エリザベス1世の第一の側近、ウィリアム・セシルの邸宅として16世紀に建てられたバーリーハウス。豪華絢爛な内装、壮大な庭園は『貴族の館の象徴』になると、数々の映画撮影も行われている。今回はリンカンシャーにあるバーリーハウスを紹介したい。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

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エリザベス1世の重臣

エリザベス1世とウィリアム・セシル。
エリザベス1世が「私の可愛い妖精」「私の魂」と呼んで頼りにした側近中の側近、ウィリアム・セシルは、1520年9月、リンカンシャーに生まれた。父親はヘンリー8世の皇太子時代から衣装担当として王宮に仕え、即位式にも列席した人物だった。
エリザベスの異母姉であるメアリー1世の治世に「ナイト」の称号を与えられ、やがて政治家として頭角を現したウィリアムは、宗教問題や王位継承権をめぐり、強い確執をメアリーとの間に抱いていたエリザベスを王女時代から支えた。1558年にエリザベス1世が即位すると、すぐに国務長官(Secretary of State)に任命され、72年には大蔵大臣(Lord High Treasurer)となり、英国の財政を司る立場となった。88年にスペイン無敵艦隊を撃滅し、イングランドに黄金時代をもたらしたのも、ウィリアムの活躍によるものといわれている。
映画「エリザベス」(1998年)の中で、エリザベス1世(ケイト・ブランシェット)がウィリアム・セシル(リチャード・アッテンボロー)に引退を命じ、「今日からバーリー卿(The Lord Burghley)と名乗るように」と言うシーンが登場するが、その際にウィリアムがエリザベス1世より授かった故郷・リンカンシャーの土地に建てられた邸宅が、今回取材班が訪れたバーリーハウスである。
映画の中では、エリザベスに一日も早く結婚するよう促すなど、「保守的で口うるさい長老」として引退を命じられてしまうウィリアムだが、実際にはエリザベスと一回りほどしか年齢は違わず、有力な補佐役として死ぬまで40年近くもエリザベス1世に仕えた。晩年、ウィリアムが寝たきりになった際、エリザベスは妻のように世話をし、ついに息を引き取った時には声をあげて泣きじゃくったという。
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現在も続く2つの侯爵家

リンカンシャーの南西の端に位置する小さな町、スタンフォード。
ケンブリッジシャーとの境界に建つバーリーハウスは、1555年から32年の月日をかけて建造。当時はエリザベス1世に敬意を表し、上空から見ると建物がアルファベットの「E」の形をしていたといわれる。エリザベス時代の建築の中で、もっとも豪華絢爛で壮大な館のひとつだ。
ウィリアムには、彼とともに晩年のエリザベス1世に仕え、やはり国務長官、大蔵大臣を務めたロバート・セシルという偉大な息子がおり、「ハットフィールド・ハウス」を本拠とする現在のソールズベリー侯爵家の祖として知られるが、彼は後妻との間に生まれた子(次男)である。代々バーリーハウスに居住しているセシル家は、実はこのロバートの系列ではなく、先妻との子(長男)トーマスに続く血筋。トーマスは現在のエクセター侯爵家の祖であるが、残念ながら同家は特筆すべき政治家を輩出することはなく、父の政治的立場を引き継いだのは次男のロバートだった。
とはいえ、17~18世紀の間にはバーリーハウスを建築当初からがらりと変身させ、現在のような「美の宝庫」にならしめた2人の男たちがいた。5代目エクセター伯爵ジョンと9代目エクセター伯爵ブラウンローである(1801年、10代目当主の代にエクセター侯爵を授与された)。

莫大な費用をかけた改装

ジョンはデボンシャー公爵の娘、アン・キャベンディッシュと結婚。夫妻は美しいものと旅行への情熱を生涯絶やすことなく、イタリア、フランスなどへ旅行しては絵画、タペストリー、彫刻、家具、オブジェなどの美術品を持ち帰った。とくに絵画への造詣は深く、イタリアやフランスから350点以上もの名画を購入したといわれている。また美術品のみならず、画家や彫師、織師、塑造師といった職人たちをも従えて帰国し、バーリーハウスの一大改装に着手。この改装には王室級の莫大な費用がかけられ、2人の死後30年近くは貧窮を迫られるほどの借金が残ってしまった。一説では薪を買う資金さえ捻出できず、長い冬の間も火の消えた暖炉の前で、残された一家は過ごしていたという。
ちなみに、アンの実家であるキャベンディッシュ家は代々デボンシャー公爵の称号を授かる一族であるが、アンは前述のロバート・セシルの孫娘と3代目デボンシャー公爵との間に生まれた娘で、セシル家とキャベンディッシュ家のつながりはきわめて深い。デボンシャー公爵の本拠として知られる「チャツワース」もまた壮麗な館として名高く、ここで育ったアンが洗練された審美眼を持っていたのはごく当然のことと言えよう。
彼らの死から約70年後には、ブラウンローが曾祖父ジョンの生き写しであるかのごとく、絵画やタペストリー、陶磁器などをヨーロッパ諸国や東洋から買い集め(館内では古伊万里や柿右衛門の皿なども数多く見られる)、一流の職人を雇い、ジョンの時代に未完成に終わっていた室内装飾を完成させた。さらにこの時代、「ケイパビリティ・ブラウン」のニックネームで有名な造園家、ランスロット・ブラウンがそれまで448エーカーだった庭を3倍近い1400エーカーにまで拡大、池や橋をつくり、庭を見渡せるように邸宅にも改築を加えるなど、総合的な改革が行われたのだった。

壁から天井にかけて一面に描かれた「ヘブン・ルーム」の壁画は、息をのむ迫力。

上写真のヘブン・ルーム(天国の間)と対になっている「地獄の階段」。 人々が地獄へと連れて行かれる様子が描かれている。 左円図は天井画の一部で、骸骨の姿をした死神がいる。

Filming at Burghley

映画「プライドと偏見」(2005年、英)

英女流作家、ジェーン・オースティンの代表作を映画化。同映画では、英国にある様々な邸宅が撮影に使われているが、主人公エリザベス(キーラ・ナイトレイ)が、ダーシー氏の叔母キャサリン夫人の暮らすロージング邸に招待されたシーンでバーリーハウスが登場。キャサリン夫人やダーシー氏らと食事をするシーンには「バウ・ルーム」、キャサリン夫人と対面するシーンやエリザベスがピアノの演奏を披露するシーンには「ヘブン・ルーム」が使われている。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年、米)

米作家、ダン・ブラウンの大ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズ第1弾を映画化。殺人の容疑者として司法警察に追われるラングドン(トム・ハンクス)らが逃げ込んだ、英宗教学者(イアン・マッケラン)の屋敷として外観が使われたほか、ローマ教皇の離宮の一部として「ヘブン・ルーム」と「地獄の階段」が使用された。そのほか、ソフィー(オドレイ・トトゥ)が幼少時代を回想するシーンも、バーリーハウスの敷地内で撮影されている。

物語を演出する空間

バーリーハウスには、今もウィリアム・セシルの末裔であるエクセター侯爵一家が暮らしている。邸宅を維持し、後世に受け継いでいくために慈善信託機関によって管理されており、1983年より約10年をかけた修復が行われ、現在のように一般公開されるようになった。
先述したように、2度にわたって大改装が行われたため、残念ながらウィリアム・セシルの時代の面影はほとんどない。しかし絢爛たる家具や調度品、きらびやかな金の額縁に納められた数え切れないほどの絵画、天井や扉枠に施された繊細な彫刻、財の限りを尽くした品々が次から次へと目に飛び込んでくる。とくに、バウ・ルーム(Bow Room)やヘブン・ルーム(Heaven Room)、地獄の階段(The Hell Staircase)に見られるような、壁から天井にかけて室内一面に描かれた色鮮やかな壁画は、息をのむような大迫力だ。その保存状態の良さと絢爛豪華さから映画のロケ地として使用されることも多く、映画「プライドと偏見」(2005年)ではダーシー氏の叔母キャサリン夫人の住む屋敷として登場している。ほかにも、映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年)、「エリザベス:ゴールデンエイジ」(前述の「エリザベス」の続編、2007年)などの撮影が行われている。
セシル家の一族に愛され、430年もの長きにわたり、大切に受け継がれてきたバーリーハウス。ウィリアム・セシル自身は、この館で過ごすことはほとんどなかったというが、77年の生涯を閉じた後はスタンフォードにあるセント・マーティンズ教会(バーリーハウスに隣接)で眠りにつき、館と子孫たちを見守っている。

セシル家のために邸宅内につくられた礼拝堂。ヴェネツィアで活躍したイタリア・ルネサンス期の画家、ヴェロネーゼらの作品が並ぶ。

1844年にヴィクトリア女王とアルバート公夫妻が滞在した「セカンド・ジョージ・ルーム」。

ヴィクトリア女王が少女時代に母親と滞在した時に使用した、赤い天蓋付きの小さなベッドが目を引く「ブラウン・ドローイング・ルーム」。

セシル家代々の当主夫妻の肖像画が並ぶ「ビリヤード・ルーム」。
突撃取材

バーリーハウスで暮らす日本人!
家具修復士 岩田年史(としふみ)さん

■ バーリーハウスで働くスタッフから「バーリーハウスには日本人の家具修復士がいるんですよ」との情報を得た我々取材班。「ぜひお会いしたい!」と急いでアポを取り、工房でお話をうかがった。

学生時代、自分のやりたいことが見つからず、日本の大学を1年休学してチェスターに語学留学した結果、「アンティークが好き」なことに気づいたという岩田さん。「日本に帰って就職したのですが、イギリスに戻りたかった。でも今度は語学学校ではなく、何か手に職をつけて働きたいなと。リサーチしたら、アンティーク関係の修復コースを見つけたんです」。
4年半ほど勤めた会社を退職して渡英。Buckinghamshire Chilterns University College(現・Buckinghamshire New University)で3年間家具の修復を学び、主席で卒業した後、アンティーク家具修復工房「Anthony Beech Furniture Conservation」に就職した。同工房はバーリーハウスの旧ステーブル内に作業場を構えているため、バーリーハウスに「住み込み」状態だ。
多いときは月に9~10、年間では100もの家具の修復を手がける。これまで携わった家具は、バーリーハウスはもちろん、チャツワース、ウォーバン・アビーといったマナーハウスのほか、国会議事堂のものなど様々だ。「18世紀のイギリスの家具はヨーロッパ一だと思います。あの時代の家具は、内部の構造まできっちりつくってあるんです。フランスは外部の装飾に力を入れますが、イギリスは内部も手を抜かない。職人の技術だけを見ても、昔のイギリスはすごかったんだろうなと感じます」。産業革命によって機械が導入されてから、楽な方へと流されていき、人間のスキルがどんどん低下していることに寂しさを感じると、岩田さんは残念そうな表情で話す。
バーリーハウスで暮らしはじめて10年。日本人初の家具修復士として、同地で働く岩田さんのさらなる活躍を期待したい。

Travel Information

※2018年6月19日現在

Burghley House

Stamford, Lincolnshire PE9 3JY
Tel: 01780 752 451
www.burghley.co.uk


アクセス
自動車: ロンドンからA1(M)を北上。スタンフォード(Stamford)の手前で右折してB1081に入り、さらに右折しB1443を進むと右手に入口が見えてくる。スタンフォードに近づくと、「Burghley House」の看板が現れるのでわかりやすい。所要約2時間。
電車: ロンドン・キングスクロス駅からピーターバラ駅まで約45分、ピーターバラからスタンフォード駅まで約10分。駅から約1マイル。所要約1時間半。

オープン期間
2018年10月28日まで
11:00~17:00(金曜休み)

入場料
大人:£19、子ども:£10

4分でわかる!「 バーリーハウス 」をサクッと知りたい人は…

週刊ジャーニー No.1040(2018年6月21日)掲載