
世界的に知られるストーンヘンジ以外にも英国には誰がいつ、何のためにどのようにして造ったのか解き明かされていないストーン・サークルがいくつもある。
そのうちのひとつで、世界遺産の指定も受けているエイヴベリーを今回はご紹介したい。
そのうちのひとつで、世界遺産の指定も受けているエイヴベリーを今回はご紹介したい。
●征くシリーズ●取材・執筆/名取 由恵・本誌編集部
不思議なものが集う国
英国はミステリアスなものに満ちている。例えば、スコットランドのネス湖、畑に突然現れるミステリー・サークル、アーサー王伝説にまつわる聖地、魔法使いや妖精が登場する言い伝えや物語―。実存することが証明されていないケースも少なくない一方で、確かに存在し、なおかついまだに多くの謎に包まれているものもある。その筆頭に挙げられるのが、石を環状に配置した古代の遺跡、ストーン・サークル(環状列石)だろう。
古代の人々はなぜ、どのようにしてストーン・サークルを作ったのか。おのずと想像力が掻き立てられる。
英国各地で見られるストーン・サークルのなかで最も有名なのは、何といってもストーンヘンジだ。しかし、大きさではこれをはるかにしのぐストーン・サークルが英南西部ウィルトシャーのエイヴベリーという村にある。
エイヴベリーの名はあまりなじみがないかも知れないが、新石器時代のモニュメントとしては西ヨーロッパ最大規模を誇り、歴史的建築物を保護する英組織「イングリッシュ・ヘリテージ」と自然保護機関「ナショナル・トラスト」の管理のもと、世界遺産にも認定されている。また、近年、日本ではパワースポット巡りが盛んだが、エイヴベリーは大地からのエネルギーをチャージできるパワースポットとしても世界的に人気の高い場所である。 今回は神秘の力が宿るとされる、このエイヴベリーの地に出かけてみよう。
小さな村に横たわる大きな古代遺跡
ウィルトシャーの田園地帯を車で駆ける。ロンドンからは2時間あまりの旅だ。いかにも英国らしい鉛色の空と緑の牧草地がどこまでも広がる中、エイヴベリーに到着した。メインストリートは1本、郵便局を兼ねた小さな店、おみやげショップなどが数軒、パブが1軒という、小さな小さな村だ。その村のサイズとは不釣合いなほど大きな駐車場は、すでに満車状態で、エイヴベリーが人気の観光地であることを改めて知らされて驚く。エイヴベリーは、ロンドンから西におよそ140キロ、ストーンヘンジからは北におよそ27キロのポイントに位置する。中心となるのはエイヴベリー・ヘンジ(Avebury Henge)と呼ばれるストーン・サークル。世界遺産としてのエイヴベリーは、このエイヴベリー・ヘンジのほか、次の遺跡を含む。
■エイヴベリー・ヘンジから南南東方向にのびる古代の「道」、ウェスト・ケネット・アヴェニュー(West Kennet Avenue)
■ウェスト・ケネット・アヴェニューの南端に位置し、おそらく遺体安置などに使われたと見られる木造サークル跡、サンクチュアリー(The Sanctuary)
■エイヴベリーの南にある、英国最大の長形墳のウェスト・ケネット・ロングバロウ(West Kennet Long Barrow)=写真左
■欧州最大といわれる、人工の小山に築かれた古墳のシルベリー・ヒル(Silbury Hill)=写真中央
■北西にあり、円形の囲み地を形成するウィンドミル・ヒル(Windmill Hill)=写真右
エイヴベリーの話に戻すことにしよう。エイヴベリー・ヘンジは、エイヴベリーの村と重なるように存在する。というより、エイヴベリーの村全体がストーン・サークルのなかにあるという感覚か。
まずは駐車場からフットパスを歩いて300メートルほどの場所にあるミュージアムを目指す。フットパスの途中で、ストーン・サークルの一部である巨石に遭遇。早くも心が躍る。が、エイヴベリーの遺跡はかなりの広範囲にわたっている。オールド・ファームヤードにある2つのミュージアムを先に訪れて、エイヴベリーの全体像と歴史、アレグザンダー・ケイラー(Alexander Keiller )=写真上、後述=による考古学調査の様子などを、ざっくりつかんでから見学することをお薦めしたい。
マーマレードのおかげで蘇った遺跡
さて、ここでエイヴベリーの歴史を探っておこう。起源はブリテン島の新石器時代にさかのぼると考えられている。人類の歴史が新石器時代に移行したのは紀元前およそ4000年頃。エイヴベリー・ヘンジの建設が始まったのは、今から4600年ほど前の紀元前2600年頃といわれる。ウィンドミル・ヒルはそれより少々古く、およそ紀元前3500年、ウェスト・ケネット・ロングバロウは紀元前3700年頃とさらに年代は遡る。こうした大規模な墓やサークルが建設されのは、紀元前4000年から3500年頃にかけてで、ブリテン島で安定した農業経済が発達していたことを示すと分析されている。ただ、青銅器時代まで古墳群は死者の遺体を葬るために使用されたというが、鉄器時代の頃にはストーン・サークルは使われなくなったというのが一般的な説だ。
ローマ時代以降は周辺に村が築かれ、中世には村がヘンジの内側にまで広がった。1114年頃にエイヴベリーの村の一部がベネディクト系修道院に譲られたという記録が残っている。中世になると、巨石が多神教や悪魔信仰と関連づけられ、宗教的かつ実用的な理由(通行などの妨げになるので排除する、砕いて他の建造物に再利用するなど)で、残念ながら多くの巨石が破壊されてしまう。
そうした逆境を経て、エイヴベリーのストーン・サークルが再び注目されるようになったのは、1930年代のこと。中心人物はマーマレード製造・販売で財を築きあげたアマチュア考古学者のアレグザンダー・ケイラー(1889~1955)だ。ケイラーは趣味が高じて、エイヴベリーの遺跡の考古学調査を開始。周辺の土地を買い上げ、950エーカー(3・8平方キロメートル )に及ぶ土地の大がかりな発掘作業を行った。外側のストーン・サークルをほぼ復元、発掘物を収蔵するミュージアムを開設した。一個人として私財をここまで投じたケイラーの情熱の激しさには脱帽するしかない。その後、1943年、ケイラーはエイヴベリー周辺の所有地とストーン・サークルを1万2000ポンドでナショナル・トラストに売却。1986年には『エイヴベリーと関連する遺跡群』として世界遺産に認定された。
レイラインに隠された秘密
レイラインは、英国のアマチュア考古学者、アルフレッド・ワトキンス(Alfred Watkins 1855~1935)が提唱したのが始まり。1921年、ワトキンスは英中部へレフォードシャーで、丘の上から眺めたときにローマ時代の街道や教会、巨石などのランドマークが一直線上にあることに気づき、古代の遺跡や聖地、教会などは直線で繋がるように意図して建てられたという研究の結果をまとめた『The Old Straight Track(古代の直線路)』という本を出版、この直線をレイラインと名づけた。直線状に存在する遺跡の多くが、「lei」「ley」という語尾で終わっていたからだという。
ただし、レイラインをめぐってはさまざまな説がある。「特定の日の太陽の軌跡を示したもの」「地下水脈や鉱脈、磁気などのエネルギーに関係する」「風水でいうところの土地の気の経絡(龍脈)にあたる」など。昔の人々は土地に強いエネルギーを感じた場所を聖地として崇めたり教会を建てたりしたというわけだ。一方、レイラインそのものの正当性についても賛否両論あり、現在も研究は続いている。
世界中に数多くあるといわれるレイラインのなかで最も有名なのが、セント・マイケルズ・レイラインだ。英南西部コーンウォールにある英国版モン・サン・ミシェルであるセント・マイケルズ・マウントから英東部のホプトンまで一直線に伸びるもので、一説によると、北東27度の角度で結ばれ、5月1日の太陽の軌跡を表しているという。
5月1日といえば、古代ケルト人の暦でベルテイン(Beltane)と呼ばれ、夏の始まりと多産を祝う日になる。そのセント・マイケルズ・レイライン上にあるのがストーンヘンジ、グラストンベリー、そしてこのエイヴベリーなのである。
古代の人々からのメッセージ
では、周辺を歩いてみよう。ミュージアムから続くフットパスを進むと、すぐに巨石が見えてくる。ストーンヘンジのように見学を遮る柵がないので、実際に石に触れることも可能。子供たちが石の上にのぼっていたり、観光客が石と一緒に記念写真を撮影していたり、夏には石の側でピクニックをする家族連れの姿も見られる。遠くから眺めるだけのストーンヘンジとは異なり、ここでは石に触ったり、石に話しかけたり、思い思いに石と『遊ぶ』ことができる。かつては、溝と土手で作られた大きなヘンジ(環状の土塁や周溝)に沿って内側にストーン・サークルが並び、さらにヘンジの真ん中に異なる2つのストーン・サークルがあり、合計3つのストーン・サークルから構成されていたという。溝と土手から成るヘンジの直径は420メートル、外のストーン・サークルの直径は331・6メートル(ちなみに、ストーンヘンジの直径は約100メートル)。サルセン(大砂岩)の立石(メンヒル)の高さは、3・6メートルから4・2メートルまであり、外側のサークルには立石がおよそ100個もあったといわれる。
【写真右】エイヴベリー・ヘンジの巨石のひとつ。隣でポーズをとっている女性と比較すると、その大きさを分かっていただけることだろう。
ヘンジからは立石が並ぶ2本の小道がでており、これはアヴェニューと呼ばれる。そのうちのひとつ、ウェスト・ケネット・アヴェニューは約2・5キロの長さに及び、サンクチュアリーという名前の別のサークルまで続いている。時間がある方はそこまで散策するのもよいだろう。
ゆっくりと土手を一周して元の場所に戻ると、かなりの距離を歩いたことになる。パブ「Red Lion」で地ビールを飲んだりカフェでクリームティーをいただいたりするのもよし。ショップでおみやげグッズを眺めるのもよし。なお、雨が降った後などは足場が悪く泥だらけになることがあるので、ウェリントンブーツやウォーキングシューズを用意することをお忘れなく。エイヴベリーでは、現在でも、ドイルド教など多神教・自然崇拝を信仰する人々が集まり、夏至など特別の日の儀式を行っている。しかし、特に宗教と関係なくとも、この場所にいると心が洗われ清々しい気持ちになり、活力がみなぎってくるのは不思議だ。
数千年にわたり、エイヴベリーの草原のなかに立ち、ときには土のなかに埋もれながらも、人間の営みと歴史を見守り続ける石たち。その石たちに触れてみて欲しい。まるで石たちがあなたに何かを語りかけているように感じるはずだ。エイヴベリーの石たちから、あなたはどんなメッセージを受け取るだろうか。
Travel Information
※2016年1月18日現在
住 所
Avebury, near Marlborough, Wiltshire SN8 1RF
問い合わせ Tel: 01672 539 250
www.nationaltrust.org.uk/avebury
アクセス
車
ロンドンからM4経由で西へ85マイル(約136キロ)、約2時間。駐車場のポストコードはSN8 1RD。なお、入場料が無料である分、駐車料金で「元をとろう」というわけなのか、思いのほか高く、1日で7ポンド(ナショナル・トラスト、およびイングリッシュ・ヘリテージ会員は無料)。
電車
ロンドン・ウォータルー駅からスウィンドンSwindon駅まで約1時間40分。同駅からエイヴベリーまで11マイル(約18キロ)。バスあり。
入場料
エイヴベリー・ヘンジ:無料
エイヴベリー・マナー&ガーデン:大人7.50ポンド
※ティールーム(午後14:00より)が営業しているかどうかはTel: 01672 538 023で確認可能。
アレグザンダー・ケイラー博物館:大人4.90ポンド
オープン時間
エイヴベリー・ヘンジ:夜明けから日暮れまで。
エイヴベリー・マナー&ガーデン:2016年は2月13日よりオープン。
※時間についての詳細はウェブサイトでご確認を。
アレグザンダー・ケイラー博物館:毎日10:00-18:00
古代遺跡だけじゃない!エイヴベリーのもうひとつの必見スポット
エイヴベリーマナー
ウィリアム・ダンチ以降、さまざまな一家が住み、改築・増築が繰り返された。1700年代初めには、湯治のため保養地バースへ向かう途中のアン女王がこの邸宅に立ち寄り滞在したという。また、エイヴベリー・ヘンジの遺跡発掘を行ったアレグザンダー・ケイラーも1930年代にはこの家の住人であった。
オールド・ファームヤードの奥に建つマナーハウスの外観は、華やかとはいいがたい。だが、サルセン(大砂岩)と呼ばれるこの土地独特のグレイのサンドストーンを重ねた建物が重厚ながらもどこか温かな雰囲気を醸し出す。
重いドアを開けて中に入ると、文字通りタイムマシンで時間を遡ったかのような世界が繰り広げられる。1階のチューダー・パーラーはチューダー朝時代の内装。ビリヤードルームは第1次世界大戦時のジェントルマンの居間を再現。ダイニングルームは18世紀に元ジャマイカ大使だったアダム・ウィリアム卿にちなんだ部屋になっている。
ダイニングルームには、チャンバー・ホースという面白い椅子がある。これは天候が悪い際に乗馬の練習をするために作られたもので、座る部分が『跳ねる』ようになっている(百聞は一見にしかず。ぜひお試しを!)。1789年の家具目録に記録されていたが、現在展示されているものはそのレプリカ。
ところで、エイヴベリー・マナーでは、実際に家具に触れたり、椅子に座ったり、ベッドに寝転んだりと、通常のマナーハウスではできない体験が可能だ。アン女王の寝室とチューダー朝の寝室にある豪華な天蓋付きベッドはぜひお試しあれ。各部屋には、地元のボランティアによるガイドが立ち、詳しい説明をしてくれる。
また、広大な庭園も見逃せない。薫り高いラべンダーが訪問客を出迎えてくれるイースト・ガーデン、季節の植物が植えられるモンクス・ガーデン、果樹の立ち並ぶチャーチ・ガーデン、奥にはリンゴの木からなるオーチャード、さまざまなハーブが育てられているキッチン・ガーデンなど。美しい花を眺めながらゆっくり散策したり、ベンチに座って庭を眺めたりと、天気の良い日には、この庭で何時間でも過ごすことができそうだ。
週刊ジャーニー No.916(2016年1月21日)掲載