反し、先人たちの遺した「知的財産」について、どれだけ多くの人と共有するかを考え、なおかつ、実際にそれに励んでいる場所がある。
セント・パンクラスで威容を誇る、大英図書館だ。
大英図書館を大英博物館から「独立」させる法案が成立してから51年。
観光ポイントとしても意外に見どころの多い、このスポットを今号ではご紹介することにしたい。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

5億ポンドの巨大な本箱

The reading of all good books is like conversation with the finest men of past centuries.
「良書を読むことは、過去の優れた人物たちと会話をかわすようなものだ」
ルネ・デカルト(フランスの自然哲学者・数学者、1596~1650年)

ヨーロッパ大陸と英国を鉄路で結ぶ、ユーロスターが発着するセント・パンクラス駅の喧騒を抜け、5分ほど西へ歩くと、どっしりと腰をおろした巨大な赤レンガ造りの建物に行きあたる。

大英図書館だ。

美麗とはいいがたいが、堅牢であることは間違いなさそうなこの建造物は、1982年にチャールズ皇太子(当時)列席のもと、竣工式が行われ、15年の工期を経て97年に完成。その年の11月から一般公開に向けての準備が始まり、翌年6月にエリザベス女王(当時)の手により正式にオープンした。

大英図書館のゲートからピアッツァを眺めたところ。左手に見える巨大な像は、『Newton』(エデュアルド・パオロッツィEduardo Paolozzi、1995年作)。

海軍関連の設計に長く従事したという、故コリン・セント・ジョン・ウィルソン卿の設計で、東側部分が巨大客船のような形をしている。内部にも、船内を連想させる丸窓や、らせん階段などが各所にちりばめられているのが特徴だ。さらに、入り口エリアに設けられた大胆な吹き抜けが広々としたイメージを与え、広大な面積に恵まれているおかげで実現できる、ぜいたくな造りとなっている。

耐久性は少なくとも200年。本の貯蔵スペースは、常に摂氏16~19度、湿度45~55%に保たれ、地上は9階建て、地下5階建て。しかし、この地下部分は特別仕様で5階建てといっても、通常の建物の8階分に相当する高さがあるため、合計17階建てと考えても良いという。

大英図書館全景。メインの部分は、大型船舶を思わせる形になっている。その右側に見えるのが、セント・パンクラス駅の華麗な姿。

11あるリーディング・ルーム(閲覧室)には1200人分の席が用意され、本棚の長さはのべ322キロ。1350万冊の書籍が既に収納されているが、毎年50万点の刊行物が新たに加わり、これだけでも長さ3・7キロ分の本棚が埋まっていく計算になるとされている。面積は東京ドーム2・4個分にあたる、約11万5000平方メートル、ここでスタッフ1000人が業務にあたる。

大英図書館の英語名は「British Library」で、「大」という意味を持つ単語は含まれないが、「大英」と呼ぶにふさわしいと言っていいだろう。

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大ガラクタ屋の一大プロジェクト

大英博物館の生みの親、ハンス・スローン卿(Sir Hans Sloane 1660~1753)。

日本語で「大英図書館」と呼ばれるようになった経緯としては、その起源が大英博物館の図書部門であったことが考えられる。もともと、「大英」博物館も、正しくは単に「British Museum」だが、ここもやはり「大英」と呼びたくなる規模だ。

1753年に他界した医師、ハンス・スローン卿(Sir Hans Sloane)が、4万冊余りの図書を含む約8万点に及ぶコレクションを2万ポンド(現在の約170万ポンドに相当)で国に譲ったことから全ては始まった。スローン卿は「大ガラクタ屋の親父」と陰口をたたかれるほど、手当たり次第に様々なものをしゅう集した人物。そのコレクションは実際には5万ポンド、あるいは8万ポンドの価値があったともいわれるが、スローン卿は、自らの死後、自分のコレクションが一般の人々に公開されることを切望した。

ところが、英国はオーストリア継承戦争などを含む第二次百年戦争を戦っている最中で、そのような資金があろうはずもなかった。紆余曲折を経た後、財源を宝くじの発行により確保することで落ち着き、1759年にようやく大英博物館はその扉を人々に開くに至った。

当時の国王、ジョージ2世も議会も、スローン卿の遺言に対して冷たい態度をとったが、現在の大英博物館は人気の見学スポットのひとつとして英国の観光産業にも多大なる貢献を果たしている。スローン卿の「ガラクタ」しゅう集癖に大いに感謝すべきだろう。

さて、大英図書館に話をもどそう。

意外なことだが、大英図書館の歴史は浅い。長らく、大英博物館の図書部門とされてきたからで、『独立』への動きが本格化したのは、ここ50年のこと。『大英図書館法(the British Library Act)』が議会で可決されたのは、1972年になってからである。

大英博物館全体がそうであるように、図書部門も、常にスペースとの戦いを強いられてきた。1759年以降、数々の分室的図書館が作られ、大英博物館と同じ敷地内では到底おさめきれない図書コレクションを分散させることで、なんとか対応してきたという経緯がある。1855年に誕生した、特許庁付き図書館、1916年創設の学生用中央図書館、1961年設立の国立科学技術図書館などが、スペース不足を補った。

こうして分散したコレクションを、1ヵ所に集め直す大仕事を、公式に進めることを宣言したのが『大英図書館法』といえる。同法が成立してから、1998年に大英図書館がオープンするまでの四半世紀余りで、それまでとは真逆の作業が行われたのだった。


\観光客にも大人気!/ 大英図書館の至宝を集めた
ジョン・リトブラット卿ギャラリー

■英国の大手不動産開発業者「ブリティッシュ・ランド・カンパニー」の社長を務めた、ジョン・リトブラット氏が寄付した100万ポンドにより整えられたこのギャラリーでは、大英図書館が所有する「宝」の数々が展示されている。

■国宝級、いや、世界宝級のものもふんだんにあり、大英帝国時代からの富(略奪に近い形で英国に持ち込まれたものもありそうだが)で得た至宝が勢ぞろいした様は圧巻。かなり暗く保たれているので、それぞれの展示の説明を読むのは骨が折れるかもしれない。

■また、この部屋では、大きな声で話さないこと。小さなお子さんは退屈してしまう可能性が高くお薦めできないが、日本からのお客様をお連れすると、感動されること請け合い!

「マグナ・カルタ」はラテン語。英語で言い換えると「Great Charter」=「大憲章」のこと。1215年6月15日に制定された。オリジナルとされるのは4部で、そのうちのひとつが大英図書館にある。

■インドやイスラム世界の聖典から始まり、装丁の美しい古書、古い巻物、活版印刷技術を発明したグーテンベルクの聖書、「マグナ・カルタ」、大英博物館発足のきっかけを作ったハンス・スローン卿の標本コレクション、歴史的価値の高い書類、チョーサーのカンタベリー物語やシェイクスピアの本、コナン・ドイル、オスカー・ワイルド、ジェーン・オースティンのオリジナル原稿、ヘンデルやモーツァルト、ベートーヴェンらの手書きの楽譜、ビートルズの手書きの歌詞カード(撮影不可)などまで、コレクションは多岐にわたる。

︎12世紀後半~13世紀(鎌倉時代)のものとされる、日本の経典。
Restaurant
Joke
Henry Q&A
Travel Guide
London Trend
Survivor
Great Britons
Afternoon Tea

熱血図書館司書、登場

 

大英図書館ができるまでの流れをざっと振り返ってみた訳だが、ひとり、ここでどうしても触れておきたい人物がいる。

 

その名をアントニー・パニッツィという=写真の肖像画。

 

もとは英国人ではない。本名はアントニオ・ジェネズィオ・マリア・パニッツィ(Antonio Genesio Maria Panizzi 1797~1879)で、イタリアの出身。モデナ公国のブレスチェッロという町に生まれた。パルマ大学で法を学び、学位を取得して1818年に卒業。その頃のイタリアはまだ統一されておらず(イタリア王国が統合されるのは1861年)、各地で地元諸侯と、統一を目指す革新派による争いが繰り広げられていた。

パニッツィも血気盛んな若者だったようで、統一を夢見る革新派のメンバーとして活動に従事したが、警察の手が迫りつつあると密かに知らされ、あわててスイスに逃亡。同国で、革新派に対するモデナ公国の弾圧を公然と非難する本を著して出版した。この著作の発表により、パニッツィは不在裁判で死刑を宣告されてしまう。

1823年5月、25歳のパニッツィは英国への亡命を選んだ。

当初は英語が話せず、イタリア語やイタリアの歴史を教えるなどして生活の糧を何とか得ていたが、31年、つてを頼って、大英博物館の図書館部門に職を得た。もともと、図書館司書としての仕事に興味があったのかなかったのかは不明ながら、パニッツィは図書館業務に深く関わっていくことになる。

32年には英国籍を獲得。故郷にはもう戻れないというその悲しみや怒り、不満といった感情を、図書館業務への情熱に昇華させたのかもしれない。

順調に『出世』を果たし、56年にはついに図書部門のトップの座に就く。この『出世』を彼にもたらしたのは、大英博物館図書部門の蔵書目録の再編成作業だった。それまでの蔵書目録は、蔵書名をだらだらと書き連ねたリストにしか過ぎなかったのである。

パニッツィは各蔵書について、著者名、出版社名、出版年などの情報を、形式を定めて記録。これを用いて、図書部門の利用者が、自分の探す蔵書を検索することを可能とした。彼は自分の考案した目録作成法を『91ヵ条の目録規則(Ninety-One Cataloguing Rules)』にまとめた。

大英博物館内の旧リーディング・ルームは、現在グレートコートと呼ばれているエリアに建つ。パニッツィはこの旧リーディング・ルームのデザインにも関わった。カール・マルクスなどの著名人がここで研究と著述に没頭した。

大英博物館図書部門では、前世紀半ばまで、これにのっとって目録が作成されたほか、パニッツィの『91ヵ条の目録規則』は、世界各国で図書館の目録作成の基礎として用いられ、彼は「近代目録法の祖」と呼ばれた。

57年には、現在、グレートコートと呼ばれている施設の一部として、旧リーディング・ルーム(閲覧室)が大英博物館の敷地内に建てられたが、これに関わったのもパニッツィである。

一方、42年の『著作権法(Copyright Act)』に関しては、その成立に尽力。この『著作権法』にもとづき、大英博物館図書部門は、「中央図書館」としての性格を与えられ、刊行物は出版されるたびに1冊、寄付することが義務付けられた。しかし、従順な発行人や出版社ばかりではなく、最初は寄付を渋る者も少なくなかった。パニッツィは屈強な男たちを雇い、出版社や発行人のもとに赴かせ、刊行物を集めさせたというエピソードが残っている。

69年には、ヴィクトリア女王からナイトの爵位を賜ったパニッツィは、79年、ロンドンで逝去。ケンザル・グリーンのカトリック墓地に眠っている。

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知的財産の価値

一般人は入ることができない、大英図書館の書庫。人類の英知が詰まっている。

著作権という概念を、世界に先駆けて認識させようとしたパニッツィだが、次のようなことも考えていたとされている。

「すべての著作については、貧しい学生も、裕福な家庭の出身者と同等の権利をもって、手に取ることのできる自由を保障するべきである」万人が自由に本を読める環境―それは、時として著作権の概念と相反してしまう。本を、その著者の「知的財産」と認め、それを読んだり、リサーチに使ったりするなど利用する際には、著者に使用料を支払おうというのが著作権の考え方だ。

しかし、良書に触れる喜びを、常時「有料化」しなければならないというのは残念なこと。特に、大英図書館が蔵する、多くの希少本や絶版となった本などは、「宝物」として仕舞い込んでしまって良いものか。

大英図書館は、そうは考えていないようだ。例えばリーディング・ルームでは、身分証明書と住所を証明するものがあれば、世界中どこからの訪問者であっても、かつ、閲覧のルールを守れば、世界に1冊しかない本であろうと実際にその目で見ることが許されている。国籍などに関係なく、無料で閲覧できるのである。

英国在住者が支払った税金などのおかげで、この無料サービスは成り立っているわけで、非納税者には、閲覧料を科してもいいのではないかという気もする。しかしながら、貴重な書籍を鍵のかかったガラスケースに入れるのではなく、積極的に万人に、しかも原則として無料で公開しようとする点に、かつて大英帝国として君臨した国ならではの寛容さをみる思いがする。

貴重な知的財産こそ万人で共有すべきという理想を、現実世界で不都合を生じさせない範囲で実現させるべく努め続けるのが、大英図書館に課された永遠の使命と言えるのかもしれない。

リーディング・ルームで人類の知的財産に触れてみる!

■リーディング・ルーム(Reading Room)=閲覧室=を利用するには、リーダー・パス(Reader Pass)の申請が必要。原則として国籍や身分の区別なく発行されるこのパスさえあれば、大英図書館の莫大な知的財産に広くアクセスすることが可能になる!

■大英図書館内で直接申し込むことも可能だが、例えば、国外、あるいはロンドン以外の在住者でロンドンでの滞在期間は限られているというような場合、閲覧したい書籍を「予約」しておくことができる。オンラインで「事前登録(pre-registration)」を済ませれば、この「予約」ができ、実際に大英図書館に赴いた際、リーダー・パスを申請すると同時に「予約」しておいた書籍を閲覧することができるという便利なシステムだ。

■登録には、署名と本人であることを確認するための写真付き身分証明(パスポートなど)と、現住所を確認するための書類(光熱費請求書など)が必須。あとは学生証や名刺など、なぜリーディング・ルームを利用したいのかを説明するものが必要。詳しくは、ウェブサイトでご確認のこと。

■目的の書籍は、セント・パンクラス本館にあるとは限らない。手元に届けられるまでにかかる時間の目安は、本館内にある場合は70分、分館にある場合は48時間。

■リーディング・ルーム内に持ち込める筆記用具は鉛筆(またはシャープペンシル)のみ。水、ガムなど一切の飲食物も厳禁。サイフ、スマホ(消音にすること)、ラップトップは持ち込み可。こうした貴重品以外の持ち物はロウアー・グランドフロアのクロークルーム(無料)に預ける。リップクリームすら持ち込み不可。なお、貴重品を入れるために用意されている大型の透明な袋(大英図書館ロゴ入り)は丈夫、かつ無料!

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Travel Information ※2023年11月6日現在

セント・パンクラス本館 The British Library
96 Euston Road, London NW1 2DB
www.bl.uk
※2023年11月6日現在、ウェブサイトにはアクセスできない。サイバー攻撃にあい、復旧にはまだ2~3週間かかるとされているので注意。
Tel: 01937 546060 (Customer Services)

【地下鉄最寄り駅】
King's Cross/St Pancras、Euston、Euston Square

【その他の分館】

●コリンデール分館(新聞用)
British Library Newspapers Colindale Avenue, London NW9 5HE
●ボストン・スパー分館
Boston Spa, Wetherby, West Yorkshire LS23 7BQ

【セント・パンクラス本館 オープン時間】
月ー木 9:30 - 20:00
金 9:30 - 18:00
土 9:30 - 17:00
日 11:00 - 17:00

●リーディング・ルーム
月-木 9:30 - 20:00(月曜日は10:00から)
金・土 9:30 - 17:00
日/イングランドのバンク・ホリデーは休み
●リーダー・パス登録オフィス
受付終了時間は、下記時刻の15分前まで。
月ー木 9:30 - 17:45
金 9:30 - 16:15
土 9:30 - 16:45
日/イングランドのバンク・ホリデーは休み
  • ※ギャラリー(有料展示)、ショップ…平日は18:00(火曜のみ20:00)まで、土・日は17:00まで。
  • ※下記のカフェ、テラス・レストラン、キングズ・レストランはいずれもセルフサービス。
  • ※カフェ…月-木 9:30 - 19:30、金・土は17:00まで、日は16:30まで。
  • ※テラス・レストラン=写真下…月-木 9:30 - 17:00、金-日は16:30まで。温かい食事、サンドイッチ類が注文できるのは14:30まで。
  • ※テラス・レストランの奥にあるキングズ・レストラン…月-土11:00 - 14:30、日曜休業
  • ※各種ガイド付きツアー、有料エキシビションなどについての詳細はウェブサイトで要確認。

週刊ジャーニー No.1316(2023年11月9日)掲載