慶應義塾ニューヨーク学院  ロンドン説明会 9月20日 (金) 6 PM - 7:30 PM
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【世界遺産】ロンドン塔を征く

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

週刊ジャーニー(英国ぶら歩き)動画

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塔入口から、30分ごとに出発するビーフィーターのガイドツアーは要参加!
世界遺産に登録されてから、今年で30周年を迎えるロンドン塔。正式名称は「女王陛下の宮殿にしてロンドンの要塞(Her Majesty's Royal Palace and Fortress of the Tower of London)」で、バッキンガム宮殿やウィンザー城と同様に、現君主のエリザベス女王が「城主」。そのため、ロンドン塔を守る衛兵「ヨーマン・ウォーダーズ」(通称ビーフィーター)以外にも、敷地内では赤い制服と黒い毛皮の帽子で知られる王室近衛兵の姿も見られる。
ロンドン塔の起源は、約1000年近く前の11世紀までさかのぼる。
1066年、ヘイスティングスの戦いで勝利をおさめ、イングランド王に即位したウィリアム1世が、外敵からロンドンを守るための要塞としてテムズ河岸に建造を命じたのが始まりだ。ロンドン市内とテムズ河の両方を一度に監視できる絶好の位置に建つこの城塞は、大小20の塔から成るが、もともと「ロンドン塔」として最初に建てられたのは「ホワイト・タワー」(写真上の塔)のみ。当初は石灰塗料により外壁が白色だったことから、「白い塔」と呼ばれるようになった。ホワイト・タワーは国王一家が暮らす王宮としても使用され、これを囲むように城壁や濠、新たな塔が建設されていった。
しかし16世紀に入ると、ヘンリー8世はウェストミンスターにあるホワイトホール宮殿(バンケティング・ハウスのみ現存)を新たな王宮に定め、ロンドン塔は造幣所や武具・兵器を保管する軍事施設などへと姿を変えていった。その中でも最も重要なのが、身分の高い囚人を収容する「監獄」としての役割である。
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血塗られたテューダー朝の悲劇

(写真上から)ロンドン塔内から眺めるタワーブリッジ/聖トーマス・タワー内のエドワード1世の寝室/タワー・グリーンに設置された処刑台跡の記念碑(手前)とレディ・ジェーン・グレイらが眠る礼拝堂(奥)。
処刑場だったタワー・ヒル(地下鉄駅のそばにある現在のトリニティ・スクエア・ガーデンズの一角)が目の前にあり、監獄として使われた期間が長かったロンドン塔には、暗いイメージがつきまとう。権力抗争や宗教上の対立から何百人もの囚人たちが投獄され、収監中に病死、あるいはタワー・ヒルで断頭台の露と消えていった。
塔内には拷問器具も展示されているが、過酷な拷問の末に処刑された囚人は、ごく一部だった。たとえば17世紀初頭、国会議事堂を爆破してジェームズ1世の暗殺を企んだガイ・フォークスは、ロンドン塔で拷問刑に処された一人である。彼は自身の身元や共犯者の名前、暗殺計画の全容を明かさなかったため、仰向けに寝かされた状態で手足や胴体を引っ張られる「引き伸ばし拷問」を科せられている(ちなみに、ガイ・フォークスはタワー・ヒルではなく国会議事堂前で絞首刑になった)。
ロンドン塔にまつわる有名な悲劇のひとつに、エドワード4世の2人の遺児のものと思われる遺骨が発見された事件がある。ヨーク家とランカスター家が王位をめぐって争っていた薔薇戦争中の1483年、父の急死で戴冠することになった12歳の王子エドワードは、叔父のグロスター公爵によって、弟とともにロンドン塔に幽閉された。王子たちは非嫡出子であると宣言され、叔父がリチャード3世として即位。その後、2人の行方はわからなくなった。「殺害したのでは?」とリチャード3世に疑いの目が向けられたものの、今も真相は謎に包まれたままである。
しかし約200年後の1674年、ホワイト・タワーの改修工事の際に、作業員が子どもの頭蓋骨や骨片が入った木箱を階段下で発見。1933年に専門家が鑑定したところ、12歳と10歳くらいの少年の骨であることが判明した。現在はエドワード王子たちの遺骨として、ウェストミンスター寺院に埋葬されている。
もうひとつの悲劇が、ナショナル・ギャラリーにある絵画でも知られる「9日間の女王」レディ・ジェーン・グレイの処刑だろう。王位簒奪を目論む反逆者として、16歳の若さで命を散らしたジェーンの生涯は痛ましい。
運命の輪は、病弱なエドワード6世の摂政として権力を握っていたノーサンバランド公爵家に、ジェーンが嫁いだことから回りはじめた。結婚から6週間後に王が死去し、ヘンリー7世の曾孫にあたる彼女は「女王」として担ぎ出されたのである。ところがエドワード6世の異母姉で、ヘンリー8世と最初の妃を両親に持つ王女メアリーが、自身が正当な王位継承者であることを宣言。ジェーンは反逆罪で捕らえられた。玉座に就いていたのは9日だけで、女王から一転して謀反人になった彼女は1554年、ホワイト・タワーのそばに広がる緑地「タワー・グリーン」で斬首されている。
当時、処刑は一種の「娯楽」として、群衆の前で罵声を浴びながら執行されるのが一般的であった。それにもかかわらず、市民の目が届かないロンドン塔内で処刑されたのは、ジェーンが王族に連なる者であること、そして彼女の不遇に対するメアリー1世の温情だった。タワー・グリーンでは、姦通罪に問われたヘンリー8世の2番目の妃アン・ブリン、5番目の妃キャサリン・ハワードら7人も斬首刑となっており、彼女たちはタワー・グリーンに面して建つ「聖ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂」で眠りについている。

英王室最大の秘宝を見逃すな!

ロンドン塔の見どころは、血塗られた史実ばかりではない。実は塔内で最も人気が高いスポットは、敷地の最奥にある「ジュエル・ハウス」。歴史にあまり興味がない人も、その煌びやかさに思わず見とれてしまうはずだ。

戴冠式に使われる「即位の宝器」。
ヘンリー8世がホワイト・タワーの南側に宝物の保管所を建設して以来、ロンドン塔は宝物庫も兼ねるようになった。ここに展示されている宝石を散りばめた金銀の宝物は「クラウン・ジュエル」と呼ばれ、まさに英君主の権力の象徴。代々の国王夫妻の頭上を飾った王冠や宝飾品がずらりと並ぶ。とくに目を引かれるのが、ウェストミンスター寺院での戴冠式で使われる「聖エドワード王冠」「宝珠」「王笏(おうしゃく)」「指輪」のセット。これらの「即位の宝器」は、1953年に当時27歳だったエリザベス女王も戴冠式で身にまとったものである。世界で2番目に大きい530カラットのダイヤモンドが眩しい王笏(権威の象徴とされる杖)は、息をのむこと間違いなしの逸品。「これらをチャールズ皇太子が戴くのか…」と想像しながら眺めるのも一興だろう。

長蛇の列ができるので、宝物をじっくり鑑賞したい人は午前中に行くのがおすすめ。ロンドン塔の歩き方としては、①ジュエル・ハウスで至宝を堪能、②ビーフィーターのガイドツアーに参加、③各塔を巡る、というルートが良さそう。レディ・ジェーン・グレイらが眠る礼拝堂は、ガイドツアーか閉場の1時間前からしか入ることができないので要注意だ。
英国に留学した文豪・夏目漱石が、「ロンドン塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである」と書きつづったロンドン塔。今も残る様々な歴史の足跡に触れ、10世紀という果てしない時をさかのぼってみては?

ロンドン塔に日本の鎧兜!?

徳川秀忠が贈った日英国交の証

ヘンリー8世の時代に、ロンドン塔が王宮としての役割を失って以降、ホワイト・ホールは武具や甲冑などの保管所として使われてきた。500年以上が過ぎた今も、当時と同様にホワイト・ホール内には歴代イングランド王やその愛馬が使用した甲冑が保管・陳列されている。
西洋の甲冑が並ぶ中、ぜひ注目してほしいのが、片隅にぽつんと展示されている日本の鎧兜=写真右。解説プレートによると、長崎県平戸に商館を開いた英東インド会社により届けられた献上品の返礼として、1613年に2代将軍・徳川秀忠がジェームズ1世へ贈った2組の鎧兜のうちの1つとのこと。
英商船クローブ号によりロンドンに持ち込まれたこの鎧兜は、少なくとも1660年代まではホワイト・ホールに大切に保管されていたが、いつしかインドのムガール帝国の甲冑と誤認され、長く放置されてしまったという。痛みが激しかったことから、日本の三越百貨店の協力で1972年に鎧兜は日本へ送られ、現在の姿に修復された。
この鎧兜は、1575年の長篠の戦いで織田信長・徳川家康の連合軍に敗れた武田勝頼のものと言われている。ちなみに、もう1つの甲冑はデンマークのコペンハーゲンにあるとされる。

ロンドン塔の歩き方

① ジュエル・ハウス(ウォータールー兵舎)
代々受け継ぐ王冠

戴冠式で使われる「聖エドワード王冠」(写真上中)と、ヴィクトリア女王が命じて製作させた「帝国王冠」(同上左)。ヴィクトリア女王の肖像画(左端)にも描かれている「帝国王冠」は、戴冠式後に現・エリザベス女王も頭上に戴いた。エリザベス女王が毎年国会の開会式で身につけているのも、この「帝国王冠」である。

② ホワイト・タワー
リチャード3世に暗殺された?悲劇の王子たち

リチャード3世(左図)に暗殺されたと伝えられる、兄王エドワード4世の2人の幼い遺児たち。彼らと思われる遺骨が発見されたのは、ホワイト・タワーの入口手前にある階段下(写真中央)。現在は埋め立てられ、使えなくなっている。この階段は、タワー内にある王室礼拝堂へと続くものだった。今でも2人の幽霊が出没すると言われている。

③ ウェイクフィールド・タワー
ランカスター家 vs ヨーク家 ヘンリー6世暗殺

1471年、ランカスター家出身のヘンリー6世(中図)は、ヨーク家との戦いに敗れ、ウェイクフィールド・タワーに幽閉。タワー内の礼拝堂で息子の死を悼んでいる最中に暗殺された。これにより、エドワード4世が即位した。暗殺はリチャード3世が命じたという説が根強い。

④ トレイターズ・ゲート

反逆罪でロンドン塔に投獄される囚人たちは、小舟に乗り、テムズ河側からこの「Traitors' Gate(反逆者の門)」を通って入城した。アン・ブリンやキャサリン・ハワードらもこのゲートをくぐったが、通説と異なり、エリザベス王女(のちのエリザベス1世)は隣の「Drawbridge」を歩いて入城している。今は河の水量が調節されているため、水は干上がっている。

⑤ クイーンズ・ハウス
⑥ ナサニエル・パートリッジズ・ハウス

アン・ブリンが処刑まで幽閉されていたクイーンズ・ハウス(写真左端)と、同じくジェーン・グレイが幽閉されていたナサニエル・パートリッジズ・ハウス(同右端)。キャサリン・ハワードは地下牢に投獄されており、2人は丁重な待遇を受けたことがわかる。

⑦ ビーチャム・タワー
囚人たちの嘆きが刻まれた塔

監獄として長く使われたビーチャム・タワーの壁には、囚人たちが刻んだ数多くのグラフィティが残されている。ジェーン・グレイの夫ギルフォード・ダドリー(左上図)が彫ったとされるJANE(IANE)の文字もある。このタワーには、ギルフォードの兄ロバート・ダドリー(中図)も収監されていた。ジェーンの処刑後、メアリー1世の命令で幽閉された21歳の王女エリザベス(同右)とロバートは幼馴染であり、投獄中に2人が顔を合わせることはなかったが、エリザベスが女王として即位すると、すぐに愛人関係となった。

⑧ タワー・グリーン
ロンドン塔内で処刑された「 選ばれた7人」

ウィリアム・ヘイスティングス
1431?~83年/享年52?
エドワード4世の寵臣。リチャード3世の即位に際し、反逆罪で処刑された。
アン・ブリン
1500?~36年/享年36?
ヘンリー8世の2番目の妻。実兄との不貞により処刑されたが、冤罪だったとされる。
マーガレット・ポール
1473~1541年/享年67
リチャード3世の兄夫妻の娘。カトリック教徒だったため、ヘンリー8世と対立した。
キャサリン・ハワード
1520?~42年/享年22?
ヘンリー8世の5番目の妻。アン・ブリンのいとこ。愛人との不貞が発覚して斬首刑。
ジェーン・ブリン
1505?~42年/享年37?
アン・ブリンの弟の妻で、キャサリン・ハワードの侍女。王妃の不貞の手伝いをした。
ロバート・デヴェルー
1565~1601年/享年35
エリザベス1世の寵臣。ロバート・セシルと対立し、クーデターを起こしたものの敗北。
レディ・ジェーン・グレイ
1537~54年/享年16
「イングランド史上初の女王」として即位したが、わずか9日間でメアリー1世により廃位され、斬首刑となった。18歳のジェーンの夫(上コラム)も、同日にタワー・ヒルで処刑されている。
タワー・グリーンの処刑台跡に建つ記念碑。取材班が訪れた日は、ジェーン・グレイの処刑日の翌日で、追悼の白バラが供えられていた。

⑨ 聖ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂

ロンドン塔の管理人や上コラムの6人(ウィリアム・ヘイスティングスはウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に埋葬)のほか、タワー・ヒルで処刑された身分の高い人々が眠る礼拝堂。19世紀に行われた大改修では、床下から1500体以上の遺骨が発見された。右のキャサリン・ハワード処刑図を見ると、礼拝堂の尖塔など、今なお当時の面影を留めていることがわかる。

⑩ タワー・ヒル

地下鉄駅そばのトリニティ・スクエア・ガーデンズ内にある、タワー・ヒル処刑台跡。最後に行われた斬首刑は1747年で、実際に使われた断頭台と斧は、ホワイト・タワー内に展示されている。
ロンドン塔を守るガーディアンたち
ヨーマン・ウォーダーズ
英陸軍の退役軍人。22年以上の軍歴と善行章の受勲経験要。

クイーンズ・ガード
王室近衛兵。冬季はグレーのコートを着用している。

ワタリガラス
ロンドン塔からカラスが消えると国が滅びるという伝承あり。

Travel Information

※2018年3月13日現在

Tower of London

London EC3N 4AB
Tel:020 3166 6000
www.hrp.org.uk/tower-of-london
【アクセス】
地下鉄タワー・ヒル駅から徒歩3分
【オープン時間】
10月31日まで
火~土曜日/ 9:00~17:30
日・月曜日/10:00~17:30
(11月1日以降の閉場時間は16:30)
【入場料】
チケット売り場
大人:£26.80、子ども:£12.70
オンライン
大人:£22.70、子ども:£10.75
【ガイド】
オーディオガイド
大人:£4、子ども:£3(日本語あり)
ヨーマン・ウォーダーズ・ガイドツアー
無料(英語のみ)

週刊ジャーニー No.1026(2018年3月15日)掲載