野田秀樹新作舞台 NODA•MAP「正三角関係」世界配信決定
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ディズレーリ首相の邸宅 ヒューエンデンを征く
© National Trust Images/Hugh Mothersole All rights reserved

■ 19世紀後半のヴィクトリア朝を代表する2大政治家のひとり、ベンジャミン・ディズレーリ(写真下)。2度にわたって首相を務め、英国を帝国主義政策へ転換させて「大英帝国」を築き上げた人物である。今号では、ヴィクトリア女王に寵愛されたディズレーリの私邸を征く。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

当時の政党政治における2大巨頭といえば、保守党のベンジャミン・ディズレーリと自由党のウィリアム・グラッドストン。とくに、ディズレーリが行ったスエズ運河買収や英領インド帝国の成立といった帝国主義政策は、賛否両論を巻き起こしたが、彼は自身が「野心家」であることを隠さなかった。その原因は彼の出自に関係している。

ディズレーリは、祖父の代に渡英してきたユダヤ人家庭の生まれである。パブリックスクール出身ではなく、もちろん貴族階級にも属していない。事業に失敗して多額の借金も背負っていたため、縁故もなく飛び込んだ政界の中では「異色の成り上がり者」であり、誹謗中傷に苦しんだ。しかし、キャリアを積むにつれ、巧妙で時に利己的な政治的策略で知られるようになっていく。情報操作に長け、小説家でもあった彼の書く文書は目を引き、弁論は演劇的な魅力にあふれ、聞き上手で共感力に優れていたのである。とくに女性に対して、その力は発揮された。

ディズレーリの成功において、「女友達」の存在は欠かせない。年上の裕福な貴族階級の未亡人がターゲットで、彼女らによる作家活動や政治家活動の金銭的なサポート、コネクションの紹介は生涯にわたって続いた。邸宅「ヒューエンデン」も、付き合いの深い未亡人から贈られた遺産でローンを払い終えている。

保守党内で代表の座を得るには、幹部である貴族議員たちと肩を並べられるような大邸宅を所有していることも、暗黙の了解のひとつだった。ディズレーリは1848年、43歳のときにヒューエンデンを購入。翌年には党首となり、その約20年後の1868年に首相就任、1874年にも再び首相に返り咲いた。

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邸宅内に足を踏み入れると、姉のサラ、妻のメアリー・アン、そしてヴィクトリア女王など、多くの女性の肖像画が目に入る。妻のメアリー・アンとは1839年に結婚したが、当時彼女は47歳。ディズレーリより12歳上で、前年に議員の夫を亡くして莫大な遺産を継承していた。悲哀に暮れる彼女のもとにディズレーリは足繫く通って励まし、1年の喪が明けたところで結婚。明らかに「金目当て」であることはわかっていたものの、メアリー・アンは彼と初めて顔を合わせたときから、「数年内に大物になる」と感じたという。ディズレーリが抱えていた借金をすべて肩代わりし、最期まで公私ともに尽くした。

ヒューエンデンには、ヴィクトリア女王も度々足を運んでいる。彼が女王と急接近したのは夫アルバート公の葬儀で、亡き公の人柄を褒めたたえる弔辞を捧げ、彼女の心をしっかりと捉えた。以降、女王は彼を重用して伯爵位も与えており、ディズレーリは念願の貴族への仲間入りを果たしている。女王いわく、「ロマンチックに仕立てるのが上手なディズレーリから帝国の状況について報告されると、自分が『全能の神』になったような気持ちになる」とのことで、彼の構想力と話術がいかに魅力的だったのか推察できるだろう。

ロンドンからは車で1時間ほど。ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。


応接室/The Drawing Room

© National Trust Images / Andreas von Einsiedel

ディズレーリが暮らしていた当時は図書室だったが、のちに同邸宅を相続した甥が本棚を撤去し、応接室へと変えた。部屋の中央にアーチ型の列柱が並んでおり、カーテンで部屋を仕切ることができる。奥の暖炉の上に飾られているのは、ディズレーリの妻メアリー・アンの肖像画。

図書室/The Library

© National Trust Images / James Dobson

ディズレーリが暮らしていた当時は応接室だったが、のちに同邸宅を相続した甥が図書室にあった本棚をこの部屋へ移動させた。小説家でもあったディズレーリは膨大な本のコレクションを所有していたが、借金返済のために多くが死後に売りに出された。肖像画は48歳のディズレーリ。

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晩餐室/The Dining Room

©National Trust Images / Andreas von Einsiedel

議員仲間との晩餐会や女王を招いて昼食会などが開かれた場所。喪服をまとったヴィクトリア女王の肖像画は、1876年に女王自身からディズレーリに贈られたもので、同じ絵画がバッキンガム宮殿にも飾られている。室内には隠し扉が2ヵ所ある。

書斎/The Study

©National Trust Images / Andreas von Einsiedel

コンパクトなサイズで、冬も暖かく仕事ができるとディズレーリが気に入っていた書斎。第二次世界大戦時、邸宅はヨーロッパ大陸の空爆マップ作成軍事施設として使われたが、この部屋は立ち入り禁止だったため、ディズレーリが生活していた当時のまま残されている。

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ディズレーリ夫妻が眠る教会
St Michael & All Angels Church

外壁に設置されたディズレーリ家の墓碑。ディズレーリ夫妻には子どもがいなかったため、ヒューエンデンは甥(弟の息子)が相続した。チャペル内には、遺産が邸宅のローン返済にあてられた「女友達」のサラ・ブライジズ・ウィリアムズ夫人も、彼女の強い希望により、ともに埋葬されている。

ヒューエンデンの敷地内には、ディズレーリ夫妻や彼の親族が眠る小さな教会がある。邸宅を見学した後に歩いて向かうことも可能だが、教会はヒューエンデンの入場ゲートの手前にあるため、帰路に車で立ち寄った方が便利だ(専用駐車場あり)。

ディズレーリは1881年4月19日、ロンドン(19 Curzon Street)で死去。享年76だった。ヴィクトリア女王は、ウェストミンスター寺院での国葬と埋葬を希望していたが、彼は生前「ヒューエンデンでの親族だけの葬儀」を願っていたことから、遺体はこの教会に運ばれて埋葬された。女王は葬儀には参加できなかったものの、ディズレーリが最も愛していた花「プリムローズ」を送り、さらに数日後には同所を訪れて花輪とメッセージカードを直接手向けている。

ディズレーリのデスマスク(石膏)と、ヴィクトリア女王が手向けた花とメッセージカード。これらは、ヒューエンデンの邸宅内に展示されている。

ディズレーリが埋葬されているのは、教会奥陣の専用チャペル内(写真上の右側の建物)で、チャペル内に立ち入ることはできないが、外壁に墓碑が設置されている。

Travel Information ※2023年9月19日現在

Hughenden
ヒューエンデン

High Wycombe, Buckinghamshire, HP14 4LA
www.nationaltrust.org.uk
オープン時間:11:00~17:00(10月29日まで)
11:00~15:00(10月30日以降)
※ガーデンは10:00から見学可能
入場料:£14
アクセス:ロンドンからM40をオックスフォード方面へ車を走らせ、ジャンクション4で下りる。ハイ・ウィカム方面へ向かい、Edenショッピングセンターへの標識に従って、A4128をGreat Missenden方面に進む。あとは道路標識に従う。所要約1時間。


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週刊ジャーニー No.1309(2023年9月21日)掲載