
1066年10月14日。長い英国史の中でも最大級といえる事件が起こった。ヘイスティングズの戦いである。その勝利により即位したウィリアム1世は現在の英王室の「祖」とされる。
今号では、この戦いの舞台となったバトルについてお届けすることにしたい。
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部
骨肉の王位争い
エリザベス2世が逝去し、チャールズ皇太子がチャールズ3世として即位してから1年余り。最近行われた調査で、回答した2000人の英国在住者のうち君主制を維持すべきと答えた人は62%にのぼったという。スキャンダル続きの英王室だが、50年後も英国は王室を維持していると考える人は53%と過半数を超えた。英国民にとって、やはり王室は特別なものと言えそうだ。この英王室の家系図をさかのぼっていくと、ひとりの王にたどりつく。
名をウィリアム1世という。
もとの名はノルマンディ公ギヨム(Guillaume)。グレート・ブリテン島と英仏海峡をはさんで真向かいにあるフランス、ノルマンディ地方の有力貴族である公爵家の当主だった。
ここで、「フランス」と書いたが、少し説明を加えておきたい。「フランス」という国名が、ゲルマン民族系「フランク人」の国を意味する「フランク王国」を起源とするのをご存知の方も多いことだろう。987年にカペー朝が成立して初めて「フランス王国」と呼ばれるようになったとされるので、1066年当時、国ができてまだ100年も経っていなかったことになる。
一方、同じくゲルマン民族系アングロ・サクソン人の国で、「アングル人の地」=「イングランド」と呼ばれた地域も、まだ国になってから日が浅く、現在のイングランドとほぼ同じ大きさになったのはエドガー平和王(Edgar the Peaceful 在位959年頃~975年)の時代と言われている。ヘイスティングズの戦いの前夜、イングランド王だった、エドワード懺悔王(Edward the Confessor 在位1042年~66年)は、このエドガー平和王の孫である。
信仰心が篤かったことから「懺悔王」の異名をとったエドワードは、ノルウェー王とデンマーク王を兼ねていたクヌートの妻、エマを母に持つ。エマはノルマンディ公爵家出身、ギヨムの祖父の妹にあたる女性だった。
このエドワード懺悔王に子供がなかったことが、ヘイスティングズの戦いを招くことになる。ノルマンディ公爵家、デンマーク王家、そしてイングランド王家の家系図が複雑に入り乱れていたためだ。
エドワード懺悔王の義理の弟、ハロルドと、同王の母方の親類であるギヨム(以降、ウィリアムと表記)が、イングランド王の座をめぐり激突する。英国版『関ヶ原の戦い』とも位置づけられる戦いが勃発するのは、エドワード懺悔王の死から約9ヵ月後のことである。
ウィリアム1世の生涯 については、以下記事をご覧ください。
ひきょう者のぬけがけ

ヘイスティングズの戦いで主役の片側を演じたウィリアムは、1027年(1028年とする説もあり)、ノルマンディ公ロベール1世の長男として誕生した。母親は、皮なめし職人の娘アーレット。ノルマンディの小さな村、ファレーズ(Falaise)で、たまたま通りがかったロベールが、洗濯をしていたアーレットに一目ぼれしたというのが通説だ。しかし、身分が違い過ぎるため、ロベール1世とアーレットは正式に結婚できず、ウィリアムは後に、政敵から「William the Bustard(私生児ウィリアム)」とあざけりを受けることになる。
8歳の時に父ロベールを亡くした後、暗殺の危機にさらされる中で成長。ノルマンディ公の領地をねらう、いとこのバーガンディ公など近隣諸侯とわたりあうという厳しい環境に置かれたが、精神的にも肉体的にも鍛えられ、ウィリアムは着々と力を蓄えていく。
1051年、ウィリアムはイングランドを訪問。ここで、男子の嫡子を持たなかったエドワード懺悔王から、次期イングランド王の地位を約束されたと言われている。
1063年には、懺悔王の義理の弟であるハロルドがノルマンディを訪れる。ハロルドは、ウィリアムを次期イングランド王として認めるという誓いを神の名にかけて行うとともに、ウィリアムの幼い娘と婚約するなど、ウィリアムに従う姿勢を全面に押し出した。

ところが、このハロルドがくせものだった。1066年1月、懺悔王が逝去するやハロルド2世として即座に戴冠し、イングランド王の座についてしまう。激怒したウィリアムは強く抗議するが、ハロルド2世は聞く耳をもたなかった。
ウィリアムはイングランドへの出兵を決意した。船の建造を急ピッチで進めさせるかたわら、ハロルド2世は神聖なる誓いを破ったと教皇に訴え、ハロルド征伐は「聖戦」であるというお墨付きを得ることに成功する。これにより、教皇の旗を掲げることが許されたウィリアムは、戦略家として、すでにハロルドより何枚も上手であることを証明して見せていたのである。
天も味方したノルマン軍
まもなく夏がきた。
ノルマンディで出航の準備が整ったとの報を受けたハロルドは、ウィリアムの上陸ルートを想定し、イングランド軍を海岸線沿いに展開させた。
しかし、ノルマン軍の船影は一向に見えない。約1ヵ月、待ちぼうけをくらったハロルドのもとに、ヴァイキングの大軍がヨークに迫りつつあるというニュースが届けられた。やはりイングランド王位を狙う、ノルウェー王ハーラル3世が北から攻め込もうと乗り込んできたのだった。
イングランド軍を引き連れ、急きょ北上したハロルド2世は、9月25日、ヨーク近郊のスタンフォード・ブリッジでノルウェー軍と対決。激戦の末、ノルウェー軍を撃破するに至った。
その2日後、ウィリアムはようやく重い腰をあげる。いや、ウィリアムは好きこのんで、ノルマンディで待機していたのではなかった。
風が吹かなかったのだ。
2千の騎兵、歩兵を含む5千の人員、2千頭の軍馬を700隻の船でイングランドまで運ぼうとしたものの、動力の風がなくてはお話にならない。ウィリアムは辛抱強く待った。
その甲斐あってか、9月27日、風向きが変わった。夜の闇にまぎれて出航し、翌日朝にノルマン軍はヘイスティングズ近郊のペヴェンシーの海岸に到達。上陸とともに大規模な戦闘になると覚悟していたウィリアムは、肩透かしをくらう。ハロルド2世軍が、はるか北のヨーク近郊まで出払ってしまっているとは、ウィリアムにとって信じられないほどのうれしい誤算だった。ウィリアムはこの幸運を最大限にいかすため、躊躇することなく、全軍をロンドンに向けて出発させた。
ウィリアム上陸の報に驚いたハロルドは、いまだ疲労困ぱい状態の自軍をむちうち、400キロの強行軍を開始する。一刻も早く南下せねばならない―1日40キロという過酷な行軍だった。
やがて、イングランド軍とノルマン軍は、ヘイスティングズの北、約11キロにある、なだらかな丘陵地にそれぞれの布陣を敷いた。後に「バトル」と名づけられるその地を覆う夏草は、ところどころ褐色となり、秋の深まりを感じさせるようになっていた。時に1066年10月14日。迎え撃つハロルド2世45歳、攻め込むウィリアム38歳(ともに推定)。まさに天下分け目の戦いが始まったのである。

戦いの詳細については下記コラムをご覧いただくことにし、ここでは割愛するが、ハロルドが敗れ、ウィリアムが勝利を収めたことはご承知のとおりだ。1066年12月25日、ウェストミンスター寺院でウィリアム1世としてイングランド王に即位。イングランド内の抵抗勢力と戦うかたわら、城や要塞を各地に次々と建造し、1070年代前半には、イングランドをほぼ平定したのだった。

今年も、バトルでヘイスティングズの戦いを再現する行事が予定されている。「兵どもが夢の跡」を、その目で確かめるために出かけてはいかがだろう。バトルを吹き抜ける秋の風は、957年前と変わらぬ調子で、枯れかけた夏草の上を渡っていくに違いない。
このストーリーを「英国ぶら歩き」のムービーで観よう!!
ヘイスティングズの戦い

丘の上に陣取ったハロルド軍のほうが、地理的には有利だったが、最終的には弓兵と騎兵を持つウィリアム軍に軍配があがった。
1 午前9時
戦闘開始。ウィリアム軍が弓でまずは攻撃。しかし、ハロルド軍の強固な「盾の壁」に阻まれあまり効果なし。その後、両軍の間で小競り合いが続くが、「盾の壁」はくずれず膠着状態に。
2 正午
ウィリアム軍の左翼にいたブルターニュ軍が退却を始め、ハロルド軍がこれを追い「盾の壁」がくずれる。深追いして本隊から離れたハロルド軍の一部を撃破したウィリアムは、これからアイディアを得、「擬似退却」でハロルド軍をおびきよせようとするが、期待したほどの効果はあげられなかった。
また、「ウィリアムが死んだ」といううわさが広まり、兵士が動揺したためウィリアムはヘルメットをはずして自分が生きていることを見せ、自軍の士気を高めるのに奔走した(下のシーン。バイユー・タペストリーより)。

3 夕刻
ウィリアム軍は、再度弓兵で攻撃。今度は、「盾の壁」の後ろに弓が届くよう角度を変えて弓を放ったという。その弓を盾で防いでいる間に、防御が解かれた胴体部分を狙って騎兵らが切り込み、ハロルド軍に大打撃を与えた。ハロルド2世は目を射抜かれたのち、惨殺され、指揮官を失ったハロルド軍は総崩れとなり、ウィリアム軍の勝利に終わった。
Travel Information ※情報は2023年9月25日現在のもの。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/1066-battle-of-hastings-abbey-and-battlefield
【住所】
High Street, Battle, East Sussex TN33 0AE Tel: 01424 773792
【行き方】
ロンドンから約45マイル。車で行く場合はM25のジャンクション→A21(Royal Tunbridge Wells経由、Hastings方面へ)→A2100→バトルの町へ。
【オープン時間】
4~10月は毎日、11~3月の週末オープン
10:00~17:00(冬季は16:00まで)
※11~3月の平日、および1月1日、12月24~26日は休み。
【入場料】 大人14.50ポンド
(イングリッシュ・ヘリテージ会員は無料 子ども8.60ポンド)
ただし、ヘイスティングズの戦いの再現イベントには下の特別料金が設定される。
ヘイスティングズの戦い再現イベント

【日時】
●2023年は10月14日(土)・15日(日)
両日とも10:00~16:30
※暴風雨など、主催者側が危険と判断した場合(チケットの払い戻しが受けられる)を除き、雨天決行。
【入場料】
バトル・アビー入場料、イベント見学料、駐車料金を含む。
●大人23.50ポンド(5歳未満無料、5~17歳13.50ポンド)
※イングリッシュ・ヘリテージ年間会員は大人7.50ポンド、子ども4ポンド
※イングリッシュ・ヘリテージ終身会員は無料(終身会員費は大人ひとり1,650ポンド。年会費が57ポンドなので、30年でもとがとれる!)
【駐車場】
●通常のバトル・アビー入場者用の駐車スペースについては、この日は障がい者など事前に許可をとった人のみ利用可。
●一般来場者はパウダーミル・レーンPowdermill Laneから入る、臨時駐車場を利用することになる。バトルBattleの町に入ったら標識に従って進めばOK。
●駐車場はかなり広いうえに、標識などが立てられていない。何か目印になるものを探してどこに駐車したか覚えておくこと。スマホで写真を撮っておくのもお薦め。
●午後4時ごろに再現イベントが終わるとともに来場者がいっせいに帰るので、この少し前に帰り支度を始めるのも一案。
【公共交通機関】
●ナショナル・レールのバトルBattle駅から徒歩15分ほど。
●徒歩の場合はバトルの町のハイ・ストリートHigh Street方面へと歩き、メイン・エントランスから入る。歩道がないパウダーミル・レーンPowdermill Laneは歩かないよう注意してほしいとのこと(次のURLから閲覧できる町の地図参照)。
https://battleeastsussex.co.uk/town-map
再現!!運命の1066年
■バトル・アビーでは、毎年10月に「ヘイスティングズの戦い」が当時の格好で「武装」した多数のエキストラたちにより再現(re-enactment)される。今年は300人ものエキストラが参加する予定。
※以下のスケジュールは予告なく変更となることがあります。ご了承ください。
12:00pm Norman Cavalry Display
メイン・フィールドにノルマン軍の騎兵に扮したエキストラたちが登場。
12:30pm Weapons Display and Skirmish
様々な武器を携えたエキストラたちが、2人1組で模擬の戦闘を繰り広げる。
1:15pm Lunch Break
昼休み。
2:30pm Arrival of the Armies
ハロルド軍とウィリアム軍に分かれたエキストラがそれぞれの布陣へと行進。
3:00pm The Battle of Hastings:Start
いよいよ「ヘイスティングズの戦い」がスタート。進行役がマイクで「実況中継」を行うので(音が割れて聞きづらいかもしれないが)、それに耳をすませば、展開が分かる仕組みになっている。
4:00pm The Battle of Hastings: Finish
ハロルドは、赤いのぼり(banner)の下にいるという設定=写真下。そのハロルドが目を射抜かれて逝去し、ハロルド軍が総崩れとなって終戦となる。

午前中から楽しめる!
◆メイン・フィールドでのアクティビティは正午からとなっているが、子ども向けイベントは午前中から始まっている。剣術体験コースなどもあり、子どもたちのテンションが爆上がりすること請け合い。このほか各種テント、ワークショップで、当時の暮らしぶりを垣間見ることができる。
ピクニックもおすすめ!
◆バトル・アビーのカフェには屋内・屋外テーブルあり。また、ハンバーガーやピザなど、屋外イベントではおなじみのフード・ストールも利用できるが、ピクニックも楽しい。ただし、ゴミ箱が見当たらず、ゴミを持ち帰ることになるかもしれないのでご留意を。
早めに席取りを!
◆メイン・フィールドは中央の「戦場」は立ち入り禁止。その両脇が観戦スペースとなるが、もし、早目に行って席取りができるようなら、できるだけ中央近くに陣取るのがお薦め。取材班が行った時には、観戦し慣れている人々がピクニック用折りたたみイスを持ち込んで、中央近くの最前列を確保していた。遅くから行くと、人の頭越しに「戦い」を眺めることになり、面白さが半減。
ぬかるみでも平気な靴で!
◆雨と風に備えた格好で出かけたい。当日、雨が降っていなくても前日までの天気によってはメイン・フィールドはかなりぬかるむので、泥の中を歩ける靴で臨むといいだろう。
犬は必ずリードをつけて!
◆犬を連れていくことは許可されているが、必ずリードにつなぐこと。また、馬も多数登場するほか、大きな音をともなうイベントなので、慣れていない犬の場合は注意が必要。
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週刊ジャーニー No.1310(2023年9月28日)掲載