
権力を誇示するため、絵画やタペストリー、家具・調度品などを集めたほか、多くの城や宮殿、建造物を所有したヘンリー8世。即位時、王室所有の宮殿やハンティングロッジ(狩猟用の屋敷)は12にすぎなかったが、没収したり、自分で建てたりと、彼が亡くなったときには55を数えたという。その中から、ロンドン中心部および近郊のものをご紹介したい。
ウィンザー城
Windsor Castle
■ウィリアム1世が各地で建造を命じた、要塞のひとつとして11世紀に建設が始まったとされる。■ヘンリー8世は生前、聖ジョージ・チャペルに墓所をあらかじめ用意。3番目の妻ジェーン・シーモアが亡くなると、その墓所に埋葬した。
■1547年1月28日、ホワイトホール宮殿で崩御したヘンリー8世は聖ジョージ・チャペル内に埋葬された。
■建物は現存し、城内は一部見学可能となっている。

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ハンプトン・コート宮殿
Hampton Court Palace
■1514年に、大法官でありヨーク大司教であったトーマス・ウルジー卿が購入。しかし同卿の失脚にともない、ホワイトホール宮殿(下参照)同様ヘンリー8世に没収された。
■ヘンリー8世は増改築と改装を断行。同王の所有する建造物の中でも一、二を争う豪奢な居城となった。
■ヘンリー8世の5番目の妻で、不義を問われ処刑されたキャサリン・ハワードの幽霊が出るといわれるのは宮殿2階(ファースト・フロア)にあるL字型の回廊。別名「Haunted Gallery」(幽霊回廊)。

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リッチモンド宮殿
Richmond Palace
■ヘンリー8世の父ヘンリー7世のお気に入り。ヘンリー7世はここで息子のアーサー(即位することなく病死)、その弟ヘンリー(のちのヘンリー8世)を育てた。
■1509年、ヘンリー7世がここで崩御。
■アーサーの妻キャサリン・オブ・アラゴンは、1502年に夫が亡くなってからヘンリーと結婚するまで、ここに住んだ。
■リッチモンド・パークにある、「キング・ヘンリー・ジ・エイトゥス・マウンド(King Henry the VIII Mound)」は、2番目の妻アン・ブリンの処刑の日、ヘンリー8世が立ち、ロンドン塔から処刑完了を告げるのろしがあがるのを待った場所という。現在、このマウンドからは遠く離れたセント・ポール寺院を望むことができる(マウンドと同寺院とを結ぶ線上には、一定の高さ以上の建物を建造することは法律で禁止されている)。
■1540年、ヘンリー8世の4番目の妻アン・オブ・クリーヴズは離婚後、この宮殿を住居として与えられた。
■1554年、ヘンリー8世の長女メアリー1世は、スペイン王フェリペ2世との婚礼後、ハネムーンのためここに滞在。
■1603年、エリザベス1世がここで崩御。
■スチュワート朝のチャールズ1世(ジェームズ1世の次男)が1649年に処刑された後、ほとんど破壊された。
■現在、リッチモンド駅とテムズ河の間にある、リッチモンド・グリーンそばのKing Street沿いにゲイトウェイが残るのみ。
セント・ジェームズ宮殿
St James' Palace
■もとはセント・ジェームズ病院だったのをヘンリー8世が宮殿に改修。■1558年、メアリー1世がここで崩御。カトリック系貴族たちは、妹のエリザベスに処刑を宣告する勅書に署名するようメアリーに迫ったが、ついに彼女は首を縦にふらず、死の前日、王位をエリザベスに譲る書類にサインしたという。
■エリザベス1世、ジェームズ1世ともに、ここに宮廷をおいた。
■現存するものの一般には公開されていない。

ホワイトホール宮殿
Whitehall Palace
■1514年より、大法官でありヨーク大司教であったトーマス・ウルズィー卿=写真=が住んだが、同卿の失脚にともない、ヘンリー8世に没収された。
■ヘンリー8世はウェストミンスター宮殿より、ここを気に入り、大幅改修を実行。
■1533年、ヘンリー8世はアン・ブリンとここで挙式。1536年には3番目の妻、ジェーン・シーモアとやはりここで挙式した。
■1547年、ヘンリー8世、ここで崩御。
■1698年、バンケティング・ハウスを残し焼失。
■現在残っているのは、バンケティング・ハウスのみ(見学可能)。

ウェストミンスター宮殿
Palace of Westminster
■1512年、ヘンリー8世がホワイトホール宮殿に宮廷を移すまで、歴代イングランド国王の重要な宮殿として使われた。
■1605年、ジェームズ1世を議会ごと爆破しようとしたガイ・フォークス一味の陰謀が未遂に終わったのはここ。
■宮殿は焼失し、再建されたあと国会議事堂として使われるようになった。現在、オリジナル部分で残っているのは、ウェストミンスター・ホールのみ=写真。
■一般に公開されているので見学可能。

ロンドン塔
Tower of London
■11世紀に要塞として建てられた後、国王の居城として使われることもあったが、ヘンリー8世時代を境に、造幣所、兵器庫、身分の高い人物の牢獄として使われるようになる。■敷地内にあるタワー・グリーンでは、ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブリン、5番目の妻キャサリン・ハワードのほか、「9日間の女王」ことレデイ・ジェーン・グレイなどが処刑された。アンとキャサリンは、タワー・グリーンに面して建つ、聖ピーター・アド・ヴィンクラ礼拝堂に埋葬されている。
■一般に公開されているので見学可能。

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グリニッジ宮殿
Greenwich Palace
■グリニッジ天文台そばにあるSeamen's Hospitalのあたりに建っていた、かつての宮殿。■1427年、ヘンリー5世の弟であるグロスター公により建てられた。
■ヘンリー7世の妻となった、ヨーク家のエリザベスは幼少時代の一部をここで過ごした。
■1491年、ヘンリー8世はここで誕生。
■1501年、ヘンリー8世の兄、アーサー(当時は皇太子)、キャサリン・オブ・アラゴンとここで挙式。
■ヘンリー8世のお気に入りの宮殿となる。同王は、グリニッジ・パークで狩を楽しんだ。
■1516年、ヘンリー8世の長女、メアリー(のちのメアリー1世)ここで誕生。
■1533年、アン・ブリンがここでエリザベス(のちのエリザベス1世)を出産。
■1536年、ヘンリー8世はここでアン・ブリンの処刑勅書に署名した。
■1540年、ヘンリー8世、4人目の妻、アン・オブ・クリーヴズとここで挙式。
■1553年4月、ヘンリー8世の長男、エドワード6世は病気療養のためグリニッジに移り住むことになったが、7月、あえなく病没。
■エリザベス1世は、ここを夏の宮殿と定めた。
■1587年、エリザベス1世は、幽閉中だったスコットランド女王メアリーの処刑勅書にここで署名した。
ハットフィールド・ハウス
Hatfield House
■1538年、狩猟でここを訪れたヘンリー8世が気に入り、王室用に購入。
■1558年1月18日、事実上、ここで軟禁状態にあったエリザベスのもとに、異母姉メアリー1世崩御の知らせが届き、エリザベス1世が誕生した。同女王は、即位後しばらくは、ここに宮廷をおいた。
■エリザベス1世の死後、同女王の重鎮だったウィリアム・セシルの息子、ロバート・セシルが譲り受け、現在ハットフィールド・ハウスと呼ばれる大邸宅部分を追加で建設。1611年、完成。
■一般に公開されているので見学可能。
Hatfield House
The Estate Office, Melon Ground, Hatfield Park, Hatfield, Herts, AL9 5NB
Hatfield Houseのウェブサイトはこちら
The Estate Office, Melon Ground, Hatfield Park, Hatfield, Herts, AL9 5NB
Hatfield Houseのウェブサイトはこちら
