ひっそりと静まり返った水堀に囲まれ、威容を誇るリーズ城。その佇まいと歴史から、「最も美しい城」「貴婦人の館」の名で知られている。
今回は、ロンドン中心部から車でおよそ1時間半ほどの場所にあるこの城を征くことにしたい。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

この世で最も美しい城

「ヨーロッパの名城はそれぞれに壮麗で美しい。テムズに映えるウィンザー城、川辺に建つウォーリック城やラドロウ城、海辺のコンウェイ城やカナーフォン城、ロワールのアンボワーズ城、水際のエグ・モルト城、カルカソンヌ城、クーシー城、ファレーズ城、ガイヤール城。どれも美しく、賞賛に値する。しかし、シダが黄金色に染まり、かすかに青い霧が木々にたなびく秋の宵、湖水に抱かれて建つリーズ城の美しさにはかなわない。その眺めはこの世で最も美しい」
イングランド南東部ケントのメイドストンにあり、500エーカー(東京ドーム43個分)の敷地を有するリーズ城。20世紀の美術評論家で政治家のコンウェイ卿が城をこのように描写したことが所以となり、今も「the loveliest castle in the world(世界で最も美しい城)」という惹句で語られている。だが、こうした佇まいへの賛辞に限らず、リーズ城はロマンティックな過去を秘めている。その歴史をさかのぼってみたい。

城の見学は、入場門となるゲートハウスを抜けて堀沿いを歩くことからスタート。正面に中世から建つグロリエットが見えてくる。

貴婦人の館

城の起源は9世紀。この一帯はもともとノルマン征服以前のサクソン人が所有し、レン川に囲まれた2つの島に木造の建築物が建てられていた。1090年にはウィリアム2世がヘイスティングズの戦いでの功績を称え、従弟であるノルマン貴族に与え、12世紀になって石造りの要塞が建てられた。
王族の所有となったのは13世紀のエドワード1世の治世のこと。スペインから嫁いできた最初の王妃エリナーとエドワード1世は仲睦まじく、ふたりの間には16人の子供が誕生している。ウェールズ、スコットランドの併合、フランス侵攻などを目的に戦いに明け暮れたエドワードだったが、1278年に王はこの一帯を最愛の妻、エリナー王妃に捧げると、要塞(城)の大改修に予算を注いだ。
現在、城の北部分の小さな島にある棟は、スペイン語でパビリオン(東屋)を意味するグロリエット(Gloriette)の名で呼ばれている。そのわけは、スペイン出身の王妃の影響を受けてのこと。リーズ城は現在に至るまでに火災や老朽化などによって姿を変えているが、グロリエットの基本構造はこの時代に造られたものからさほど変化していない。先頭の写真を見ると分かりやすいが、水堀に浮かぶ城は大小2つの島のそれぞれに建つ棟と、棟をつなぐ橋(渡り廊下)によって成り立っている。当時、大きな島に建つ棟はまだ建てられていなかったが、城を囲む水堀はエドワード1世によって築かれたと考えられている。
エレナー王妃の死後、エドワード1世はフランスとの関係を強固なものにするため、フェリペ4世の妹マーガレットと結婚。ハネムーンをリーズ城で過ごした後、王は40歳ほど年の離れたマーガレット王妃に寡婦産(未亡人が相続する夫の財産)として譲渡することを決める。これ以降、未亡人となった王妃が所有権を持つという慣習が始まり、エドワード2世のイザベラ王妃、リチャード2世のアン・オブ・ボヘミア王妃、ヘンリー4世のジョーン・オブ・ナヴァール王妃、ヘンリー5世のキャサリン・オブ・ヴァロア王妃などに捧げられ、所有あるいは居住した。リーズ城が「貴婦人の館」の異名をとるのはこのためだ。なかでもリチャード2世とアン王妃はここを気に入り、ふたりで定期的に訪れ、静かで落ち着いたひとときを過ごした。
リーズ城を所有した王妃らのうち3人がフランスの王女だったため、城内にはフランス王室らしい室内装飾が施されるなど、中世を通して優雅さと気品に満ちた城だったことが伝えられている。ただ、名城の大部分は失われる運命をたどることとなる。

20世紀に入って再建されたゲートハウス=写真左=と、ゲートハウス手前にある、13世紀のバービカン(外防備)跡=同右。

Black Swan

リーズ城のシンボル、黒鳥

湖にはさまざまな水鳥が大量に放し飼いにされていて、訪問者の目を楽しませているが、中でも目を引くのが黒鳥。エレガントなドレスを思わせる羽が美しい黒鳥は、20世紀の城主ベイリー夫人によって持ち込まれ、リーズ城のシンボルにもなっている(ギフト・ショップには黒鳥の置物=写真上=もあり)。黒鳥のほか、白鳥やクジャクなどが敷地内のあちこちで見られる。

のしかかる相続税

ヘンリー5世とキャサリン・オブ・ヴァロア王妃が使った部屋を再現した「クイーンズ・ルーム」=写真上=と、隣接する「クイーンズ・バスルーム」=同下。
ヘンリー8世がリーズ城を所有した16世紀前半、王は最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンのために大規模な改修を行うが、王の死後、1552年には側近に譲り渡され、およそ300年にわたって王族が所有してきた城の歴史にピリオドが打たれる。以後20世紀に至るまで貴族階級である城主の手を渡っていく。
この間に、大きな島部分に新たな城が建設され、城の本館として機能するようになっていく。城主らは自慢の城と貴族としての矜持を維持すべく膨大な資金を投入し続けたことは言うまでもない。一方で、城には常に維持費と相続税の問題がつきまとい、城主の多くは資産家であったものの、その莫大な費用に売却や譲渡を余儀なくされ、その度に城内の資産が売りさばかれることも少なくなかった。
17世紀半ばには、グロリエット部分が拘置所として使われ、捕虜によって火がつけられたことから、大部分が焼失してしまう。本館に比べると古びたグロリエットは城主の関心の対象とはならなかったのかもしれない。焼失したグロリエットはおよそ160年にわたって放置されることとなる。

グロリエットと新館をつなぐブリッジ。
1822年には当時の城主が現在に残る新城の建設を決め、合わせてグロリエットの修復にも着手する。工事は無事に完了し、しばしの平和が訪れるものの、1920年代に入ると、リーズ城は重い相続税を理由に売りに出され、買手が何年もつかないまま、放置されていた。1925年に、米紙『ニューヨーク・ワールド』の発行者で新聞王として知られるウィリアム・ランドルフ・ハーストが下見を行っているものの、あまりの荒廃ぶりにやむなく手を引いたというエピソードも残っている。

ブルーの色調が静謐さを漂わせるベイリー夫人の寝室。鳥好きな夫人のために、随所に鴨や鷹などの置物が配されている。
動画へGo!

週刊ジャーニー編集部では、リーズ城を題材に、4分ほどのショートフィルムを制作しました。下の動画を、ご覧ください。

Henry VII ヘンリー8世

写真左=フランソワ1世/同右=ヘンリー8世

「金襴の陣」へ、いざ出陣!

1520年5月21日、きらびやかな装束に身を包んだイングランド国王ヘンリー8世は3997人の従者をしたがえてグリニッジを出発した。目的地はフランスのカレー近郊の大平原であり、そこでフランス国王フランソワ1世との会見の場が持たれていた。歴史上「金襴の陣(Field of the Cloth of Gold)」と呼ばれる出来事である。王妃キャサリンも1175人の行列を従えて後に続き、このふたつの大行列が立ち寄ったのがドーバー海峡への途上にあるこのリーズ城だ。
城は、ヘンリー8世が王妃キャサリンのため、強国フランスのどの城にも引けをとらないよう拡張工事を施しており、5000人近くの兵士や従者が城周辺の敷地を埋め尽くす光景は圧巻だったに違いない。イングランドがいかに壮大で洗練されているかをフランスに見せつけるためにはどうすべきか――、湖面に映る城を睨みながらヘンリー8世が考えたかどうかは定かでないが、世紀の一瞬ともいえる会見の足がかりとしてリーズ城は最適の場所といえた。
一行は一晩リーズ城で過ごした後、翌日ドーバーへと出発。敷地内で捕獲された鹿の肉や、貯蔵庫からバターなどが会見の地に運ばれた。
両国の親睦を深めるという名目の「金襴の陣」だったが、政治的には大きな成果を生まず、翌年に関係は悪化することとなる。後に大陸で唯一のイングランド領であったカレーを失うと、リーズ城の存在価値も一気に下がり、王の死後、城は側近に譲り渡された。
現在のリーズ城内にある「バンケティング・ホール」は、もともとはヘンリー8世とキャサリン王妃のために作られた。17世紀に火災によって大部分が失われるが、19~20世紀に大修復が行われ、当時の内装が再現されている。

会見のためドーバー海峡を渡るヘンリー8世一行を描いたもの。「バンケティング・ホール」に飾られている。

リーズ城内で最も広い部屋「バンケティング・ホール」。1927年に改修工事が完了し、中世の様子が再現されている。

城を救った米国人

時代が変われば変わるほど、城の存続は厳しさを増すばかりで、英国中に散在する廃墟の城と同様、リーズ城はただただ風化していくのを待つばかりに見えた。
そこに救世主のごとく現れたのがオリーヴ・セシリア・パジェット。後に「ベイリー夫人」としてリーズ城の歴史に欠かせない存在となる人物だ。大英帝国一等勲士(GBE)を受勲した実業家で英国人の父アルメリックと、米国の大財閥ホイットニー家の祖を築いたウィリアム・ホイットニーの令嬢ポーリーンとの間に米国で生を受けたオリーヴは、1926年に初めてリーズ城を訪れる。3歳と6歳になる娘2人と、再婚したばかりの夫と新生活を始めた直後の26歳の頃だ。
由緒ある古城を住まいにするというアイディアは、当時のブルジョアのステータス・シンボルでもあり、この夫婦もご多分に漏れず、リーズ城に目をつけていたのである。親からの莫大な遺産を譲り受けていたオリーヴは、リーズ城をひと目見たときからその壮麗さに心奪われ、同年、リーズ城を18万ポンド(現630万ポンド)で購入した。

Glamorous 20th Century

英国上流階級のトップサロン

英仏の様式が合わさった、30人程度の食事が可能な「ダイニング・ルーム」。=写真左。1938年に作られた「ライブラリー」。「ダイニング・ルーム」と同様に、ブーダンによって改修された。=同右。

トレードマークとなっていたパイプを手にしたベイリー夫人=中央=と2人の娘の肖像画。
城の改修に並々ならぬ情熱を注いだオリーヴの3番目の夫で、国会議員であったベイリー卿の広い人脈は、リーズ城に多彩な顔ぶれの来賓をもたらし、政界や財界、芸能界からゲストを招いた毎週末のパーティーは、メディアを賑わせた。政治的なことには一切興味のなかったオリーヴだが、一躍サロンの女主人として名を馳せ、リーズ城の名もまた、英国上流階級のトップサロンとして知られるところとなる。
週末の宴に招待された30名ほどの招待客は、金曜の夜か土曜の朝に車かチャーター便で到着し、土曜の朝食後はテニスやゴルフ、スカッシュ、乗馬、堀でのボートやスケートを楽しんだ。午後8時からの晩餐は、たいがい噂話や自慢話などで盛り上がり、食後にはダンスやカードプレー、フィルムショーなどに興じたという。
招待客の中には著名な政治家はもちろんのこと、ウィンザー公爵エドワード王子とウォリス・シンプソンや、ケント公ジョージ、ルーマニア王妃などを含む王族の他、ベイリー夫人が映画ファンだったことから、チャーリー・チャップリンやジェームズ・スチュアート、ロバート・テイラーなどの銀幕のスターたち、歌手や作家などが含まれていた。

写真左:ブーダンが内装を手がけた「イエロー・ルーム」。完成は1938年。壁が黄色一色で彩られ明るい印象を与える。同右:重厚感にあふれる「ソープ・ホール・ドローイング・ルーム」。壁パネルとマントルピースは、当時、売りに出されていたピータバラのソープ・ホールから買い取り運び込まれたもの。

蘇ったリーズ城

広大な敷地内には、2400本の櫟(いちい)の木を植えて作られた迷路&グロット(洞窟)があるほか、プレイグラウンドなどもあり、子供が思う存分遊ぶことができる。
念願の古城を手にしたオリーヴは、当時国際的に活躍していたパリの建築デザイナーであり、室内装飾家のアルマン・アルベール・ラトーをこの大修復の監修役に起用。城全体の修復には10万ポンド(現350万ポンド)が必要と推定されていたが、彼女はその値にいとめをつけず改修に取り掛かる。
中世の国王や王妃の居住であったグロリエットは、残された資料やイメージをもとにデザインされ、幽霊屋敷と化していた城は中世に漂わせていた優雅さを蘇らせ、息を吹き返していく。

17世紀の城主の名にちなんで名づけられた「カルペパー・ガーデン」。春夏は多様な花々で色づく。
まもなくオリーヴは、エイドリアン・ベイリー卿という3番目の夫とも出逢い、「ベイリー夫人」として語られることになる。1936年以降は、ホワイトハウスの内装も手がけたインテリア界の大御所、フランス人室内装飾家のステファン・ブーダンとも強い信頼で結ばれ、多くの部屋が現在の姿に整えられた。フランスと英国のインテリア要素が入り混じったスタイルのリーズ城は、当時の社交界で人気を博し、週末に催されるパーティーには多くの著名人らが足を運んだ。

地中海スタイルの「レディー・ベイリー・ガーデン」。サボテンや多肉植物などエキゾチックな植物が育つ。
第二次世界大戦後、ベイリー夫人は城の相続税や維持費を懸念して、家族に相続するのではなく「財団」として残すことを決めた。そして夫人の死後、城および庭園が一般公開されるようになった。同時に企業によるセミナーや講演会会場としても頻繁に利用され、「快適な場」としての評判を高めていくと、1977年には、その安全性と機能性が評価され、G7財務相会合の会場として選ばれ、翌年には中東和平会議も行われている。
実際に訪れてみると、「この世で最も美しい城」というのは大袈裟にも感じられるが、豊かな自然に囲まれ水堀に映る城の堂々たる姿は美しく、うっとりとさせられる。代々の王妃が暮らし、数々の城主に受け継がれてきたこのリーズ城へと出かけてみてはいかがだろうか。

リーズ城では敷地内での宿泊も可能。川沿いに建つセルフ・ケータリングのコテージのほか、B&B、ヘンリー8世の従者らの気分に浸れる(!?)グランピング(キャンプ/4~9月)などの施設がそろう。写真はステーブル・コートヤードB&B。チャーチル元首相、チャーリー・チャップリンなど、リーズ城を訪れた著名人にちなんだ名前が各部屋につけられている。

Travel Information

※2018年10月1日現在

Leeds Castle

Maidstone, Kent ME17 1PL
www.leeds-castle.com


【オープン時間】
4~9月 城:午前10時30分~午後5時30分
ガーデン:午前10時~午後6時
10~3月 城:午前10時30分~午後4時
ガーデン:午前10時~午後5時

■ 入場料(宮殿、庭園含む)
大人:25.50ポンド
子供(4~15歳):17.50ポンド

■ ロンドンからのアクセス
…A20→M20と進み、ジャンクション8を出てA20に入り、しばらくするとリーズ城を示す茶色の看板が見えてくる。所要1時間半程度。カーナビ(Sat Nav)を利用する場合は、ポストコード「ME17 1RG」を入力する。
公共交通…ヴィクトリア駅からAshford方面行きに乗り、Bearsted駅下車。所要時間は約1時間。駅から、夏期間(4~9月)はシャトルバス(www.spottravel.co.uk/leeds-castle)が定期的に運行中。約10分ほどで到着する。冬期間は不定期。

週刊ジャーニー No.1055(2018年10月4日)掲載