「ビールより貴族が好き」

 ヘレンの夫が1884年に死去すると、マキューアンとヘレンは正式に結婚した。一家はエジンバラの新居に引っ越し、ようやく一緒に暮らせるようになったのである。しかし、既にヘレンは40歳に手が届こうという年齢。マキューアンとしては、会社を任せられる息子が欲しかっただろうが、子供を授かる可能性は薄かった。唯一の子供マーガレットは利発に育っており、この自慢の娘を溺愛して育てたことが、のちのポールズデン・レイシーにおけるパーティー三昧の生活を招く一因となっていく。
 さて、晴れてスコットランドでも指折りの資産家の正当な一人娘となったマーガレットだが、この頃すでに20歳を過ぎていた彼女は、天真爛漫で心優しい女性となるには遅すぎた。マキューアンは娘の結婚相手として、自身が経営する会社で働く将来有望な男性を数名選び、婚約者候補にと考えていたが、マーガレットは父にこう宣言したと伝えられる。
 「私はビールよりも貴族が好きなの」
 このとき、彼女は苦難の20年を思い浮かべていたはずだ。「お金はある。あと足りないのは家柄」。彼女がそう考えたとしても不思議はなかった。
 こうしてマーガレットは91年、アイルランドの貴族で第2代グレヴィル男爵の長男ロナルド(Hon Ronald Henry Fulke Greville1864~1908)と結婚し、ロンドンで暮らし始めた。この婚姻がどのようにして調ったのかはわからないが、グレヴィル家は貴族といっても新興であり、かつ経済的なゆとりがなかったと言われており、こうした事情がいわゆる「新興成金」のマーガレットとの結婚を選ばせたのであろう。
 だが意外にも、この結婚生活は幸せなものだったという。
 「ウィットに富んでいて、気立てがよい」「野心のない」ロナルドは、マーガレットに安らぎを与えてくれたからだと考えられる。しかし、財産はあっても所詮成り上がり商人の子であるマーガレットは、血統が重要視される社交界では爪弾きもの。出生の疑惑もあり、新参の異質な者として、おそらくここでもまた噂の種になっただろう。社交の場で恥をかかないため、マーガレットは毎日必死で礼儀作法や教養を身に付けた。
 そんなマーガレットにも、努力ではどうにもできない問題があった。子供である。ロナルドは男爵家の長男なので後継ぎが必要であったが、子供に恵まれなかったのだ。彼女の親しい友人は、後にこう語っている。
 「マーガレットはロナルドを深く愛していた。もし彼らに子供がいたら、彼女はあの派手な社交生活をやめ、子供とともに静かに過ごしただろう」
 この言葉からも、マーガレットの苦悩がうかがえる。そして満たされない思いは、自分の居場所をつくるためにも、社交界でのし上がっていく野心へと変わっていった。
 当時皇太子であったエドワード7世や、ジョージ・ケッペル伯爵とその妻で皇太子の愛妾アリスと仲が良かったロナルドは、英国の上流階級でも顔が広かったようである。マーガレットは持ち前のセンスの良さと高い社交術で、英王室のメンバーや有力貴族に近づいていく。
 またロナルドは国会議員でもあり、マーガレットは外国大使や後に首相となるチャーチルなど、政財界の要人たちとも交流を図っていった。

 

心の支えだった人々の死

© NTPL/John Hammond

幸せそうに微笑む結婚当時のマーガレットの肖像画(上)と、ビリヤード・ルームに飾られている夫ロナルドの写真(下)。
 マーガレット主催のパーティーに出席することは、貴族社会のステータスにまでなっていた1906年、週末に開く晩餐会のメニューを考えていたマーガレットのもとに、一通の悲報が届く。
 スコットランドにいた頃、苦楽をともにした母ヘレンの死を伝える知らせである。夜ごとのパーティーで賑やかだった、ロンドンのメイフェアにある自宅周辺は静まり返り、マーガレットは社交の場に一切顔を出さなくなった。
 噂を聞いて心配した父マキューアンは、人の目がない場所で静かに過ごせるようにと、ポールズデン・レイシーを娘夫婦のために購入する。この邸宅をひと目見て気に入ったマーガレットは、早速大改修に乗り出した。夫のロナルドも、所属していた保守党の惨敗によって政界を引退しており、時間も資金もたっぷりとあったのだ。
 マーガレットはまず、パリやロンドンにあるリッツホテルを設計した建築家に改築を依頼。コッツウォルズにあるジャコビアン様式の邸宅、チャスルトン・ハウスの優美な漆喰彫刻の天井を模したピクチャー・コリドー(廊下)、鏡がはめ込まれた扉が特徴的なネオ・クラシック様式のライブラリーなど、邸内には見ごたえのある豪奢な部屋が並ぶ。
 中でも見逃せないのが、インドのマハラジャをもてなすためにデザインしたサロン。18世紀イタリアの宮殿にあったパネルや黄金彫刻をそのまま用いたという贅を尽くした室内は、個人宅とは思えない眩さだ。ルイ15世~16世時代のフランス家具や日本の漆キャビネット、マイセンやセーブル、伊万里焼など、夫婦で集めたコレクションがさらに花を添える。
 ところが、2年の歳月をかけて大改築が行われたポールズデン・レイシーの完成間近に、またもや不幸がマーガレットを襲う。最愛の夫ロナルドの死である。喉頭がんを患っているのが発覚し、緊急手術は成功したものの、その後肺炎であっけなく世を去った。まだ43歳という若さ。夫婦でポールズデン・レイシーに暮らすことができたのは、わずか2年だった。

 

当時は珍しい女性シェフを雇っていたマーガレット。
ダイニング・ルーム(上)では、
11コースにも及ぶフレンチ・ディナーでもてなした。
また、インドのマハラジャを招くためにデザインされたサロン(下)も必見。
© NTPL/Andreas von Einsiedel

 

 

ポールズデン・レイシー
の主任庭師
ジョン・パリー氏が守る庭園

 

東京ドーム約120個分にも相当する敷地を有するポールズデン・レイシーの庭園は、ガーデニングに興味のない人も必見。主任庭師のジョン・パリーJohn Parry氏は、1993年から20年近くに渡ってこの庭園を守り続けている。
 

 

邸宅の西側で見られるのは、マーガレットが力を入れて造園したというローズ・ガーデン。壁に囲まれたローズ・ガーデンの中央をバラのアーチが通っている。冬季以外は一年中、何かしらの種類のバラが咲き誇る。
© NTPL/Rob Matheson

 

ローズ・ガーデンを通り抜け、冬場はシクラメンやスノードロップなどが美しいウインター・ガーデンへと向かう途中には、ラベンダーやアイリス・ガーデンが続く。
© NTPL/Nick Meers

 

ウインター・ガーデン、クローケー場を過ぎると、邸宅の南側には壮大な芝生の斜面が広がる。ノース・ダウンズの丘陵地帯を右手に見ながら、のんびりとロング・ウォークを散策したい。