天然奇岩上に建つ要塞 エディンバラ城を征く

■ バグパイプやタータンチェック、ハギスといった、イングランドとは異なる文化を持つスコットランド。その首都エディンバラは、暗色のサンドストーン(砂岩)が醸し出す知的で落ち着いた雰囲気、重厚で上品な街並みの美しさを誇る一方で、戦いを重ねてきた荒々しい過去の面影も随所に残している。今回は、北の古都エディンバラのシンボル「エディンバラ城」を征く。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

エディンバラの大きな魅力のひとつと言えば、他に類を見ない急峻な地形だろう。さかのぼること3億4000万年前、エディンバラ一帯は活火山地帯だった。2度の大規模な火山活動で噴出した溶岩によって一帯は覆われ、硬い岩盤ができあがった。しかし50万年前に訪れた氷河期時代に、岩盤は高さ数百メートルにわたり氷河で抉られ、今度は深い谷が誕生。こうして高低差がある立体的でダイナミックな景観がつくり出されたのである。エディンバラ西端にある巨大な奇岩「キャッスル・ロック」や東端の「アーサーズ・シート」「カールトン・ヒル」といった岩山や丘は、氷河によって溶岩が削り取られた後の残丘であり、エディンバラ城はこのキャッスル・ロックの上に築城されている(写真上)。

 

エディンバラという地名の起源は、先住のケルト系ゴドディン人が「ディン・エイディン(Din Eidyn)」(丘の上の砦)を同地に築いたことに由来する。イングランド北部を制圧していたアングロ・サクソン人の王国ノーサンブリアの軍勢がこの砦を陥落させると、同所に新たな要塞を造り、ノーサンブリアの英雄エドウィン王の名にちなんで「Edwin's Burgh」(エドウィンの要塞)と名付けた。それが後に「エディンバラ(Edinburgh)」へと変化し、やがてそのまま街の名前になった。ちなみに、この要塞とはもちろんエディンバラ城のことである。ノーサンブリアが滅びると、スコットランド王国がエディンバラを併合。以降、イングランド王国との激しい抗争の舞台となり、堅固な要塞とするべく城の増改築が重ねられていった。

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1603年にイングランドの君主エリザベス1世が独身のまま逝去したことで、イングランド王家の血を継ぐスコットランド王ジェームズ6世(スコットランド女王メアリー・ステュアートの息子)が、イングランド王も兼務。イングランドではジェームズ1世と名乗ることになった新王はロンドンに居を定め、エディンバラに戻ることはなかった。君主不在が続く中、1707年にスコットランドとイングランドがついに合併。スコットランド王国は消滅し、一都市としてエディンバラは新たな道を歩みはじめる。エディンバラ城は、こうした長い戦いと苦難の歴史の象徴でもあるのだ。

 

高さ約130メートルの天然岩上に建つエディンバラ城内には、今年5月にチャールズ国王の戴冠式で目にしたイングランド王家に伝わるレガリア(即位の宝器)とは異なる、スコットランド王家で代々受け継がれてきた王冠や宝剣が飾られている。また、歴代のスコットランド王が戴冠式で使用してきた「運命の石(スクーンの石)」も、5月にウェストミンスター寺院での役目を終え、同所に戻されている。このほか、エリザベス1世に処刑された女王メアリー・スチュアートの部屋や、メアリーがジェームズ6世を産んだ「出産の間」も残されている(ただし今年は非公開)。

 

ロンドンから電車で4時間半と、気軽に訪れるには少々距離があるが、8月中はエディンバラ城の前庭で英国軍や英連邦、世界各国の軍楽隊や兵士が音楽やパフォーマンスを披露する夏の祭典「ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー」も開催されている。夏の旅行先に、ぜひエディンバラ城を訪れてみてはいかがだろうか。


ゲートハウス/Gatehouse

© Historic Environment Scotland

エディンバラ城の正門にあたるゲートハウス。城は切り立った岩石の上に建っているため、北・南・西の3方向からはアクセスできず、市街地へと続く東側の緩やかな斜面からのみの入城となる。1888年に新たに建設されたこのゲートハウスが、城への唯一のアプローチとなっている。

モンス・メグ砲/Mons Meg

© Historic Environment Scotland

1457年にスコットランド王ジェームズ2世に贈られた6トンの砲台。150キロの砲石を3.2キロ先まで発射でき、当時最先端の軍事技術を誇った。戦場にも運ばれて活躍したが、1550年頃に引退。1558年にメアリー・ステュアートがフランスで挙式した際には、祝賀砲が放たれた。

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大広間/The Great Hall

© Crown Copyright HES

1502年にイングランドと平和条約を結び、ヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーと結婚したスコットランド王ジェームズ4世が、1511年に完成させた大広間。だが、その2年後に宣戦布告したイングランド軍との戦い中に戦死し、大広間での晩餐会や王室行事を楽しむ機会はほとんどなかった。

スコットランド王家のクラウン・ジュエル/The Honours of Scotland (Royal Palace)

© Historic Environment Scotland

スコットランド王家に伝わるレガリア(即位の宝器)と戴冠用の石(写真奥)。王冠は1540年、スコットランド王ジェームズ5世が王妃の戴冠式で初めて着用したもの。処刑されたスコットランド女王メアリー・ステュアートは2人の娘であり、この王冠を使って戴冠した最初の君主。

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故・フィリップ殿下が70年以上保持した
エディンバラ公爵位って?

フィリップ殿下 1947~2021
© Allan Warren

1707年にスコットランドとイングランドが合併した後、新しい英国貴族のひとつとして1726年に創設されたのが「エディンバラ公爵」位。時の皇太子ジョージ2世の長男に授けられ、これ以降、王族直系の長子が襲爵することと定められた。1760年にジョージ3世が即位すると、エディンバラ公は国王が兼ねることになったため、改めて王弟のウィリアム王子に「グロスター=エディンバラ公」を授けるが、男子に恵まれず廃絶となった。

1866年にヴィクトリア女王がエディンバラ公爵位を復活させ、次男アルフレッド王子に授爵させるものの、男子が早世したことでまた廃絶してしまった。


チャールズ3世 2021~2022
© ITN Productions

1947年、エリザベス2世と元ギリシャ王族のフィリップ殿下の婚儀により、英国に爵位を持たない殿下のためにエディンバラ公爵位が再び復活。殿下の死後は、長子のチャールズ皇太子によって一旦継承されたが、エリザベス2世の死去によって即位が決まり、王冠に統合されてしまうことから、王弟エドワード王子が59歳の誕生日を迎えた今年3月10日、新たなエディンバラ公に叙された。これをもって、エドワード王子がこれまで名乗っていた「ウェセックス伯爵」は長男に継がれている。


エドワード王子 2023~
© Northern Ireland Office

このエディンバラ公爵位はエドワード王子一代のもので世襲はせず、王子が亡くなった後は、王冠に再び返還される。次代は発表されていないが、ウィリアム皇太子夫妻の次男、ルイ王子が継ぐのではないかと見られている。

Travel Information ※2023年8月1日現在

Edinburgh Castle
エディンバラ城

The Esplanade, Edinburgh EH1 2NG
www.edinburghcastle.scot
オープン時間:
9月まで  9:30~18:00
10月以降 9:30~17:00
入場料:£19.50
最寄駅:Edinburgh Waverley


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週刊ジャーニー No.1302(2023年8月3日)掲載