幾多の砲火をくぐった【退役軍艦】ベルファストを征く

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

1939年9月1日。ナチス・ドイツが突然ポーランドに侵攻。
その2日後の9月3日、英国はフランスとともにドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まった。
それから2009年でちょうど70年。9月には様々な記念行事、追悼式典が繰り広げられた。
その華やかな式典に参加するでもなく、静かにテムズ河に浮かぶ1隻の軽巡洋艦の姿があった。
名を『HMSベルファスト』という。
タワー・ブリッジのそばで威容を誇る、この退役軍艦についてお届けすることにしたい。

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聖パトリックの加護を受けた軍艦

前世紀初頭、人類が初めて体験した世界大戦は、4年間の戦闘の果てに、軍関係の戦死者900万人、非戦闘員の死者1000万人、負傷者2200万人というおびただしい犠牲者を出して終結した。オーストリア、ハンガリーなどに続き、1918年11月11日午前11時、ドイツが連合軍との休戦協定に署名し、主戦場となったヨーロッパはつかの間の静けさを取り戻したのだった。
翌19年にパリ講和会議が開かれ、さらに、20年には国際連盟が創設されたほか、22年のワシントン海軍軍縮条約、30年のロンドン海軍軍縮条約などをはじめとする、平和維持の試みが断続的に行われた。第一次世界大戦において、兵器による大量殺戮の恐怖を目の当たりにした人類は、戦争回避の重要性を痛感したからである。
しかし、そうした取り組みの陰で、列強と呼ばれた英米などの大国は軍備増強を続行した。その平和は一時的な仮の状態にすぎないと、みな心の底では既に認めていたのかもしれない。
このような時代背景の中、英国の統治下にあったアイルランドの北部6州の中心都市ベルファストで、一隻の軽巡洋艦の建造が始まった。ベルファストの造船業がまだ順調だった時代だ。ハーランド・アンド・ウルフ造船所がその建造を請負い、36年12月に起工。38年3月17日、アイルランドの守護聖人、聖パトリックの祝日に進水式が行われた。
当時の英国首相、ネヴィル・チェンバレンの妻、アン夫人が貴賓として招かれ、ベルファスト号完成を祝うセレモニーが行われたのだった。春とは名のみ、まだ冬の名残が色濃いアイルランドの海に、ベルファスト号は乗り出した。この後、ヨーロッパ戦線、さらには朝鮮沖で同艦が砲火をくぐり、やがてはテムズ河に落ち着くことになる日がこようとは、もちろん誰も知るよしもなかったが、聖パトリックの加護があったと考えて良さそうだ。その加護なくして、今日の状態で余生を送ることは困難だったに違いない。
この翌年の39年8月5日、ベルファスト号は正式に英国海軍船として就役。それは、第二次世界大戦勃発の約1ヵ月前のことだった。

遠く離れた極東の海原へ

タウン級と呼ばれたベルファスト号は、ナチス・ドイツの封じ込めを画策する英国海軍の一員として、任務をスタートした。ところが、第二次世界大戦開始からまだ2ヵ月余りという39年11月21日、スコットランド沖でドイツ軍の機雷にふれ、死者こそ出なかったものの大きく破損。英沿岸にほうほうの態で戻った後、プリマスにほど近いデヴォンポートの英海軍施設にて、修復のため停泊せざるを得なくなる。破損の度合いはひどく、修復に3年もの月日が費やされた。
兵士であれば、その3年間はいらだちと挫折感にさいなまれる日々であったことだろう。その年月を経て、42年11月に戦線に復帰。ソ連に向かう船団の護衛などに携わった後、44年6月にはノルマンディー作戦に加わった。それからの約5週間、ベルファスト号の6インチ砲、4インチ砲など、砲という砲はすべて火を吹き続けた。同艦が体験した中でも、最も激しい戦闘だった。
同年7月、デヴォンポートで整備を受けた後、極東へと配されたが、翌年8月に日本が降伏したことによって、この任務は短期で完了。同艦は第二次世界大戦をなんとか無事に戦い抜いたのである。
ベルファスト号の幸運ぶりを示す、こんなエピソードが残っている。極東へと移動する前のこと。北海でドイツ軍潜水艦に捕捉された。ベルファスト号はこの潜水艦の存在に気づいておらず、ドイツの潜水艦にとっては絶好の攻撃の機会が訪れていた。しかし、潜水艦艦長はベルファスト号を攻撃することなく、北海の黒い波間をぬって去っていったという。その艦長は、母国ドイツの敗北はもう免れないと悟り、終戦が近いことを知っていたからだといわれている。
極東に展開していたベルファスト号は、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争に国連軍の一員として参加。52年7月に被弾するも、戦列から脱退するほどの損壊ではなく、53年7月27日の休戦協定締結の日を迎えた。かくして、朝鮮戦争での任務も無事遂行することができたのだった。

ロンドンの観光スポットに大変身

1956年から3年間にわたり、装備の近代化をはかるための大掛かりな整備を経たベルファスト号は、引き続き極東の海で英国海軍旗をなびかせていた。しかし、演習は行われるにしても、戦争のない平和な時代にはその活動範囲はおのずと限られる。引退の日が近づいていた。
本来ならば、退役した後はスクラップと化す道しか残されていない。だが、ベルファスト号の幸運ぶりが示されるできごとが再び起こる。67年、保存目的で6インチ砲と15インチ砲を搭載する艦を探していた、英国の戦争博物館関係者の目にとまったのがベルファスト号だったのである。71年に、いったんは政府によって同艦の保存案は却下されたものの、その後、「ベルファスト号財団」が設立され、保存運動が大々的に行われた。この結果、同艦を博物館として残すことに政府も同意するに至り、78年3月1日、ベルファスト号は博物館として第二の人生を歩み始めたのだった。
以来、ロンドンの観光スポットとして人気の高いタワー・ブリッジのすぐそばに係留され、ベルファスト号は多くの見学者を招き入れている。2009年になって、政府から15万ポンドの助成金がおりることが発表され、艦橋などのお色直しが行われることになったのも同艦にとってはうれしいニュースだろう。聖パトリックの加護は今も続いているようだ。
グレーの船体がいかにも軍艦という、いかめしいイメージを抱かせがちながら、ベルファスト号の内部の展示は子供も大人も飽きさせないように十分工夫がなされている。各ポイントで、艦内での「生活」が人形で再現されているのだが、その人形の表情が実に生き生きとしており、見ていて楽しい。戦争博物館が、このように「お茶目」な展示をよく許可したものだと驚くほど。小道具、音声や匂いなど、細部まで手がこんでいるので、じっくりと堪能していただきたいものだ。
テムズ河の川べりから眺めたことしかないという人にも、この機会に一度ベルファスト号の内部をのぞいてみることをお薦めする。

Travel Information

※2009年10月10日現在

HMS Belfast エイチ・エム・エス ベルファスト

※「HMS」は「Her Majesty's Ship」のことで直訳すれば「女王陛下の船舶」ということになる。海軍所属であることを示す。

ボリス・ジョンソン市長がトップを務める、グレーター・ロンドン・オーソリティの拠点であるシティ・ホール(市庁舎)=写真。総ガラス張りのユニークな外観が特徴(もちろん、血税で建てられた)。入る際に厳重な持ち物チェックがあるが、議事の様子を見学できるほか、中のカフェを利用することもできる。
【住所】
Morgan's Lane, Tooley Street, London SE1 2JH
【ウェブサイト】
www.iwm.org.uk/visits/hms-belfast
【オープン時間】
詳細はウェブサイトにてご確認ください。
【入場料】
詳細はウェブサイトにてご確認ください。

ベルファスト号の世界を探索!

艦内にある、見学者用カフェ。博物館としてオープンするにあたって新しく設けられた。メニューはサンドイッチ、ケーキ、マフィン、コーヒー・紅茶など、きわめて英国的なラインアップ。
※ベルファスト号に乗艦したら、まずは艦内見取り図を入手しよう(英語版を間違えずにピックアップすること)。
※艦内は入り組んでいるため、展示を見落としたり、逆に何度も同じ展示を見ることになったりしがち。赤い矢印(順路)にそって歩けば、効率よく見学できる。
※艦内はかなり狭い。ベビーカーを押しての見学は不可。また、はしご段を上り下りすることもあるので(頭を打たないように注意)、ミニスカートでの見学、両手に荷物を下げての移動はお薦めできない。また、フロアは平らなところばかりではないため、ハイヒールは避けるべき。
※見学には1時間半から2時間をみておきたいもの。

Life on Board
乗員の日々の暮らしが見学できるエリア

10 Walkway
歩行者用通路
ベルファスト号はテムズ河の南岸に係留されている。ショップで入場券を購入し、テムズ河にかかるこの通路を歩いて艦の甲板へと向かう。なお、ショップには海軍グッズを中心に英軍関連のお土産や書籍などが並ぶ。少し目先の変わったプレゼントがみつかるかも。
11 Quarterdeck
後甲板

ここで艦内見取り図を入手することができる。かつて、後甲板に出ることができるのは士官クラスのみで、水平たちがここに足を踏み入れることができるのは、特別な行事、日曜日の合同礼拝などに限られていたという。なお、海軍旗=写真=は、午前8時(冬季は9時)から日没まで掲げられる(海上では24時間)。

1948年10月にベルファスト市民から贈られた鐘のレプリカ。ちなみに、同艦のモットーは、ベルファスト市のモットーと同じ「Pro Tanto Quid Retribuamus (What shall we give in return for so much ?)」(直訳すれば、「どうすればその恩に報いることができよう」というところか)。
12 'Y' 6-inch Gun Turret
6インチ砲塔「Y」

13 Torpedo Flat & Laundryk
魚雷保管所/洗濯室
大きな魚雷のモデルが横たえてある。

14 Sound Reproduction Room, Chapel & Mail Room
音声再生室/礼拝堂/郵便室

郵便室では、気難しい経理のオジさんのような人形が対応しており「ナニ、貴殿への郵便?(そんなもの、あると思うか)」といわれそうな雰囲気。
15 1950s Messdeck, Bakery, Butcher & Potato Store
1950年代の下甲板(げかんぱん)、製パン室、精肉処理・ジャガイモ貯蔵室
16 Galley
炊事室

ロウ人形がたくさん立ち働いており、発見がたくさんあるコーナー。大量のフィッシュ&チップスを作るために、延々と魚をさばく係、ひたすら揚げる係=写真左=のほか、別室では涙を流しながら、山のようなタマネギに取り組む係=同右=などが見られる。床や、壁などの細部にもこだわりがあるので、ここは時間をかけて、すみずみまで観察したい。なお、ベルファスト号での食事が大幅に改善されたのは、朝鮮戦争の後、大改修が行われてからのことという。それまでは、調理士として訓練を受けた者が、炊事に携わっていたわけではなかったとのこと。
17 Sick Bay, Dispensary & Dentist
病室/医務室/歯科治療室

手術が行われている部屋には緊迫感が漂うが、病室で臥せっている兵士たちの顔には、どこか寛いだ様子がうかがえる。なお、歯科治療室では、歯医者特有のにおいまで再現されている。医師と虫歯の兵士のやりとり(音声付)もリアルなのでお見逃しなく。
18 Provision Issue Room (rum ration) & NAAFI
供給品(ラム酒の配給分)受け取り室/売店

航海中は水は貴重品であるため、海軍では伝統的に食事のたびに、ラム酒が配給されていた。また、NAAFI(Navy Army and Air Force Institute)運営の売店では、1960年以降、アルコール類も購入できるようになった(ただしビールなら1日2缶まで、と制限あり)。ちなみにNAAFIは互助会のような存在で、売店からの売上げは同艦の乗員のために使われた。
19 Arctic Messdeck
下甲板

How It Works
推進システムが見学できるエリア

20 'B' Turret 6-inch Shell Room and Magazine
6インチ砲塔「B」用砲弾室/弾薬庫
21 Forward Steering Position
操舵室

22 Boiler Room
ボイラー室
23 Engine Room
エンジン室

Where It All Happens
実戦に関連した部署を見学できるエリア

30 Fo'c'sle
前甲板(水兵たちの居住エリア)
「Fo'c'sle」は「forecastle」の略で「フォクスル」と発音する。

31 VHF Room & Aircraft Hangar
高周波情報収集室/航空機格納スペース
32 Admiral's Bridge
艦橋
33 Bridge Wireless Office & Electronic Warfare Office
無線室/電子系統管理室
34 Gun Direction Platform
砲弾照準プラットホーム

35 Compass Platform & Operations Room
コンパス(進路)・プラットホーム/作戦橋
36 Admiral's & Captain's Sea Cabins
提督/艦長室
37 Boat Deck
ボート甲板
38 4-inch HA/LA Guns
4インチ高射角/低射角砲


取材中、タワー・ブリッジの橋げたが上がり、大型クルーズ船が後ろ向きに入ってきた。やがて、ベルファスト号に接舷。聞けば、ノルウェーから来英した船で、ここに2日ほど停泊し、乗客はその間、ロンドンなどの観光を楽しむという。干潮時には水位が低くなりすぎて、テムズ河の岸沿いに接舷するのは無理であるため、こうしてベルファスト号にならぶ形で係留され、乗客は同号経由で英国に「入国」することになる。ベルファスト号の艦上で入国審査、税関チェックも行われるとのことだった。

週刊ジャーニー No.596(2009年10月15日)掲載