2800年前に作られた「新しき都」

 11月3日号でご紹介したポンペイは、ヴェスヴィオ火山の噴火により埋もれるまでは交通の要衝として多くの民族が奪いあい、支配者層が頻繁に変わるという忙しい歴史を持つ町だった。
 ナポリも、起こりはポンペイとよく似ている。基礎を築いたのは、やはりギリシャ人だった。南イタリアでは、既にクーマエ(Cumae)と呼ばれる植民都市がギリシャ人によって建設されていたが、紀元前8世紀ごろ、クーマエ市民により、今のナポリの北西部にパルテノペ(Parthenope)という都市が造られた。余談ながら「パルテノペ」は、ギリシャ神話に出てくる、上半身は女性、下は鳥という生き物のことでもある。
 このクーマエ市民はやがてパルテノペのそばに、「新しい都市」を建設。ギリシャ語で「Neapolis」(New City)と命名されたこの町こそ、今日のナポリの起源である。
 紀元前3世紀ごろにはローマの支配下に入ったものの、ローマ人はナポリのギリシャ式文化を大いに尊重した。ローマ皇帝クラウディアス、後にカプリ島に別荘を構えたティベリウスなど、皇帝や諸貴族の休暇先としてナポリが愛されたのは、気候と眺めの良さに加え、洗練されたギリシャ文化が醸し出す独特の空気がナポリに満ちていたからかもしれない。
 ローマ帝国による統治は長く続いた。しかし、476年に西ローマ帝国(※)がついに滅亡してしまう。これ以降、19世紀にイタリアが本格的に統一され、1861年にナポリもイタリア王国に組み込まれるようになるまでの1400年近くは、ナポリは実に波乱に富んだ年月を送ることになる。
 かなり複雑なので、大まかな流れは次ページのコラムをご参照いただくことにするが、東ローマ帝国からはじまり、フランスとスペインが、入れ替わるかのように何度もナポリ史上に登場しているのが分かる。これにノルマン人やオーストリア人も加わり、バラエティに富む。さらに、イタリア半島をブーツの形に例えるなら、そのつま先部分のすぐ西に位置するシチリア島と、ナポリをひとまとめで治めようとした、あるいは実際に統治した国や王家が多く、シチリアを統治する者の文化が、ナポリに大きな影響を与えたことは想像にかたくない。
 イタリアで生まれた国際的ファストフードであるピザの語源が、ギリシャやイスラム圏の中東などでおなじみのパン、「ピタ」であるとの説が唱えられるのも、ナポリがもともとギリシャの植民地であったことや、シチリア島が一時、イスラム教徒の支配下にあったことを考えると理にかなっていると言えそうだ。
 統治者が変わるたびに、新しい制度や文化がもたらされ、ナポリの持つ顔はますます多様性を見せるようになっていったのである。

※ローマ帝国の分裂…395年、ローマ皇帝テオドシウス1世が、逝去に際して帝国を2つに分け、東を長男のアルカディウスに、西を次男のホノリウスに与えた。当初は、2人の皇帝が統治にあたるものの、あくまでもローマ帝国はひとつの国家であるという認識だった。しかし、実際にはこの後、再び統一されることはなく、ゲルマン人の侵攻により弱体化した西ローマ帝国は476年に滅亡。コンスタンティノープル(現イスタンブール)に都を置き、後世ではビザンチン帝国とも呼ばれた東ローマ帝国も、1453年、オスマン帝国により滅びた。

ナポリを奪い合った欧州列強たち

476年以降にナポリを支配下に置いた部族や国家、王家のうち、主なもののみを挙げてみることにしよう。

 

【東ローマ帝国】6世紀にイタリアの再統治をめざした東ローマ帝国が躍進、イタリア半島はラヴェンナを都とし、同帝国の属州となる。660年、ナポリも、同帝国の息のかかった公国となるに至った。
【ノルマン人】1066年にイングランドに侵攻したノルマンディ公でおなじみのノルマン人は、もともとスカンジナビアなどに住んだ北方ゲルマン系の部族。活動範囲は広く、地中海にも進出し、11世紀にはイスラム教徒が治めるシチリア王国を征服。1140年にはナポリ公国もノルマン人の軍門に下った。
【神聖ローマ帝国】12世紀、ホーエンシュタウフェン家を長にすえた神聖ローマ帝国が、婚姻関係によりシチリア王国を獲得。ナポリも支配下に入った。

アンジュー家がもとを築いたというヌオーヴォ城内部にある、大理石の豪奢な大階段。
【フランスのアンジュー家】ホーエンシュタウフェン家を破ったアンジュー家のシャルル・ダンジューが、1266年、シチリア王国を獲得。首都をパレルモからナポリに移した。しかし、1284年、シチリアで起こった反乱に乗じてスペインのアラゴン王ペドロ3世がシチリアを占拠。その頃、「シチリア王国」といえばシシチリア島のみならずナポリを中心とする南イタリアも含んでいたが、この事件で王国は2つに分裂。南イタリア側はナポリ王国と呼ばれることになる。
【スペインのアラゴン家】1443年、シチリア王を兼ねていたアラゴン家のアルフォンソ5世が、ナポリ王国を征服。アルフォンソはナポリがよほど気に入ったらしく、同地に長く滞在してアラゴンの遠隔統治を行った。
【フランスのヴァロワ朝】1494年、フランス・ヴァロワ朝シャルル8世は、失地回復に挑み、ナポリの武力制覇に成功。
【スペインのカスティーリャ=アラゴン連合王国】1503年、カスティーリャ=アラゴン連合王国軍を率いるコルドバ将軍がナポリを奪回。ナポリ王家は取り潰され、ナポリはスペインの属州となり、スペインからナポリ提督が派遣された。
【神聖ローマ帝国】スペイン王位をめぐり、神聖ローマ帝国・ハプスブルク家や英国、現オランダなどの軍と、フランスおよびスペイン王国を中心とする軍が広域で争ったスペイン継承戦争(1701~14年)のさなか、ハプスブルク家を長に頂く神聖ローマ帝国軍がナポリに入り、スペイン提督を追放。
【フランスのブルボン家&スペインのブルボン家】1734年、フランスのブルボン家から支援を要請されたスペインのブルボン家は、スペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスをナポリに派遣。パルマ公はその期待に応えてナポリを占拠し、ナポリ王として即位した。

【フランスのナポレオン軍】ナポリ王フェルディナンドはナポレオン軍に追われ、1806~15年にかけて、ナポレオンの兄ジョセフ、次いでナポレオンの側近で妹婿となったミュラがナポリ王として即位した。
【フランスのブルボン家&スペインのブルボン家】ナポレオンが失脚し、1816年、フェルディナンドがナポリ王に返り咲き、そしてシチリア王も兼ねた。これをもって、正式に「両シチリア王国」が誕生。
【イタリア王国】1860年、ジュゼッペ・ガリバルディ(「イタリア統一の三傑」のひとり)=写真右=が「両シチリア王国」を征服。1861年、イタリア王国に併合され、こうして真の意味でナポリはイタリアの一部となったのだった。