上空から眺めたオルソープ。右上に見えるのが邸宅と旧ステーブル、楕円形の池の中央に浮かぶ小島にダイアナが埋葬されている。(© Simon Ledingham)

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

500年以上続く伯爵家

ロンドンからM1を北上すること、2時間弱。イングランド中東部にある都市、ノーサンプトン近郊に建つ「オルソープ(Althorp)」は、英国の名門貴族スペンサー伯爵家の本邸だ。
スペンサー伯爵家と聞いてピンとこない人は、「故ダイアナ元妃(the late Diana, Princess of Wales)の実家」と言えばわかりやすいだろうか。同所はダイアナ妃が結婚前に暮らしていた邸宅というだけでなく、彼女が永遠の眠りについている場所でもある。
スペンサー家の歴史は古く、500年以上前のテューダー朝時代までさかのぼる。牧羊業で財を成したジョン・スペンサーが、1508年にオルソープ村に居を構えたのが同邸宅の起源である。スペンサー家は着々と富と権力を拡大していき、やがて騎士の称号を授与された。1603年にはエリザベス1世の死去にともない、イングランド王として即位することが決まったスコットランド王ジェームズ6世が、ロンドンへと向かう旅程でオルソープに滞在。これにより「男爵」に叙され、貴族世界への仲間入りを果たした。以降、400年以上の長きにわたり優れた政治家や軍人を世に送り出し、また王室との繋がりも深かった同家は、有事の際には王室側につく典型的な保守派でもあった。
現在の「伯爵位」を得たのはもう少し近代になってからで、1765年のこと。現当主はダイアナの弟チャールズ・スペンサーで、スペンサー伯爵としては9代目にあたる。

複雑な家庭で育ったダイアナ

ダイアナ妃がオルソープで暮らした年月は、それほど長くない。祖父が亡くなり、父親が伯爵位を継いで本邸のオルソープに居を移すことになったのは1975年6月。彼女が14歳の誕生日を迎える直前であった。

池のほとりに建つダイアナ記念聖堂(写真左)/事故死の2ヵ月前に撮影された、米国訪問中のダイアナ(© John Mathew Smith)。

ダイアナは1961年7月1日、ノーフォークのサンドリンガムにあるスペンサー家所有の屋敷で、三女として誕生。長女、次女と女児が続き、跡継ぎとなる男児の誕生が待ち望まれていた中、産声を上げたのがまた女児であったことに父親は失望感を隠せなかったという。3年後に無事に長男が生まれたものの、両親はダイアナが7歳のときに離婚。母親は屋敷を出て行き、ダイアナはそのままサンドリンガムで育った。やがて全寮制の寄宿学校へ進学、さらにスイスの名門フィニッシング・スクール(上流階級の子女が礼儀作法を学ぶ学校)に入学している。一家がオルソープへ引っ越した際には学生で実家を離れており、また卒業した後はロンドンにある母親所有のフラットで一人暮らし、そして20歳の若さで王室に嫁いだダイアナが、同邸宅で過ごした時間は長いとは言い難いだろう。
このようにオルソープから彼女の足が遠のいたのは、「継母」との関係が上手くいかなかったことも一因とされている。ダイアナの父親は、伯爵位を得るとすぐに長年の恋人であった女性と再婚している。オルソープに「三女」である彼女の居場所はなかったのかもしれない。

賛否両論あった一般公開

オルソープの旧ステーブルの中庭で、出版本のサイン会を行うダイアナの弟、現当主のチャールズ・スペンサー卿(中央)。

現在目にすることができるオルソープは、18世紀後半に増改築を終えたもの。現在もスペンサー伯爵一家が暮らしており、夏季の60日間だけ一般公開されている。
フランス・パリでの衝撃的な事故で、わずか36年という波乱の生涯を閉じたダイアナは、離婚して王室から離れたため、実家のオルソープに埋葬された。そして、彼女が亡くなった翌年の1998年から始まった夏の一般公開は、現当主スペンサー卿の離婚問題から発生した慰謝料や邸宅の莫大な維持費等を捻出するための「事業」と揶揄され、当初は賛否両論あった。しかしながら、この公開がダイアナの安住の地を一目見たいと願う人々の心に応えようとする真摯なものであろうと、あるいは費用捻出のためのビジネスであろうと、我々にとってはどちらでもよいことではないだろうか。
邸宅内を歩けば、中央大階段の壁に掲げられたダイアナの肖像画、さりげなくテーブルの上に飾られたウィリアム王子を抱いた記念写真など、そこかしこにダイアナの面影が見え隠れする。また、旧ステーブル(馬舎)で行われているエキシビションでは、ダイアナが結婚式で身につけたダイヤモンドのティアラや「フラワーガール」として出席した少女たちのドレス、彼女の葬儀でスペンサー卿が朗読した追悼文も展示されている。15年にわたって開かれたダイアナの特別展が終わってしまったのはとても残念だが、それでも「英国の薔薇」と讃えられた故人を偲ぶには十分なひとときを過ごせるだろう。

自然に抱かれた墓所

邸宅を出て、いよいよダイアナの墓に続く小道へと歩を進める。
スペンサー家の正式な墓所は、オルソープの敷地に隣接して建つ「セント・メアリー教会(St Mary's Church, Great Brington)」。この教会は邸宅を建造したジョン・スペンサーが自ら設計したもので、彼が1522年に最初に埋葬されて以降、代々の当主たちが同所で眠りについている。本来ならダイアナもこの教会に運ばれるはずだったが、弟のスペンサー卿が選んだ場所はオルソープの庭園に広がる池「The Round Oval」。とは言っても、池に遺灰を撒いたわけではない。楕円形の池の中央に浮かぶ小島の「どこか」に埋葬されたのである。

写真奥の古典様式の白い建物が、ダイアナ記念聖堂。ボートでしか渡ることができない小島には、白い大理石のモニュメントが建っている。
ダイアナ記念聖堂のベンチは、邸宅で働くスタッフ一同がスペンサー卿に贈ったもの。公開期間はダイアナの命日(8月31日)に近いため、多くの人々が追悼に訪れる。

葦(あし)が周囲を取り囲む池のほとりを歩きながら、静かな水面に抱かれた小島を眺めていると、白い大理石でつくられたモニュメントが建っていることに気づく。モニュメントの上部には、英国の墓地でしばしば見かける「つぼ」の彫刻が飾られている。このつぼは「骨つぼ」を示し、死を意味する典型的なオブジェだ。「ダイアナ妃はあの辺りに眠っているのだろうか…」と我々取材班は思いを馳せ、しばしのあいだ感慨に浸った。
また、池のほとりにはダイアナの死を追悼して建てられた古典様式の小さな聖堂もあり、壁には「世界の弱者に手を差し伸べるのが、私の最上の喜び」というダイアナの言葉が刻まれている。ベンチの上に供えられた、真っ赤な薔薇の花束やメッセージカードの数々に、人々のダイアナに寄せる深い哀惜と変わらぬ愛情を感じた。
今年のオルソープの一般公開は、7月1日から8月31日まで。ウィリアム王子には3人の子ども、ハリー王子にも今春第1子が誕生し、その血は連綿と受け継がれていっている。この夏、奔放で異端児的な「伝説のプリンセス」に、ぜひ会いに行ってみてはいかがだろうか。

愛のない結婚生活、三角関係、不倫…
スペンサー家、もうひとりのスキャンダラスな貴婦人

イングランド中部ダービーシャーにある「ピーク・ディストリクトの宮殿」こと、デボンシャー公爵家の本邸「チャツワース(Chatsworth)」。映画「ある公爵夫人の生涯(The Duchess)」(2008年、キーラ・ナイトレー主演)=写真右=では、この邸宅で暮らした5代目デボンシャー公爵夫人のジョージアナ・キャベンディッシュ=同左=の波乱万丈な生涯が描かれている。
圧倒的なカリスマ性と美貌で社交界を牽引し、ファッション・リーダーと謡われたジョージアナは、実は初代スペンサー伯爵の長女。オルソープで誕生し、17歳のときに公爵家へ嫁いだ。しかし、流産を繰り返して不妊に苦しみ、夫からはつらく当たられ、やがてパーティーやギャンブルに没頭。自身の親友だった女性と夫の不倫に嫉妬し、自身も別の男性との不倫の末に子どもを極秘出産するなど、スキャンダラスな人生を送った。
ダイアナは、ジョージアナのように夫(チャールズ皇太子)とその愛人(カミラ夫人)と、同じ邸宅内で3人仲良く暮らすことはなかったが、生来のカリスマ性、愛のない結婚生活、三角関係、不倫など、あまりに重なる2人の人生は、血は争えないことを物語っているかのようだ。
ちなみに、結婚から16年後の33歳のとき、ジョージアナはようやく夫との間に男児をもうけたものの、その子どもは独身のまま跡継ぎを持つことなく生涯を終えている(同性愛者だったとされる)。

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デボンシャー公爵夫人の愛と憂いの物語 チャツワースを征く

Travel Information 2019年7月2日現在
Althorpspencerofalthorp.com

アクセス
自動車:ロンドンからM1を北上。ジャンクション16でDaventry方面のA45出口を出る。所要約1時間40分。
電車:ロンドン・ユーストン駅からノーサンプトン駅まで約1時間。駅からタクシーで約15分。

オープン時間
2019年8月31日まで
12:00~17:00
※邸宅への入場は15:00まで、ガイドツアー制

入場料
大人:£18.50
子ども:£11

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邸宅内も見れる!編集部制作のショートフィルムをお楽しみください。

週刊ジャーニー No.1093(2019年7月4日)掲載