英王室のスコットランド公邸 ホリルードハウス宮殿を征く
Royal Collection Trust / © His Majesty King Charles III 2023
Photo by Peter Smith

■ 雄々しい要塞の「エディンバラ城」とは対照的に優雅な「ホリルードハウス宮殿」は、チャールズ国王とカミラ王妃がエディンバラ訪問時に滞在するなど、英王室のスコットランド公邸として現在も使われている。2週続けてお届けするエディンバラ特集の後編では、街の東端に建つ同宮殿を征く。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

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エディンバラ城と「双璧」をなし、エディンバラを訪れたらぜひ足を運んでいただきたいのが、王族が代々暮らしてきた王宮「ホリルードハウス宮殿」。街の西端に建つエディンバラ城と東端のホリルードハウス宮殿は、キャッスル・ヒル、ローンマーケット、ハイストリート、キャノンゲートの4つの通りがひとつに繋がった道「ロイヤル・マイル」で結ばれており、まっすぐ歩いていれば迷うことなく各城・宮殿にたどりつく。ちなみに、このロイヤル・マイルの端から端までは、徒歩で約1時間だ。

ホリルードハウス宮殿の起源は、900年ほど前にさかのぼる。スコットランド王デヴィッド1世がカールトン・ヒルのふもとの森で狩りを楽しんでいたところ、立派な角を生やした雄鹿を発見。その雄鹿の角の間には十字架が燦燦と輝いており、やがて幻のようにその姿は消えてしまったという。これを神からの啓示と考えた王は、雄鹿が消えた場所に「ホリルード修道院(Holyrood Abbey)」を建設した。「Holyrood」とは「聖なる十字架」という意味である。

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修道院は代々の君主によって増改築されていき、ジェームズ4世がイングランド王ヘンリー8世の姉マーガレット・チューダーと挙式する際に「宮殿(Palace of Holyroodhouse)」へと役目を変えた。それ以降、英君主がエディンバラに滞在する際にはこの宮殿で過ごしており、今も「現役」の王宮のひとつとなっている。

16世紀のスコットランド女王 メアリー・ステュアート。

さて、ホリルードハウス宮殿と言えば、エリザベス1世に処刑された悲劇のスコットランド女王メアリー・スチュワートにまつわる悲しくも血塗られた歴史がよく知られている。メアリーは5歳でスコットランドを離れてフランスへ渡り、ともに育った皇太子(のちのフランソワ2世)と15歳で結婚するも、2年半で死別。スコットランドへ帰国した後、いとこのイングランド貴族ダーンリー卿と恋に落ちてスピード再婚するが、これが大失敗。見栄っ張りで短気、傲慢で野心家だったダーンリー卿は、「女王の夫」という立場が我慢ならず、次第に泥酔して暴力を振るいはじめ、メアリーの愛情は急激に冷めてしまった。そうした中で細やかな気遣いができるイタリア出身の音楽家リッツィオを寵愛するようになり、自身の相談役として秘書官に任命。常に彼を側に置いた。そして、事件は起こった。


ある夜、ホリルードハウス宮殿の寝室に隣接する小さな晩餐室で、食事を楽しんでいた2人のもとに、ダーンリー卿が数人の貴族とともに武器を携えて侵入。晩餐室から引きずり出されたリッツィオは、メアリーの眼前で身体中を56ヵ所も刺されて殺害されたのである。この刺殺事件が起きた場所(写真上の左端の塔)は宮殿内で現存するもっとも古い部分であり、同所の観光のハイライトと言える。

軍楽隊によるパフォーマンス「ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー」が開催中のエディンバラ。ぜひ同宮殿を訪れてみては?

王座の間/Throne Room

Royal Collection Trust / © His Majesty King Charles III 2023
Photo by Peter Smith

国賓行事などが開かれる場所。ホリルードハウス宮殿を気に入っていた故エリザベス2世は、毎年夏に避暑地として1週間ほど滞在していたが、その際にはスコットランドの要人を招き、この部屋で晩餐会を開催していた。右奥に設えられた2脚の椅子には現在、それぞれチャールズ国王(左)とカミラ妃(右)の紋章が刺繍されている。

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メアリー女王の寝室/Mary, Queen of Scots' Bedchamber & Supper Room

Royal Collection Trust / © His Majesty King Charles III 2023
Photo by Peter Smith

1561~67年にスコットランド女王メアリー・ステュアートが使っていた寝室。宮殿で現存する最古の部分で、メアリーの寝室は3階、夫のダーンリー卿の寝室はその下の2階(写真下)だった。奥に見えるのが、事件の夜にリッツィオと食事をしていた晩餐室。下階の部屋とは隠し階段で繋がっており、ダーンリー卿はそこから警備兵の目を搔い潜って侵入した。

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国王の寝室/King's Bedchamber

Royal Collection Trust / © His Majesty King Charles III 2023
Photo by Peter Smith

スコットランド女王メアリー・ステュアートの寝室の下階にある、君主の寝室。メアリーが女王だった時代は、夫のダーンリー卿の寝室だった。漆喰細工の豪華な天井が美しい。この天蓋付きベッドはメアリーの時代にはなかったが、少なくとも1684年からホリルードハウス宮殿にあることが確認されている。

隣接する美しき廃墟の修道院
ホリルード修道院

Royal Collection Trust / © His Majesty King Charles III 2023
Photo by Peter Smith

1128年に完成したホリルード修道院(写真上の左端に見える廃墟)は、王族が滞在するためのロイヤル・ステート・ルームを備えた建物(現在のホリルードハウス宮殿の原型)が隣に建造されるなど、かつてスコットランドで最も壮大な寺院のひとつだった。

16世紀からは王宮として使われるようになり、さらに増改築が進められ、多くの君主がこの隣接する修道院で戴冠式や結婚式、葬儀などを行った。しかし1688年に名誉革命が起きると、エディンバラの暴徒が修道院へ侵入。王族の墓があったロイヤル・チャペルを破壊し、修道院内も荒らされた。修道院はそのまま放置され、やがて天井が崩落。壁も倒壊し、現存する廃墟は当時の半分以下となっている。

19世紀にヨーロッパで「ロマン派」文化が流行し、廃墟が人気を集めるようになったことで、ホリルード修道院にも多くの旅行客が訪れるようになった。「結婚行進曲」で知られるドイツの作曲家、メンデルスゾーン(右上)もそのひとりで、1829年にメアリー・ステュアートの寵臣刺殺事件を思いながらこの修道院に立ったメンデルスゾーンは、ふいに旋律が湧き上がってきてすぐに書き留めたという。それが名曲「スコットランド交響曲」の始まりの旋律である。メンデルスゾーンは12年かけて「スコットランド交響曲」を完成させ、5曲ある彼の交響曲のうち、最後の完成曲となった。

© Hansueli Krapf

Travel Information ※2023年8月8日現在

Palace of Holyroodhouse
ホリルードハウス宮殿

The Royal Mile, Edinburgh EH8 8DX
www.rct.uk/visit/palace-of-holyroodhouse
オープン時間:10月まで 9:30~18:00
11月以降 9:30~16:30
入場料: £18(要事前予約)
※当日のチケット代は£19.50
最寄駅:Edinburgh Waverley

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週刊ジャーニー No.1303(2023年8月10日)掲載