鋭く刺すような毒舌

 ロナルドの死から1年後。
 1909年6月、ポールズデン・レイシーのダイニング・ルームに、華やかに着飾った紳士淑女たちが集まった。テーブルを囲むのはエドワード7世、その愛妾アリス・ケッペルと夫のジョージ、さらにもう一人の愛妾で同じく伯爵夫人のジョージアナなど、総勢18名。邸宅の完成とマーガレットの社交界復帰を祝う、盛大な夜会である。この日を境に、マーガレットは再びパーティー三昧の日々に戻っていった。13年に父マキューアンが亡くなり、遺産をすべて相続すると、その浪費ぶりは勢いを増したという。
 マーガレットが主催するパーティーは、上流貴族や首相、外国大使たちの間で評判がよかったが、一方で彼女の反駁好きな性格は敬遠されてもいた。その毒舌ぶりは有名だったようで、「彼女ほどに、巧妙に他人を傷つけることができる人が一体いるのだろうか」というメモを、当時ポールズデン・レイシーに勤めていたメイドが残している。
 また、ある男性貴族はこう回想している。
 「彼女は勇気があって、熟練の兵士のようだった。自分が持つすべてのテクニックを駆使するのが好きで、それを何年もかけて身に付けた。だから、パーティーなどの集まりに出席すると、彼女が部屋に入った途端、それまで取り澄ましていた女性たちは慄いていたよ」
 しかし、英王室のメンバーにはとても愛された女性だった。とくに親しかったのは、エドワード7世の息子、ジョージ5世の妃クイーン・メアリーで、年齢も近かった2人は親友のように連絡を取り合っている。また、子供のいなかったマーガレットは、クイーン・メアリーの息子ジョージ6世と結婚したエリザベス・ボーズ=ライオン(後のクイーン・マザー)を娘のように可愛がったという。ジョージ6世とエリザベスは、1923年にウェストミンスター寺院で結婚式を挙げた後、12日間のハネムーンをここ、ポールズデン・レイシーで過ごしている。

 


ネオ・クラシック様式のライブラリー(右)と、天井の漆喰彫刻が目を引くピクチャー・コリドー(左)。
通路の両脇にはマーガレットが収集した絵画や陶磁器、キャビネットなどが並ぶ。
©NTPL/Andreas von Einsiedel

 

多くの人々に公開を

 ポールズデン・レイシーは、両親や夫の亡き後、一人になったマーガレットが終生愛した場所である。普段は、ロナルドと住んでいたロンドンのメイフェアにある家で生活し、週末になるとポールズデン・レイシーへ向かい、多くの友人・知人を呼んで派手な晩餐会を開いた。まるで己の幸せを誇示するかのように飾り立てられたサロンを見ると、マーガレットの孤独が伝わってくるようだ。
 1942年9月15日、マーガレットは75歳(※)でその華麗なる生涯を終えた。38年所有したポールズデン・レイシーは、遺言によりナショナル・トラストへ寄贈されたが、彼女の意向で、寝室や大理石のバスルームなど、プライベートな部屋は一切公開されていない。また、ジョージ6世とクイーン・マザーが滞在した部屋も見ることができないのは残念な限りだ。しかし、ポールズデン・レイシーに今も息づくマーガレットの思いは、十分感じ取れる。
 マーガレットはナショナル・トラストへの寄贈条件に、「年間を通して一般に公開すること」「多くの人々に訪れてもらうこと」を盛り込んだという。
 後世の人々に、贅沢な貴族生活を自慢したかったのだろうか。あるいは、お気に入りのサロンを、後の所有者に改装されるのが嫌だったのかもしれないし、子供がいなかった彼女は自分が存在した証を残したかったのかもしれない。マーガレットが催した煌びやかなパーティーを思い浮かべながら、見学してみてはどうだろうか。
 クイーン・マザーはマーガレットの訃報を聞いて、在りし日の彼女を思い出しながら、こう語っている。
 「すごく親切でありながら驚くほど不親切で、とても頭の回転が速くて、そして人を楽しませるのが上手なのに意地悪でもあるのよ。彼女がとても恋しいわ」。

※一部資料には78歳という記述もあるが、本稿ではマーガレットの死亡診断書に記載されていた年齢を引用した。

 


ポールズデン・レイシーの西側、ローズ・ガーデンのそばには
マーガレットが眠る墓がひっそりと佇む。