華麗なる一族の運命に翻弄された ソーンベリーキャッスルを征く

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

10世紀中盤、アルフレッド大王の孫の代に、すでに史実に登場していたソーンベリーという所領がある。
有力貴族に与えられる領地として知られるようになり、14世紀にはプランタジネット王室の血をひく女性が輿入れし、16世紀にはチューダー朝の所有となった。
しかし、その華麗な経歴ゆえに、権力争いに巻き込まれることも多く、領地内に建てられた城は300年近く放置されたこともある。
ヘンリー8世縁の地でもあり、現在は一流ホテルとして再生を果たした、このソーンベリーの城を征くことにしたい。

ゲストの出迎え役はブドウの木々

敷地内でのブドウの収穫量は限られているため、近くのワイン工場に持ち込まれてブレンドされ、「ソーンベリー・キャッスル」オリジナルの白ワインとなる。ボトルで18ポンド。フルーティーでさっぱりとした、やや辛口の飲みやすいワインだ。
ワインの本場、フランスでのみならず、英国でも今年のブドウの「でき」について、あれこれと評価が聞かれるようになった10月半ば。取材班はロンドンからM4を一路西へと車を駆っていた。目指すは、ブリストルから北北東方面に10マイル余り走った小さな町にある城。名をソーンベリー・キャッスル(Thornbury Castle)という。
「実際に宿泊できる、イングランドでも数少ないチューダー朝時代の城」、「自家製ワインを楽しむことのできる城」といったうたい文句の数々にひかれ、今回、取材に向かうに至ったのだった。あいにく、ブドウの収穫は、我々が訪れた日の約1週間前に完了してしまったと伝えられたが、自家製ワインは味わえると聞き、嬉々として取材の日を迎えた。
ロンドン市内を発ってから約2時間半。ソーンベリーの町に到着した我々は、城へと続くはずの道の入り口を探した。標識に従えば、このあたりにあるはずだが…と目をこらしながら徐行していると、はたして、町の中心的役割を果たすセント・メアリー教会の敷地の一角であるかのように見える、控えめなゲートに行き当たった。そこが本当に城への入り口か自信が持てぬまま、緑に囲まれた私道をゆっくりと進んだ我々の左手に、整然と並ぶ低木の列が現れた。

敷地内ではMüller-Thurgau〈 ミュラー・トゥールガオ 〉という、ドイツ原産の白ワイン用品種が作られている。
ブドウ棚だ。なまり色の空の下、朝方まで降っていたと思われる雨のしずくが残るブドウの樹木に実は見当たらなかったが、葉はまだ生い茂っている。そして、そのブドウの木々に目を奪われていた我々の右手には、威容を誇る建物がそびえていた。
500年余りにわたる時間の中で、数々の歴史的ドラマを目の当たりにしてきたソーンベリー・キャッスルが、その伝統の重みを淡々と受け止めつつ、ただ穏やかにたたずんでいるのだった。一時はイングランド王室所有となったこともある城だが、派手に自己主張するでもなく、きわめて実直な印象を受ける。ただ、それはあくまで外観から得られる印象だ。16世紀イングランドで、要塞をベースに、当時、流行したルネッサンス形式の壮麗さを加味した邸宅にしようとしたというから、内部にはまったく異なる世界が広がっているのかもしれない。そうした思いを頭にめぐらせながら、取材班は城の玄関へと歩を進めた。

ウィリアム1世の王妃の仕返しを受けた所領

さて、実際に城の中に足を踏み入れる前に、ソーンベリーの所領とその城の歴史について、できるだけ「予習」を試みたいと思う。
ウェールズとの「国境」近くにあるソーンベリーの歴史はきわめて長い。10世紀には、イングランド史に登場していたという。
イングランド南部を中心に、一応の統一を果たしたアルフレッド大王の孫、アセルスタン(Athelstan 在位925―940)の代にサクソン族のエイルワード(Aylward)なる人物がソーンベリーの領主であったことが分かっている。イングランド史初の土地台帳、「ドゥームズデー・ブック」には、このエイルワードの孫、ブリクトリック(Brictric)の所領としてソーンベリーが登録されている。城の歴史は500年だが、領地としての歴史はその倍、千年にもおよぶというわけだ。
ところが、ヘイスティングズの戦いで勝利をおさめ、ノルマンディー公(ウィリアム1世 William I在位1066―87)としてイングランドに乗り込んできたギヨーム2世により、ソーンベリーは没収され、王妃マチルダに与えられてしまう。一説によれば、マチルダがまだ独身だった頃、その父親であるフランダース伯爵(フランダース地方は今のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にまたがる地域)のもとを使節として訪れたブリクトリックに求婚したものの、あえなく拒絶された。マチルダはそれを根に持って夫のウィリアム1世にねだり、ソーンベリーを我が物にしたとされている。ブリクトリックはウィンチェスターで囚われの身となり、そこで生涯を閉じたといわれているが、もしこの説が真実なら、気位の高い女性のうらみをかったブリクトリックは、自分の判断を獄中で悔やんだことだろう。
マチルダの死後、あるノルマン貴族がソーンベリーに封じられた。この貴族の娘がヘンリー1世(Henry I 在位1100―35)の庶子(早くいえば愛人の子)に嫁いだことから、ソーンベリーのイングランド王室との深いつながりが本格的に始まる。
1334年には、そこへ野心家のスタフォード男爵の血が『乱入』。彼は、ソーンベリーを含む数々の所領を相続したマーガレットという女性を、誘拐し結婚するという大胆な行動をとったのだった。さらに、1398年ごろにはエドワード3世(Edward III 在位1327―77)の7男の娘がスタフォード家に輿入れし、プランタジネット朝の縁者と見なされるようになる。
1444年には、ヘンリー4世(Henry IV 在位1399―1413)の寵愛を受け、スタフォード家はバッキンガム公の称号を獲得したものの、2代目バッキンガム公は、時の王、リチャード3世(Richard III 在位1483―85)への反逆軍に加わり敗北。ソールズベリーで処刑された。
スタフォード家の命運もこれで尽きたかと思われたが、ヘンリー・チューダーがリチャード3世を破り、ヘンリー7世(Henry VII 在位1485―1509)として即位。チューダー朝が始まったおかげで、スタフォード家の復興が果たされたのだった。2代目バッキンガム公の息子、エドワードがわずか7歳で3代目バッキンガム公として、ソーンベリーを継承した。
ここまで見ただけでも、ソーンベリーの歴史は十分波乱に富んでいるが、さらに劇的なできごとがソーンベリーを待ち受けていた。

第3代バッキンガム公のみた壮大な夢

3代目バッキンガム公となったエドワードは、しっかりとした「ビジョン」を持つ若者に成長する。やがて、ヘンリー8世(Henry VIII 在位1509―47)から、既に住居として使われていた建物をグレードアップし、城を建てることを許可された。1510年のことである。江戸時代と同様、天下統一を成し遂げた者が恐れるのは、家臣の誰かが突出した力をつけ、自分にはむかってくること。徳川家康が各大名に、許可なく城郭の増改築を行うことを禁じたのと同じで、ヘンリー8世も諸侯による反逆を抑えるため、目を光らせていた。そのヘンリー8世に城の建設を許可されたというのだから、3代目バッキンガム公エドワードは、よほど厚い信頼を得ていたのだろう。

広々としたチャンセラーズ・ラウンジではアフタヌーン・ティーを楽しむこともできる。冬には暖炉に火が入り、居心地の良さがさらにアップ。
エドワードは、「要塞の役割を果たす大邸宅」をめざし、大工事に着手。その計画は当時、ハンプトンコート宮殿に告ぐ規模の大きさだったという。しかし、「好事魔多し」のことわざ通り、ヘンリー8世がエドワードを重用するのを快く思わない者がいた。
ヘンリー8世の側近、ウルズィー卿である。
彼は、エドワードを失脚させるシナリオを書き上げ、それを密かに実行に移したと見て間違いなさそうだ。
確かに、エドワードが目指した「要塞の役割を果たす大邸宅」は、堅固な城郭の呈を示していた。しかも、彼はかつてイングランドを治めたプランタジネット朝の血を引いており、王位継承権を主張することも不可能ではなかった。エドワードが反逆を目論んでいるという噂が広まり、それはヘンリー8世の耳に届く。
当時、王(女王)への反逆を目論むことは国家反逆罪であり、まず例外なく極刑が待っていた。反逆罪の名のもと、ヘンリー8世も、数えきれないほどの首をはねた。
1521年4月、逮捕されたエドワードは裁判にかけられる。このくだりはシェイクスピアが1613年に発表した史劇『ヘンリー8世』にも描かれており、それまで信頼していた家臣たちが「証人」として、自分に不利な証言を言い連ねるのを悲痛な面持ちで嘆くエドワードだったが、その悲運を覆す奇跡は起こらなかった。
同年5月、彼はロンドンのタワーヒルで処刑されたのである。

300年の冷遇時代を耐え切った城

エドワードが文字通り心血を注いで完成させようとしたソーンベリー・キャッスルは、没収され、それから30年余り王室所有となる。この間に、後にメアリー1世(Mary I 在位1553―58)となるヘンリー8世の長女は数年間をここで過ごし、1535年にはヘンリー8世本人と、2番目の妻、アン・ブリンが10日間、滞在したことが記録に残っている。ヘンリー8世夫妻が逗留した際には、近隣の自治都市ブリストルから丸々と太ったウシ10頭とヒツジ40匹が贈られ、饗宴に用いられたという。
ヘンリー8世の死後、即位したエドワード6世(Edward VI 在位1547―53)は、処刑されたバッキンガム公エドワードに同情的だったようだ。その息子をスタフォード男爵として取り立て、ソーンベリーも1554年にスタフォード家の手に戻された。しかし、1547年にはソーンベリー・キャッスルはすでに大規模な修復作業が必要となっていた。この時の工事費は王室が負担したものの、それ以降も定期的な修理と維持管理が必要とされた。ところが約300年、相続人の誰一人として、城に十分な修復をほどこすだけの情熱、あるいは財力を持たず、屋根の一部が崩れ落ちるなど、ソーンベリー・キャッスルはかつての栄光を失いかけるまでになっていた。
救世主がようやく現れたのは、19世紀半ばのこと。1824年にソーンベリーを相続したヘンリー・ハワード Henry Howardという人物が、50年代に本格的な修復工事をスタートさせたのだった。屋根も再建され、人が快適に暮らすことのできる邸宅として、城は息を吹き返したのである。
それから約150年を経た、西暦2000年。一流ホテルが加盟するグループ、「ヴォン・エッセン・コレクション von Essen Collection」が、ソーンベリー・キャッスルを購入。チューダー朝の城がホテルとして生まれ変わることになったのだ。城に心があるとすれば、このできごとは晴天の霹靂であり、強いショックをもたらしたと推測できるが、マイナス面ばかりではなかった。城のオリジナリティをいかしながら、大規模かつ包括的な改装工事が行われた結果、ソンベリー・キャッスルは再び壮麗な建造物としてよみがえったのだ。

手前に見えるのが、城内で最も高い「タワー」で、レセプションで頼めば、上に登らせてもらえる(ただし、足元にはくれぐれもご注意を)。晴れた日にはウェールズを望むことができる。
実際に、複数の客室を案内された際に感じたのは、チューダー朝の城の内部にある部屋としての「違和感のなさ」だった。どの部屋も重厚にしてエレガントに仕上げられており、近年、手が加えられたと思えないほど、歴史を感じさせる部屋も少なくなかった。第3代バッキンガム公にも、これなら許してもらえるだろうという気がした。
ソーンベリー・キャッスルの文字がラベルに刻まれた白ワインとともに、レストランでの昼食を終えた取材班は、食後のコーヒーを楽しむためにチャンセラーズ・ラウンジへと移動した。
窓の外に広がる鉛色の空が、心なしかやや明るくなってきたように感じられる。柔らかなソファに深々と腰をしずめ、くつろいでいると、小鳥の澄んだ鳴き声が聞こえてきた。その小鳥のさえずり以外、何の物音もしない。まさに、贅沢な静寂というべきか。この静けさは、千年前も今も変わらぬものに違いない。そして、時はうつろい、時代も確実に変わっていくが、ソーンベリー・キャッスルは、今までそうしてきたように、これからも、その静寂の中、歴史をあるがままに受け入れていくのだろう。

自家製ワインとともに正統派英国料理を楽しむ

ソーンベリー・キャッスルには「タワー・ダイニング・ルーム(Tower Dining Room)」と「バロンズ・ダイニング・ルーム(Baron's Dining Room)」のふたつのダイニング・エリアがある。後者のほうがよりプライベートな趣き。どちらも3コース/25ポンド、2コース/19.50ポンドのセットメニューが用意されている。

Chicken Liver Parfait
鶏レバー・パルフェ

「パルフェ」は「パテ」よりも軽やかな食感が特徴。レバー独特のくさみもなく、スターターとしてほどよい量に仕上げられていた。

Whipped Goat's Cheese
ヤギのチーズのホイップ

ほのかな酸味を呈するヤギのチーズの塩気と、添えられたビートルートのピューレの上品な甘さが好相性。見た目も華やか。

Pan-fried Bream
白身のブリーム(タイの一種)

ニューポテトやシャロットなどの野菜をベースに置き、タイの仲間であるブリームを美しく盛り付けた1品。ブリームの皮にもう少し焼き目がついていても良かった。

Ox Cheek
ウシのほほ肉の煮込み

ほうれん草、バター控え目のマッシュトポテトが添えられた、定番の煮込み料理。やわらかなほほ肉を、甘さをおさえたソースをからめて食す。

Chocolate Mousse
チョコレート・ムース

ストロベリーをあしらった、なめらかな口あたりのムース。スターターとメインですでに満腹に近かったが、チョコのほろ苦さのおかげで完食。

Treacle Tart
トリクル・タルト

トリクル(糖蜜)を使ったタルトは英国ではおなじみのデザート。日本人には甘みがかなり強いが、やみつきになる人もいる、どこか懐かしい味。

長い歴史を秘めた空間で最上級のくつろぎを味わう

ソーンベリー・キャッスルの客室は、内装も間取りも部屋ごとに大きく異なる。また、各客室には、城にゆかりのある人物などの名前がつけられている。

Duke's Bedchamber
デュークス・ベッドチェインバー

ヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブリン(エリザベス1世の母)が1535年に滞在したという部屋。アンはその翌年、不貞を働いた(国王への反逆罪)として処刑されてしまうが、この頃はまだ寵愛を受けていたことになる。

The Tower
ザ・タワー

英国内のホテルにあるものとしては最も幅が広いというベッドが自慢(幅10フィート=約3メ-トル)。もったいないほど広いバスルームも特筆もの。中でも格調高いトイレにご注目を。

Portlethen
ポートレサン

ミニ・キッチンも完備したスイート。離乳食を温めるなど、小さな子供のいる家族連れの宿泊客にも好評という。壁に「かくしベッド」がある=下写真。

Bedford
ベッドフォード

1990年代に改装された部屋を客室として使用。ジャスパー・チューダーの幽霊を見たスタッフもいるとのことだが、それもうなずけるほど、随所に歴史を感じさせる部屋だ。

Travel Information

※2009年12月10日現在

ソーンベリー・キャッスル

Thornbury Castle
Thornbury, South Gloucs, BS35 1HH
Tel: 01454 281182
www.thornburycastle.co.uk

アクセス

ロンドン市内から自動車で行く場合、M4のジャンクション20からM5に入り、やや南下(北上しないよう注意)、ジャンクション16でおりる。その後A38に入りThornburyの表示に従って走ればOK。ロンドンから約2時間半。

食事の後など、運動を兼ねて城の庭園を散策するのもいいだろう。なお、石像の右後方に見える大きな建物は、セント・メアリー教会。

週刊ジャーニー No.605(2009年12月17日)掲載