英国4500年の歴史を体感 チズルハースト洞窟を征く
© copyright of Chislehurst Caves

■ ロンドン中心部から南へ電車で30分、車で1時間ほどの位置にあるケントの小さな町、チズルハースト。何も知らなければ、あえて「行ってみよう!」とは思わないような、ロンドン郊外でよく見かける長閑で小さな町だが、実は同地の地下には4500年以上もの長き歴史を秘めた「洞窟」が広がっている。今回は、ユニークな体験ができるチズルハースト洞窟を紹介したい。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

「洞窟(caves)」と言っても自然が生み出した天然の洞窟や鍾乳洞ではなく、人間の手で作り出された「地下採掘現場(mines)」、いわゆる坑道跡なのだが、その規模が尋常ではない。少なくとも4500年以上前の石器時代から採掘がはじまり、古代ローマ人、サクソン人もそれに倣い、なんと産業革命が勢いを増す1830年代まで掘り進められていたというから驚く。距離にして約22マイル(約35キロ)、チズルハーストから東西南北へと広がり、北はテムズ河沿岸のウーリッジまで続いている。

当初の採掘目的は、石灰岩だった。炭酸カルシウムを多く含む軟らかな石灰岩は掘りやすく、石器時代は動物の骨や石器で作業が行われていたが、古代ローマ時代になると鉄器が使われるようになり、近代では火薬も用いられている。また、同地の石灰層には硬質な火打石もふんだんに含まれているため、マスケット銃が登場すると、その点火用の火打石採掘場としても力が入れられた。

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採掘所としての役目を終えた後、1900年から「珍名所」として一般公開されはじめたものの、第一次世界大戦が勃発すると、軍事基地となっていたウーリッジ・アーセナルの軍需品倉庫に変わった。戦後の農業恐慌中はマッシュルームの栽培地として活用され、やがて第二次世界大戦が開戦すると、ロンドン郊外で最大にして最深の防空壕へと姿を変える。約1万5000人もの人々が閉鎖された中で4年にわたって避難生活を送り、男女別トイレのほか、食堂、病院、郵便局、音楽ホール、レジスターオフィス、教会まで立ち並ぶ「ハイストリート」ができるなど、さながら「地下都市」にまで発展を遂げている。幸いなことに、ドイツ軍にこの防空壕の存在を知られることなく終戦を迎えられたことから、当時の町並みはそのまま残されている。

実際に現地を訪れてみれば、石器時代、古代ローマ時代、サクソン以降とそれぞれ掘られた時代ごとに洞窟に特徴があり、採掘跡もトンネルの大きさもまったく異なっていて興味深い。とくに石器時代の洞窟では当時、太陽や樹木、精霊といった自然を崇拝するケルト人のドルイド教徒たちが生贄儀式なども行っていたとされ、ひんやりとした重い空気が漂い、背筋が冷たくなるような不可思議な現象話にも事欠かない。また、洞窟の壁に沿って3段の木製ベッドが隙間なく並べられていた大戦中の避難生活の過密さと異様さは、想像を絶するものがある。


取材班が訪れた日は平日だったためか、ガイド役の男性と記者、カメラマンの3人のみというプライベートツアー状態。ガイドの男性が照らすミニ懐中電灯の光と、自分が持つ手提げランプの灯りだけを頼りに、先の見えない漆黒の空間を歩くことになってしまった。途中に脱出口があるわけではないので、暗所恐怖症や閉所恐怖症の人、小さな子どもには向かないかもしれない。見学はガイドツアーのみで、45~50分程度。洞窟内は夏でも冷え込むので、暖かい服装と歩きやすい靴で行った方が無難だろう。

戦後の1950年代からは、一風変わったライブ会場として、ロック・ミュージックのレジェンドたちにも愛されたチズルハースト洞窟。ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、ピンクフロイド、ジミー・ヘンドリックスらが演奏したほか、数々の映画やドラマのロケ地にもなっている。週末の予定が決まっていない人は、足を運んでみてはいかがだろうか。

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各自ランプを持って洞窟を歩く。洞窟内は冷え込むが、このランプによって意外にも手が温まる。
削り取った石灰岩に含まれている火打石(フリント)を削りだしている鉱夫。事故が起きても問題がないように、身寄りのない人や罪人などが採掘作業を割り当てられた。
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洞窟の出入り口近くにある教会。4年におよぶ空襲からの避難生活において、新たに誕生した命は女児1人のみ。彼女はここの教会で洗礼を受けている。
戦時中に使われていた、女性専用のトイレと水場。水場では身体や髪を洗ったり、洗濯したりしていた。「NO ENTRY FOR MEN.」と書いてあるのが面白い。
© copyright of Chislehurst Caves
洞窟の左右の壁には「A28」「B16」など『番地』が割り振られており、各家の幅は3段ベッド1つ分程度。レジスターオフィスで、誰がどこに住んでいるのか登録していた。

Travel Information ※2023年4月11日現在

Chislehurst Caves
チズルハースト洞窟

Old Hill, Chislehurst, Kent BR7 5QX
Tel: 020 8467 3264
https://chislehurst-caves.co.uk
オープン時間:水~日曜/10:00~16:00
入場料:£8
最寄り駅:Chislehurst

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ナポレオン3世の旧埋葬地
セント・メアリー教会
in チズルハースト


© Ethan Doyle White

弊誌3月9日号で、英国で亡くなったフランス最後の皇帝ナポレオン3世について特集したが、普仏戦争で敗れて廃位となった後、英国へ亡命したナポレオン3世が、妻のウジェニー皇后と皇太子ナポレオン・ウジェーヌとともに2年ほど暮らした地がチズルハーストだ。ナポレオン3世は健康悪化により、64歳で邸宅「カムデン・プレイス」にて死去。息子も英国兵として従軍した南アフリカでの紛争で戦死した。2人は邸宅の近くのセント・メアリー教会に埋葬されたものの、あまりの手狭さに、ウジェニー皇后は一家専用の霊廟をハンプシャーのファーンボローに建造し、2人の棺は同所へ移送されている。

「ナポレオン4世」と呼ばれた皇太子ナポレオン・ウジェーヌの墓石。軍服をまとっている。
ナポレオン3世の礼拝堂跡。床の墓石の上に棺が置かれていた。床にはナポレオンの「N」、フランス皇家のワシの紋章が描かれている。

教会内には、今も両者の墓石だけがそのまま残されている。地元の小さな教会なので見ごたえはまったくないが、もし「歴史好き」でチズルハースト洞窟を訪れた後に時間があるなら、足を運んでみるのもいいだろう。洞窟から徒歩20分、車5分(駐車場なし)。

【弊誌特集】英国で亡くなったフランス最後の皇帝ナポレオン3世こちらから読めます!
https://www.japanjournals.com/feature/survivor/17737-napoleon3.html


St Mary's Catholic Church
28 Crown Lane, Chislehurst, Kent BR7 5PL
www.stmarys-chislehurst.com


週刊ジャーニー No.1286(2023年4月13日)掲載