■シェイクスピアの生誕の地、ストラトフォード・アポン・エイヴォン川の中流に建つのが、イングランド中部を代表する中世の城のひとつ、ウォリック城(Warwick Castle)だ。今回は、中世時代の重要な軍事拠点であり、王位簒奪を企む野心に満ちた男たちの「本拠地」として知られた同城を紹介しよう。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

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ウォリック城の起源は、アングロ・サクソン時代までさかのぼる。イースト・アングリア地方(現在のイングランド東部)を除き、ほぼイングランド全域を統治していたアルフレッド大王の娘エセルフレイダ王女が、北方から攻めてくるデーン人たちの侵略に備え、914年に築かせた砦が始まりだ。
やがてノルマン人によるイングランド征服後、ウィリアム1世はこの砦に目をつけ、同所に中部地方を守る「最大の城塞」を建造するよう命じた。その際、築城と城主を任せた忠臣に授けた称号が、のちに城名となる「ウォリック伯爵」。当初、一部木造だったウォリック城は、13世紀後半から徐々に石材で再建されていき、現在の形が完成したのは15世紀である。

鷹狩りのパフォーマンスは大迫力!(写真上)/エイヴォン川越しに見る堅牢なウォリック城。
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歴史を動かした男

「キングメーカー」と呼ばれた、第16代ウォリック伯爵リチャード・ネヴィル。
ウォリック伯爵位は、誰もが一度はその名を耳にしたことがあるほど有名な人物ではないものの、英国史を語る上で重要な鍵を握る男たちが受け継いできた爵位だ。権力欲に取りつかれた彼らはこの城から王位をめぐる決戦に出立し、そして再びこの地に戻ることはなかった――。そのひとりが通称「キングメーカー(Kingmaker)」と呼ばれた男、リチャード・ネヴィル。もうひとりは、若干15歳のジェーン・グレイを「9日間の女王」にまつりあげた男、ジョン・ダドリーである。
リチャード・ネヴィルに与えられた「キングメーカー」という別名は、「彼が味方についた一族が王位に就く」ことに由来している。ネヴィルは、ウォリック伯の唯一の嫡子であった娘と結婚し、同家の第16代当主の座を受け継いだ。赤薔薇を記章とするランカスター家と白薔薇を記章とするヨーク家が、王位をめぐって「薔薇戦争」を繰り広げていた時代に、強い野心とリーダーシップによって頭角を現した人物である。
ウォリック伯爵家は元来、ランカスター家出身の国王ヘンリー6世を支持していたが、ネヴィルはどちらの家が王冠を戴いてもいいように、2人の娘を同王の息子と敵であるヨーク家の嫡子の双方に嫁がせた。娘の夫が国王となれば、外戚としてその背後で政治の実権を握ることが目的であった。ヘンリー6世への民衆の不満が高まれば、ヨーク家の陣営を率いてエドワード4世を即位させ、エドワード4世と政策などで対立するようになると、再びランカスター側に舞い戻って反乱を起こし、ヘンリー6世を復位させている。
しかし1471年、王位への返り咲きを狙うエドワード4世とその弟(のちのリチャード3世)との戦いで敗戦。ネヴィルは戦死し、玉座を左右する陰謀劇は幕を閉じた(下記のコラム参照)。

蝋人形で再現
バーネットの戦い、出陣前夜のキングメーカー

▲ 小姓の手を借りて甲冑を身につけるネヴィル。強い視線が見物客を射抜く(写真左)/出陣の準備に沸く洗濯場の女性たち。
ウォリック城の一角にある「キングメーカー」の館では、1471年にロンドン北部で激突した「バーネットの戦い」へ赴くネヴィルや兵士、城内で働く使用人たちの様子が、蝋人形を使って再現されている。
館内はアトラクションのようになっており、士気を高めるために出陣前の演説をするネヴィルの声、準備に追われる使用人や職人たちの怒号が飛び交う。火薬のにおいも漂い、決戦前の興奮や緊張が肌で感じられる。等身大のリアルな蝋人形が並ぶ薄暗い中を歩くので、お化け屋敷を進むようなスリル感も味わえる。
ネヴィルはバーネットで戦死し、その遺体はセント・ポール大聖堂前にさらされた。

歴史の波にのまれた男

次にウォリック伯爵家の名が歴史上に登場するのは、1547年のこと。ヘンリー8世の死去にともない、9歳で即位したエドワード6世に代わって政治を取り仕切る枢密顧問官のひとりであったジョン・ダドリーが、断絶していたウォリック伯爵家の復興を任されたのである。
まるで爵位名に導かれるように、ダドリーの野心は日々強まり、宮廷内で力をつけていった。謀をめぐらせ、やがて摂政を務めていたエドワード6世の伯父、サマセット公爵を反逆罪で処刑することに成功。実質上のイングランド最高権力者にのぼりつめた。
当時のイングランドでは、カトリックと英国国教が対立しており、どちらの宗派の君主になるかで勢力図が大きく変わる可能性があった。エドワード6世もダドリーも英国国教徒だったが、病弱な少年王の健康状態が悪化したことで事態は一変。カトリック教徒である王の異母姉メアリー(のちのメアリー1世)の即位を避けるべく担ぎ出されたのが、敬虔な英国国教徒で王位継承権を持つ15歳のジェーン・グレイだった。ダドリーは息子とジェーンを結婚させて彼女を女王とし、外戚として引き続き実権を握ったが、まもなく「正当な王位継承者」を宣言して進軍してきたメアリーの軍勢に敗戦。反逆罪で処刑された。

ウォリック伯爵家を復興したジョン・ダドリー(右)、9日間しか王位に就けなかったレディ・ジェーン・グレイ(左の中央)。2人とも反逆罪で、ロンドン塔にて処刑された。

息をのむ眺望

ウィリアム1世の命により、最初に造営された要塞(The Conqueror's Fortress)からの春の眺め。眼下にはエイヴォン川と、18世紀にケイパビリティ・ブラウンが手がけた庭園が広がる。

18世紀のグレヴィル家の時代に完成したグレート・ホール。
反逆罪に問われたネヴィル家、ダドリー家の「お家断絶」により、二度も消滅という憂き目に遭ったウォリック伯爵位だが、その後さらに二度復興され、1719年からはグレヴィル家がその称号を所持し続けている。
しかしながら、ウォリック城自体は1978年にマダム・タッソー・グループに買い取られ、一般公開されるようになった。そのため、各時代の城内の様子を再現するために貴婦人や紳士たちの蝋人形があちこちに飾られていたり、城の歩みをたどるタイムトラベル体験、監獄跡を利用したダンジョン(別料金)のほか、鷹狩りのパフォーマンスなども毎日行われていたりと、敷地内はアミューズメント・パークのような明るさと賑やかさに満ちている。歴史や中世の重々しい雰囲気を堪能したい人は、少々物足りないと感じるかもしれない。
ただ、城塞であったがゆえに、城壁や塔の上から目にする眺めは「絶景」のひと言だ。南西方向では、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへと流れゆくエイヴォン川と、英国らしい緑豊かな自然風景をはるか遠くまで見渡すことができる。また北東方向には、12世紀に建造された教会を中心にウォリックの町並みが広がっている。
10月末からイースター休暇前まで、冬季休業に入るカントリーハウスや城が多い中、クリスマスと年始以外いつでも温かく迎えてくれるウォリック城。電車でも行けるので、車がなくても訪れやすいだろう。秋から冬の週末の過ごし方にお悩みの人は、ぜひイングランド中部最大の城を訪れてみてはいかがだろうか。

ガイズ・タワー(Guy's Tower)からの初秋の眺め。中心に建つのは、ウォリック伯爵家の代々当主が眠る教会。エリザベス1世の愛人だったロバート・ダドリー(ジョン・ダドリーの息子)も埋葬されている。
動画へGo!

週刊ジャーニー編集部では、ウォリック城を題材に、ショートフィルムを制作しました。下の動画を、ご覧ください。

Travel Information

※2018年10月30日現在

Warwick Castle

Warwick, Warwickshire CV34 4QU
Tel: 01926 495 421
www.warwick-castle.com

アクセス
自動車:ロンドンからM40で北上し、ジャンクション15で降りる。「Warwick Castle」と書いた看板が現れるのでわかりやすい。所要2時間弱。駐車場は、城に隣接する「Stables Car Park」と城まで徒歩10分ほどの「Stratford Road Car Park」等がある。
電車:ロンドン・マリルボーン駅から国鉄に乗車し、ウォリック駅で下車。所要およそ1時間半。駅からは徒歩約15分。

オープン時間
11月4日まで/10:00~18:00
11月5日~12月21日/
10:00~16:00(週末は17:00迄)
12月22日以降/10:00~17:00

入場料
大人:£28(当日券)
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週刊ジャーニー No.1059(2018年11月1日)掲載