今回は、ロンドン中心部から車でおよそ1時間半ほどの場所にあるこの城を征くことにしたい。
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部
この世で最も美しい城
貴婦人の館
城の起源は9世紀。この一帯はもともとノルマン征服以前のサクソン人が所有し、レン川に囲まれた2つの島に木造の建築物が建てられていた。1090年にはウィリアム2世がヘイスティングズの戦いでの功績を称え、従弟であるノルマン貴族に与え、12世紀になって石造りの要塞が建てられた。
王族の所有となったのは13世紀のエドワード1世の治世のこと。スペインから嫁いできた最初の王妃エリナーとエドワード1世は仲睦まじく、ふたりの間には16人の子供が誕生している。ウェールズ、スコットランドの併合、フランス侵攻などを目的に戦いに明け暮れたエドワードだったが、1278年に王はこの一帯を最愛の妻、エリナー王妃に捧げると、要塞(城)の大改修に予算を注いだ。
現在、城の北部分の小さな島にある棟は、スペイン語でパビリオン(東屋)を意味するグロリエット(Gloriette)の名で呼ばれている。そのわけは、スペイン出身の王妃の影響を受けてのこと。リーズ城は現在に至るまでに火災や老朽化などによって姿を変えているが、グロリエットの基本構造はこの時代に造られたものからさほど変化していない。先頭の写真を見ると分かりやすいが、水堀に浮かぶ城は大小2つの島のそれぞれに建つ棟と、棟をつなぐ橋(渡り廊下)によって成り立っている。当時、大きな島に建つ棟はまだ建てられていなかったが、城を囲む水堀はエドワード1世によって築かれたと考えられている。
エレナー王妃の死後、エドワード1世はフランスとの関係を強固なものにするため、フェリペ4世の妹マーガレットと結婚。ハネムーンをリーズ城で過ごした後、王は40歳ほど年の離れたマーガレット王妃に寡婦産(未亡人が相続する夫の財産)として譲渡することを決める。これ以降、未亡人となった王妃が所有権を持つという慣習が始まり、エドワード2世のイザベラ王妃、リチャード2世のアン・オブ・ボヘミア王妃、ヘンリー4世のジョーン・オブ・ナヴァール王妃、ヘンリー5世のキャサリン・オブ・ヴァロア王妃などに捧げられ、所有あるいは居住した。リーズ城が「貴婦人の館」の異名をとるのはこのためだ。なかでもリチャード2世とアン王妃はここを気に入り、ふたりで定期的に訪れ、静かで落ち着いたひとときを過ごした。
リーズ城を所有した王妃らのうち3人がフランスの王女だったため、城内にはフランス王室らしい室内装飾が施されるなど、中世を通して優雅さと気品に満ちた城だったことが伝えられている。ただ、名城の大部分は失われる運命をたどることとなる。
Black Swan
リーズ城のシンボル、黒鳥湖にはさまざまな水鳥が大量に放し飼いにされていて、訪問者の目を楽しませているが、中でも目を引くのが黒鳥。エレガントなドレスを思わせる羽が美しい黒鳥は、20世紀の城主ベイリー夫人によって持ち込まれ、リーズ城のシンボルにもなっている(ギフト・ショップには黒鳥の置物=写真上=もあり)。黒鳥のほか、白鳥やクジャクなどが敷地内のあちこちで見られる。
のしかかる相続税
この間に、大きな島部分に新たな城が建設され、城の本館として機能するようになっていく。城主らは自慢の城と貴族としての矜持を維持すべく膨大な資金を投入し続けたことは言うまでもない。一方で、城には常に維持費と相続税の問題がつきまとい、城主の多くは資産家であったものの、その莫大な費用に売却や譲渡を余儀なくされ、その度に城内の資産が売りさばかれることも少なくなかった。
17世紀半ばには、グロリエット部分が拘置所として使われ、捕虜によって火がつけられたことから、大部分が焼失してしまう。本館に比べると古びたグロリエットは城主の関心の対象とはならなかったのかもしれない。焼失したグロリエットはおよそ160年にわたって放置されることとなる。
週刊ジャーニー編集部では、リーズ城を題材に、4分ほどのショートフィルムを制作しました。下の動画を、ご覧ください。
Henry VII ヘンリー8世
「金襴の陣」へ、いざ出陣!
1520年5月21日、きらびやかな装束に身を包んだイングランド国王ヘンリー8世は3997人の従者をしたがえてグリニッジを出発した。目的地はフランスのカレー近郊の大平原であり、そこでフランス国王フランソワ1世との会見の場が持たれていた。歴史上「金襴の陣(Field of the Cloth of Gold)」と呼ばれる出来事である。王妃キャサリンも1175人の行列を従えて後に続き、このふたつの大行列が立ち寄ったのがドーバー海峡への途上にあるこのリーズ城だ。城は、ヘンリー8世が王妃キャサリンのため、強国フランスのどの城にも引けをとらないよう拡張工事を施しており、5000人近くの兵士や従者が城周辺の敷地を埋め尽くす光景は圧巻だったに違いない。イングランドがいかに壮大で洗練されているかをフランスに見せつけるためにはどうすべきか――、湖面に映る城を睨みながらヘンリー8世が考えたかどうかは定かでないが、世紀の一瞬ともいえる会見の足がかりとしてリーズ城は最適の場所といえた。
一行は一晩リーズ城で過ごした後、翌日ドーバーへと出発。敷地内で捕獲された鹿の肉や、貯蔵庫からバターなどが会見の地に運ばれた。
両国の親睦を深めるという名目の「金襴の陣」だったが、政治的には大きな成果を生まず、翌年に関係は悪化することとなる。後に大陸で唯一のイングランド領であったカレーを失うと、リーズ城の存在価値も一気に下がり、王の死後、城は側近に譲り渡された。
現在のリーズ城内にある「バンケティング・ホール」は、もともとはヘンリー8世とキャサリン王妃のために作られた。17世紀に火災によって大部分が失われるが、19~20世紀に大修復が行われ、当時の内装が再現されている。
城を救った米国人
時代が変われば変わるほど、城の存続は厳しさを増すばかりで、英国中に散在する廃墟の城と同様、リーズ城はただただ風化していくのを待つばかりに見えた。そこに救世主のごとく現れたのがオリーヴ・セシリア・パジェット。後に「ベイリー夫人」としてリーズ城の歴史に欠かせない存在となる人物だ。大英帝国一等勲士(GBE)を受勲した実業家で英国人の父アルメリックと、米国の大財閥ホイットニー家の祖を築いたウィリアム・ホイットニーの令嬢ポーリーンとの間に米国で生を受けたオリーヴは、1926年に初めてリーズ城を訪れる。3歳と6歳になる娘2人と、再婚したばかりの夫と新生活を始めた直後の26歳の頃だ。
由緒ある古城を住まいにするというアイディアは、当時のブルジョアのステータス・シンボルでもあり、この夫婦もご多分に漏れず、リーズ城に目をつけていたのである。親からの莫大な遺産を譲り受けていたオリーヴは、リーズ城をひと目見たときからその壮麗さに心奪われ、同年、リーズ城を18万ポンド(現630万ポンド)で購入した。
Glamorous 20th Century
英国上流階級のトップサロン
週末の宴に招待された30名ほどの招待客は、金曜の夜か土曜の朝に車かチャーター便で到着し、土曜の朝食後はテニスやゴルフ、スカッシュ、乗馬、堀でのボートやスケートを楽しんだ。午後8時からの晩餐は、たいがい噂話や自慢話などで盛り上がり、食後にはダンスやカードプレー、フィルムショーなどに興じたという。
招待客の中には著名な政治家はもちろんのこと、ウィンザー公爵エドワード王子とウォリス・シンプソンや、ケント公ジョージ、ルーマニア王妃などを含む王族の他、ベイリー夫人が映画ファンだったことから、チャーリー・チャップリンやジェームズ・スチュアート、ロバート・テイラーなどの銀幕のスターたち、歌手や作家などが含まれていた。
蘇ったリーズ城
中世の国王や王妃の居住であったグロリエットは、残された資料やイメージをもとにデザインされ、幽霊屋敷と化していた城は中世に漂わせていた優雅さを蘇らせ、息を吹き返していく。
実際に訪れてみると、「この世で最も美しい城」というのは大袈裟にも感じられるが、豊かな自然に囲まれ水堀に映る城の堂々たる姿は美しく、うっとりとさせられる。代々の王妃が暮らし、数々の城主に受け継がれてきたこのリーズ城へと出かけてみてはいかがだろうか。
Travel Information
※2018年10月1日現在
Leeds Castle
Maidstone, Kent ME17 1PLwww.leeds-castle.com
4~9月 城:午前10時30分~午後5時30分
ガーデン:午前10時~午後6時
10~3月 城:午前10時30分~午後4時
ガーデン:午前10時~午後5時
■ 入場料(宮殿、庭園含む)
大人:25.50ポンド
子供(4~15歳):17.50ポンド
■ ロンドンからのアクセス
車…A20→M20と進み、ジャンクション8を出てA20に入り、しばらくするとリーズ城を示す茶色の看板が見えてくる。所要1時間半程度。カーナビ(Sat Nav)を利用する場合は、ポストコード「ME17 1RG」を入力する。
公共交通…ヴィクトリア駅からAshford方面行きに乗り、Bearsted駅下車。所要時間は約1時間。駅から、夏期間(4~9月)はシャトルバス(www.spottravel.co.uk/leeds-castle)が定期的に運行中。約10分ほどで到着する。冬期間は不定期。
週刊ジャーニー No.1055(2018年10月4日)掲載