
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部
週刊ジャーニー(英国ぶら歩き)動画
女王の庇護のもとに花開いた英国演劇
英国が生んだ最も偉大な劇作家、ウィリアム・シェイクスピア(1564年―1616年)―。ストラットフォード・アポン・エイヴォン出身の彼が、20代前半で俳優を志しロンドンに赴いた頃、ロンドンには演劇を目的に建てられた「劇場」は3ヵ所しかなかった。英国最初の劇場が設立されたのは1576年、それ以前は旅籠や旅籠の中庭、大学や教会などが主な上演場所であった。もともと演劇の娯楽性はキリスト教においては悪とみなされ、中世では宗教劇という形でのみ教会で行われるのが常だった。演劇の世界が当初は女人禁制で、17世紀半ばまで女優という職業が存在せず、女役は男性が演じていたのも、そういった流れを汲んでいたからだ。ちょうどエリザベス1世の治世下(1558―1603年)において劇場の数は倍増するのだが、そのほとんどは「シティ」と呼ばれた中心部を取り巻くロンドン・ウォール外に建てられた。というのも、ロンドン市当局はシティ内での上演を禁止し、演劇を撤廃しようとしていたからである。中世以来の宗教的背景から、世俗的なテーマを扱う演劇は風紀を乱すものとみなされ、市壁外で催されていた熊いじめや闘鶏、博打などの「低俗で教養のない」娯楽と同等に扱われていた。また、当時の興行は真昼間に行われていたため、労働者の手を休めてしまうこの娯楽は市当局に忌み嫌われていたのである。
しかし、エリザベス1世がこよなく演劇を愛好していたおかげで、枢密院が演劇および俳優たちを保護。女王のお眼鏡にかなうプロを育てるという名目で、市当局の統制権の及ばぬ範囲で積極的に演劇活動を支援していくようになる。
英国最初の劇場となったのは「シアター座 The Theatre」で、1576年に当時の有力劇団の座長であったジェームズ・バーベッジによって設立された。市壁外の北側、ショーディッチ地区の賑やかな通りに面しており、翌年にはその至近距離に「カーテン座 The Curtain」が建設された。その後、テムズ河南岸のサザーク地区に「ローズ座 The Rose」(1587年)、「スワン座 The Swan」(1595年)、「グローブ座 The Globe」(1599年)が、クラークンウェル地区に「フォーチュン座 The Fortune」(1600年)、「レッド・ブル 座 The Red Bull」(1604年)が続々と誕生。この相次ぐ公設劇場の設立が火付け役となって、英国演劇は黄金期を迎え、シェイクスピアも時代の波に乗った俳優、劇作家、詩人として成功を収めていくのである。
この時期、ロンドンの人口は急激に増加し、20万人近くにも膨れ上がっていた。そして1610年までには、これらロンドンの全劇場の収容総客数も1万人を上回るほど、演劇は人気を博した。当時はテムズ河を渡るには、ボートを使うか徒歩でロンドン橋を渡るかしかなかったが、グローブ座やローズ座など人気の劇場には観客がこぞって集まったという。
シェイクスピアの桧舞台、グローブ
宮内大臣一座が結成当初から公演を行っていたシアター座は、敷地こそ地主から借用していたが、劇場そのものの所有権はバーベッジ家にあった。にもかかわらず、1596年末、借地契約が満期に近づくと、地主は契約更新を拒否し、その後の劇場所有権は地主に帰すると言い出したため、地主と劇団の間に激しい諍いが起きた。一座の大黒柱であったジェームズが老いて他界し、その2ヵ月後には借地契約も切れ、一座はついに別の場所での公演を強いられることになる。ジェームズの息子であり、座付き俳優であったリチャードとカスバートは、見込みの薄いシアター座の契約更新を訴えつつ、カーテン座で暫定的に公演するなどしてしばらく凌いでいたが、98年の暮れについに強硬手段に出る。
彼らは、梁や柱など使われていた木材の一片一片を残らず持ち去り、テムズ河沿いの倉庫へと収納し、冬が過ぎるのを待った。そして、春が訪れると同時に、いっさいの資材をボートで川向こうへ渡し、ライバル一座のローズ座から目と鼻の先に、新しい劇場を建てたのである。
こうして1599年春、「グローブ座the Globe」はオープンした。

グローブ座設立とともにサザークに引越したシェイクスピアは、多くの戯曲を執筆すると同時に、『ハムレット』や『お気に召すまま』、『ヘンリー5世』などでは俳優としても出演した。当時の座付き俳優や座付き作家は劇団の株主を兼ねる場合がほとんどで、シェイクスピアもバーベッジ兄弟とともに劇団の経営に従事していた。
当時の劇場の多くがそうであったように、グローブ座も「amphitheatre(円形野外劇場)」という形体をとっていた。3階建てで壁は16―24面体、屋根付の四角い舞台を取り囲むように桟敷席が3層に重なり、屋根なしの平土間が立見席という構造だった。ほぼ例外なく、木造で茅葺であったため火災に弱く、1613年には全焼という悲しい被害に見舞われる。それは、引退間近のシェイクスピアが綴った史劇『ヘンリー8世』の上演中に起こり、舞台装置として使用した大砲の弾の火が茅葺屋根に燃え移ってしまったことが原因だった。焼死者はたった1人、飲んでいたエールに引火したためといわれているが、それ以外の3千人ほどの観客は、無事脱出することができ、大惨事は免れたという。
Pawel Libera (2008)
閉鎖の理由は「演劇は犯罪の温床である」とか「男性が女装して女役を演じることは倒錯的である」などといった不条理なものであった。劇場が売春宿の密集地や犯罪多発地区の近辺にあったためだが、実際にはその影に、当時の清教徒を非難する風刺劇を弾圧しようという意図があったとされている。それでも細々と上演を行おうとする勇敢な者もいたが、興行者、俳優など演劇に関わるものは投獄するという布令が出されると、ついに演劇の活路は完全に断たれてしまった。
演劇自体は、その後の王政復古(1660年)をきっかけに再び人々の娯楽の世界に復活。それ以降の発展ぶりについては割愛するが、グローブ座復活については、350年以上の年月を要した。それは、ある人物の出現を待たねばならなかった。
Shakespeare in Love
恋に落ちたシェイクスピア

『恋におちたシェイクスピア Shakespeare in Love』(米・1999年・123分)
監督ジョン・マッデン
アメリカから渡った夢
1934年に行われたシカゴ万博に、グローブ座を半分の大きさに縮小し再現した小型レプリカ劇場が出展された。ここで上演された数篇の短縮版シェイクスピア劇に魅了されたひとりの少年がいた。当時15歳だったその少年は、すぐさまこの劇団のオーディションを受け、巡演に参加したという。サム・ワナメーカー、グローブ座を復元・再建し、現在の形につくり上げた人物だ。
米国シカゴ出身の俳優、映画・舞台監督。東欧ユダヤ系移民の両親を持つ。1943~46年は米陸軍に所属。52年にロンドンでデビューし、57年にはリバプールのニュー・シェイクスピア・シアターで監督を務める。74年「シェイクスピア生誕祭」を指揮。出演作に映画『らせん階段』(1974年)、『赤ちゃんはトップレディがお好き』(1987年)、監督作にテレビシリーズ『刑事コロンボ』(1977・89年)などがある。
写真中:グローブ座の塀に掲げられたサム・ワナメーカーのブルー・プラーク。
51年、映画撮影のために再び英国を訪れていた彼は、当時米国で吹き荒れていたマッカーシズム(*)により、自分自身が赤狩りの対象となり、ハリウッド・ブラックリスト(*2)に載ってしまったことを知る。というのも彼は、第二次世界大戦中に演じた作品の影響で共産主義に感銘を受け、3、4年ほどの短期間、共産党に入党していたことがあったからだ。米国に戻って、理不尽な圧力と戦うことも考えたが、熟考の末、彼は米国に戻らず英国で俳優としてのキャリアを磨くことを決意する。
写真右:グローブ座の入口前の地面は支援者の名前が刻まれたプレートで埋め尽くされている。ゾーイはもちろん、著名俳優の名前も多く、黒澤明の名前もあった。
こうしてワナメーカーは、俳優業のかたわら、少年時代からの憧れであったグローブ座をエリザベス朝時代の姿に再現することを心に誓う。そして、70年までにシェイクスピア・グローブ財団 The Shakespeare Globe Trustを設立し、文字通り息絶えるまで、その実現のために尽力するのだ。
女王も我慢できなかった臭さ?
ペニー・スティンカー
観客を貴族のみとする他のヨーロッパの演劇と違い、エリザベス朝の演劇は大衆のものとしてスタートした。寒い時期には私設会場で貴族のみを対象とする上演も行われたが、一般的な野外劇場では、貴族も庶民もともに観賞した。舞台を取り囲む三方のボックス席には貴族階級が座り、最下層の市民は平土間の立見席を占めた。当時、この立見席の価格は1ペニー(当時の通貨でコーヒーとパンが買えるくらいの金額)で、ここで観賞する人々のことを「グラウンドリングスgroundlings」(水底にすむ魚の意から転じて土間客の意)、あるいは「ペニー・スティンカーPenny Stinker」と呼んだ。彼らは体臭を消すためや風邪などの病気を防ぐために生ニンニクをかじる風習があり、その匂いが平土間に充満していたためという。野次を飛ばしたり、食べ物を投げつけたりすることは普通で、観客参加型の活き活きとした場だったことが伺える。ワナメーカーの執念
当時の姿を忠実に再現するという目的のもと、16、7世紀に描かれたスワン座の設計図やシティのスケッチなどを頼りに基本構造が決定されていった。考古学的調査に基づく研究や建築規定への適合など、あらゆる角度からの確認作業が必要となった。
元のグローブ座は、現在のサザーク・ブリッジ・ロード Southwark Bridge Roadの東側にあったことがわかったが、アンカー・テラス Anchor Terraceという重要文化財建築物に指定されたビルの真下にあたるため、発掘調査は許されなかった。
限りなく元の場所に近く再建しようと、そこから230メートルほど離れた場所に土地を購入したものの、プロジェクトを阻止し、土地を奪い返そうとするサザーク・カウンシルとの間に軋轢が生じ、裁判にまでもつれ込む事態となった。3千万ポンドにも及んだ総工費は、ワナメーカーが俳優業や監督業で得た私財をつぎ込みつつ、後援者に協力を仰いだり、世界中の演劇を愛する人々に寄付を募ったりするなど、東西奔走して集めた。レーガン元米国大統領やエジンバラ公、俳優のマイケル・ケインやダスティン・ホフマンなどが、彼の熱意に打たれて積極的に支援したことで、ようやく再建実現はゆるぎないものとなった。
執念とも強迫観念ともいえる、彼の強烈な思いが実を結び、87年7月には着工の運びとなったが、このとき彼は古希を目前に控えていた。
「グローブ座をこの手でつくる」―。15歳の頃に見た劇場の魅力は、50余年経っても彼の心の中で色褪せることなく、それがまさに形となって再現されようとしていた矢先だった。前立腺がんを患っていたワナメーカーは、完成を見ずして、74歳でこの世を去ってしまう。
その4年後の97年6月12日、新グローブ座はオープンした。
こうして350年以上もの年月を経て、グローブ座は蘇ったのである。
完成をワナメーカーが見届けられなかったことは無念でならないが、少年時代から憧れつづけてきたグローブ座が蘇り、半永久的に世界中の人々に愛されていくことが彼自身の何よりの願いであったであろう。
グローブ座を訪れることがあるなら、娯楽を渇望していた当時の庶民の気持ちになって、テムズ河対岸からロンドン橋を徒歩で渡ってみてはどうだろう。シェイクスピアをより近くに感じ、当時の演劇の真価に触れることができるに違いない。
*2ハリウッド・ブラックリスト―1940年代後半から50年代中ごろのマッカーシズムによる赤狩り旋風の中、ハリウッドなど娯楽産業に携わる映画監督や脚本家、俳優などを対象に、非米活動調査委員会が、少しでも共産党と関連があったものを列挙した人物リストのこと。列挙された人物は同産業で働くことを拒否されるなど、思想の自由を奪う一大事件に発展した。
Travel Information
※2009年5月1日現在
Shakespeare's Globe

最寄駅
Mansion House、Cannon Street、London Bridge、Southwark、St Paul's
アクセス情報ライン
020 7902 1409 月―金 10am-5pm
ボックスオフィス
020 7401 9919
またはWEBサイトでも予約可
グローブ座では毎年、日が短く、気温も低い冬を避け、シェイクスピアの誕生日の4月23日から10月半ばに公演が行われる。2008年は約253公演が行われ、約33万人以上もの人々が観劇を楽しんだ。ちなみにグローブ座は、単なる劇場にとどまらず、エキシビション会場やミュージアムショップ、ワークショップなどの行われる教育スペースを兼ね備えた複合文化センターとしての機能も果たしている。
Museum Shop
シェイクスピア関連本をはじめ、グローブ座グッズの数々が売られている。
www.shakespearesglobe.com/shop/
Swan at the Globe スワン・アット・ザ・グローブ
Brasserie
モダン・ブリティッシュを食せるグローブ座付属のレストラン。河沿いの通りに面し、眺めも良い。デートにも使えそうなスマートな店。 アラカルト・メニューはスターターが£5.50~£7.50、メインは£14~£18、サイドディッシュは£3~£3.50、デザートは一律£5.50。この他、12:00~14:30、18:00~19:00にはシェフがセレクトしたセットメニューがあり、2コース£15.95、3コース£17.95とリーズナブル。
月―土 正午―2:30pm, 6―10pm 日 正午―5pm
Tel: 020 7928 9444
Bar
ブラッセリーの下階に位置し、ブラッセリーほどかしこまっておらず、カジュアルだが洗練された雰囲気。ビーフ&ベジタブルパイ(£8)やプラウマンズ・ランチ(£8.50)、フルーツヨーグルト&ショートブレッド(£3.50)など、英国色豊かなラインナップ。
毎日 11am―1am(ラストオーダー12:30am)
食べ物のオーダー 正午―8pm
Coffee Cart
サンドイッチや菓子パン、マフィン、ケーキ、スナックなどの軽食、コーヒー、紅茶などのホットドリンク類が買える。
毎日 9am―5pm
写真右上:バーで食したビーフ&ベジタブルパイは素朴な味
写真左下:スワン・アット・ザ・グローブではシアター利用者に限らず食事を楽しめる。
写真右下:見晴らしの良いブラッセリー
週刊ジャーニー No.575(2009年5月21日)掲載