米国に上陸 ハリウッドのスーパースターへ

1912年、カーノー劇団が2度目の米国巡業を行った際にチャップリンは喜劇映画界の雄、マーク・セネットに見いだされる。セネットは喜劇専門の映画製作会社であるキーストン社の監督/プロデューサーだった人物。キーストン社には無声映画全盛期を代表する名だたる役者が所属し、大衆の人気を集めていた。キーストン社から提示されたチャップリンのギャラは平均的労働者の10倍の週給150ドル。当時、映画は舞台より低級とみられていたため、出演を希望する役者が少なく、映画会社は高いギャラを払って俳優を確保していたという。
チャップリンは『成功争ひ(原題: Making A Living)』(1914年)のペテン師役で映画デビュー。以後、1年間キーストン社に所属し、34本の短編映画に出演することになる。そして、2作目『ヴェニスの子供自動車競争(Kid Auto Raves At Venice)』(1914年)で、放浪者にして紳士である『放浪紳士チャーリー』というお馴染みのキャラクターがようやく登場する。
「つまり、小さな口髭は自分の虚栄心、不格好で窮屈な上着とダブダブのズボンは人間が持つ愚かしさと不器用さ、同時に物質的な貧しさにあっても品位を維持しようとする人間の必死のプライド。そして大きなドタ靴は貧困にあえいだ幼い頃の忘れえぬ思い出だ。それが僕に閃いた人間の個性なのだ」と、チャップリンは後に回想している。
当時は無声映画の時代であり、派手なアクションのドタバタ劇が人気を集めていた。キーストン喜劇も然り、即興で撮影されるということもあって、追いかけ回したり、喧嘩したりの連続が主流だった。そんな中でも、チャップリンは監督業を兼任するなど映画人として修行を積んでいく。やがてめきめきと実力をつけたチャップリンは、他の映画会社から次々と引き抜かれ、その度にギャラも上がっていった。2年目の1915年には週給1000ドルで移籍し、14本の短編で監督・主演を務めた。さらに3年目には週給1万ドルという破格の契約金で移籍、12本の映画を製作する。 1918年には、独立して自分の撮影所を設立。ファースト・ナショナル社(後にワーナー・ブラザーズと合併)と年棒175万5000ドルで契約を結び、名実ともにハリウッドのスーパースターとなる。自らの撮影所で自由に映画製作できるという環境が整い、映画作りにおいて主導権が握れるようになったおかげで、チャップリンは当初のドタバタ劇から、「喜劇は人を泣かせることもできる」という自分の信念にもとづく作品を創るようになる。こうして、社会的メッセージと人間の内面を、笑いと涙を織り交ぜながら描くというチャップリンの独自のスタイルが確立されていったのだった。
さらに、1919年には、その後アメリカの映画界で隆盛を極める配給会社、ユナイテッド・アーティスツを設立。チャップリンは、監督・プロデューサー・脚本・主演と、ひとりでいくつもの役割をこなし、無干渉で映画製作のできる環境を手に入れた。そして、『キッド(The Kid)』(1921年)=写真右、『黄金狂時代(The Gold Rush)』(1925年)、『サーカス(The Circus)』(1928年)、『街の灯(City Lights)』(1931年)など、大ヒット作を次々に製作し、またたく間に世界的な人気者になっていく。
チャップリンは、わずか数秒のシーンを納得のいくまで何百回と撮り直し、少しでも無駄な演技のシーンは大胆にカットするなど、業界随一の完璧主義者と呼ばれた。NGがでたフィルムはほとんど焼却していたほど、その完璧ぶりは徹底していたという。

少女趣味(ロリコン)で4度も結婚 ~多彩な女性関係~

ロバート・ダウニー・Jr主演、リチャード・アッテンボロー監督の伝記映画『チャーリー(原題:Chaplin)』(1992年)でも描かれているように、チャップリンは4度の結婚で11人の子供をもうけるなど、女性関係は実に華やかだった。
初恋の人は踊り子のヘッティ・ケリー。彼女が15歳のときに出会い恋に落ちるが、彼女が若くして亡くなったため、チャップリンは一生ヘッティの面影を追い求めたといわれる。最初の妻は女優のミルドレット・ハリス=写真右。1918年に結婚し2年後に離婚。2番目の妻はリタ・グレイ。1924年に結婚し3年後に離婚。ふたりの間には長男チャールズJr、次男のシドニーが生まれている。3番目の妻とされるのは、ポーレット・ゴダード=同左下。女優としては彼女が最も有名で『モダン・タイムス』『独裁者』でも共演している。1936年に結婚し6年で離婚。しかし彼女とは結婚の法的証拠がなく、正式に結婚していなかったという説もある。そして4人目の妻は、ウーナ・オニール。ノーベル賞受賞の劇作家、ユージン・オニールの娘でもある。1943年に結婚、8人の子宝に恵まれる。

他にも数々の浮き名を流し、父権裁判を起こされたこともある。また、チャップリンが少女趣味(ロリコン)だったというのも、ハリウッドでは有名な話。ミルドレットが結婚したのは16歳で、リタも16歳のときに妊娠して結婚している。離婚後まもなくリタは慰謝料訴訟を起こし、夫婦の性生活を暴露するなど、チャップリンにはかなりの痛手だったという。一説によると、ナボコフの小説『ロリータ』は、チャップリンとリタの関係をヒントに書かれたという噂も。ウーナは17歳で結婚。当時チャップリンは54歳で、年の差はなんと37歳!8番目の子供が生まれたとき、チャップリンは73歳だった。