2011年7月21日 No.686

 

取材・執筆・写真/本誌編集部

フランス歴代王戴冠の地
ランスを征く

 

自由なフランス人

  現在のフランスとその周辺のベルギー、スイス、ドイツ、イタリア、スイスにまたがる一帯はその昔、「ガリア」と呼ばれており、もともとはガリア人(ケルト人の一派)がいた地域である。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が綴った遠征記録『ガリア戦記』でも知られるように、ガリア戦争で敗れ全土がローマ属州となり、ラテン語やラテン文化の流入などによって、紀元1世紀以降、ローマへの同化が進んだ場所だ。この地にゲルマン系民族「フランク族Franks」が侵入してきたのは、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」の時期で、4世紀初頭のことだった。もともとバルト海沿岸に居住していたゲルマン民族はカエサルの時代からガリアに何度も侵入を試みており、その武勇に秀でた民族性は常にローマを脅かしていた。古代ゲルマン人の平均身長は1・72メートルで古代ローマ人のそれより20センチも高かったというから、ローマ兵もさぞ怖気づいたことだろう。実際、2世紀半ばにはその武力を買われ、ローマの傭兵として使われ始め、ローマ兵よりも手柄をあげて武将として出世していく者も少なくなかった。そのため、4~5世紀に起きた民族大移動の際に、ゲルマン軍を迎え撃つローマ軍の将軍がゲルマン人武将であるということは多々あった。当初は略奪行為などを行っていたフランク族も、4世紀半ばには傭兵として他のゲルマン系部族やローマ系住民とともに帝国軍を形成する。厳しい軍役と引き換えにローマ帝国領に居留地を与えられた彼らは、フン族を撃退するなど大活躍し、ローマ帝国の朋友としての地位を確立していった。しかし、ローマ軍の戦術を間近で学び軍事能力をさらに磨いた彼らが、傭兵という役割に甘んじているはずもなかった。ローマ帝国が滅亡し、ゲルマン系部族による王国が乱立し始めると、ついにガリアにゲルマンの時代がやってきた。そして、帝国分裂後の弱体化した西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長によってあっさり滅亡させられると、フランク族もフランク王国を建てた。481年のことである。このフランク王国では生粋のフランク族にのみ自由が与えられていた。それゆえ、ラテン語でフランク族を意味する「Franci」が「自由な人」「おおらかな人」という意味を持ち、英語の「frank(=率直な、ざっくばらんな)」の語源になったといわれている。現在の「フランスFrance」という名称もこのフランク王国に由来しており、ドイツではいまだにフランク王国を意味するFrankreichをフランスの呼称として使用しているという。建国当初、現在のフランス・ベルギー国境あたりを占める小国に過ぎなかったフランク王国は9世紀初頭には現在のフランス、ドイツ西部、イタリア北部、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スロベニアまでをも包括する大国に成長する。この大国は後に3国に分裂し、これは中世のフランス王国、神聖ローマ帝国、イタリア王国につながり、現在のフランス、ドイツ、イタリアに至る。フランク王国はまさにヨーロッパの礎だったともいえるのだ。フランク王国が大国に成長したのには、武力だけではない明確な理由がある。それは初代国王クローヴィス1世の「改宗」だった。当時のゲルマン諸族のほとんどはキリスト教の異端派であるアリウス派を信仰していたが、のちのローマ・カトリックとなる正統アタナシウス派(ニカイア派)に改宗することで、ガリアの地に残ったローマ系住民を味方につけ、カトリック教会の支持をも受けることができたからだ。なぜ改宗したのかは、敬虔なカトリック信者であった妻に説得されたからとも、戦況が著しく不利だった時に祈りを捧げたら大勝利を収めることができたからとも言い伝えられるが、陰謀や策略に長けたと知られるクローヴィスが、政治的効果を見越して決断したとするほうが自然だろう。いずれにしても496年12月24日のクリスマス・イヴに、クローヴィスは家臣3000人とともに、ランス司教サン・レミの立会いのもと、改宗した。その場所に現在建っているのがランス大聖堂である。以後、フランク国王はもちろん、フランスが共和制に至るまでフランスの歴代国王はランス大聖堂で戴冠式を行うのが通例となった。この戴冠式、正式には「聖別式」と呼ばれ、塗油を行うことで神の超人的な力を国王に与えるという意味があった。そのため、ランスで戴冠式を行わないと国王として認められなかったというほどの権威を有した。この改宗はフランス史上においても、カトリック史上においても重要な意味を持つ出来事である。この改宗によってフランク王国、カトリックの双方が発展し、のちのヨーロッパを形作ったといっても過言ではないからだ。翻って、フランスもカトリックもランスから始まったと言うことができるのである。

サン・レミバジリカ聖堂の南面後陣にある、洗礼を授けるサン・レミ像(右)とクローヴィス像。クローヴィスの足元には王冠と剣が置かれている。

 

843年に3国に分裂する前のフランク王国の領土
※ラインは現在の国境