◆◆◆ 白樺派との出会い ◆◆◆

 


柳宗悦とリーチ。1935年東京にて撮影。©Leach  Archive

*白樺派―1910年に創刊された同人誌「白樺」を中心にして起こった文芸文学者・美術家の集団をいう。自然主義に代わり、人道主義・個人主義・理想主義などを唱え、大正期の文壇の中心的な存在となった一派のこと。

 高村光太郎が書いた紹介状のあて先の中には、彼の父親である彫刻家の高村光雲、その友人の岩村透がいた。2人とも東京美術学校(現・東京芸大)の教授である。日本語を全く解さないリーチのために、岩村は教え子の1人を紹介し、身の回りの世話をさせることにする。リーチは日暮里に暮らしながら、上野桜木町にある寛永寺の貸し地に、西洋風でもあり和風でもある1軒家を新築し、英国からミュリエルを招き寄せる。リーチはここで銅版画を教える積もりであった。生徒募集のため、宣伝を兼ねた3日間のデモンストレーションを行ったリーチのもとに、数人の見学者が訪れる。それは名前をあげれば、柳宗悦、児島喜久雄、里見弴、武者小路実篤、志賀直哉などの、翌年には白樺派(*)を起こすことになる蒼々たるメンバーであった。これ以後リーチと白樺派のメンバーは互いに学び合い、思想の上でも双方共に多くの刺激を受けていくことになる。特にリーチと柳宗悦の関係は生涯続き、リーチの思想形成にも重要な役割を果たす。
結局、銅版画クラスはリーチが白樺派から日本文化を学ぶ時間にとって代わられた形で、自然消滅した。だが当時の日本は物価も安く、父親の遺産もあったリーチは、ミュリエルと共に近くの学校で英語を教えたり、前述の岩村透の関係する美術誌にエッセイを寄稿したりするなどして、必要以上にあくせく働く必要はなかったようだ。
リーチにとって、この時期はひたすら学びの時であった。日本文化についてばかりではない。ロダンやヴァン・ゴッホの作品を、西洋と変わらぬリアルタイムで鑑賞し、イプセンやウィリアム・ブレイクについて仲間と議論を戦わせるという体験もしている。柳宗悦によれば、ゴッホ並びに後期印象派の作品を全く知らなかったリーチは、ゴッホの作品を観て興奮し、帰り道に「英国は眠っている!」と電信柱を何度も殴っていたという。こうして、リーチはラフカディオ・ハーンの描くエキゾチックな過去の日本のイメージを次第に払拭しながら、「西洋美術」対「非西洋美術」という杓子定規な概念から離れてアートをとらえる視点を獲得しつつあった。

Bernard Leach Tile 1925 ©Tate St Ives
 一方、妻のミュリエルとの関係はリーチが芸術にのめり込む分だけ、希薄になっていた。しかも、10歳で寮暮らしを始めた彼は家庭生活、とりわけ夫婦生活がどういうものかよくわかっておらず、リーチにほとんど置き去りにされたミュリエルは、キリスト教の布教のために日本を訪れているグループと時間を共にしていたらしい。
1911年、白樺派との関係は良好だが、銅版画や絵画など、自身の作品の方向性に行き詰まりを感じていたリーチは、ミュリエルから妊娠を知らされる。これは彼に新たな責任が付加されることも意味した。父親になることに歓びながらも、一家の大黒柱となることに重圧を感じた。
しかし、その後この結婚生活が破綻するなどとは思いも寄らなかったのであろう。この時まだミュリエルは、夫との将来を信じており、英国にいる両親にもそのように書き送っている。
そんなリーチに、再び転機が訪れる。建築家の友人、富本憲吉と共に訪れた茶会の席で、初めて楽焼きを体験したのだ。楽焼きとは低温で焼く、素人にも参加できる素朴な焼き物の一種である。リーチは自分の絵が皿に焼き付けられるのを見て非常に興味を覚え、陶芸についてもっと学びたいと考える。友人を介し
Bernard Leach Ceramic 1925 ©Tate St Ives
て紹介されたのは、6代目乾山こと浦野繁吉で、リーチは彼に入門するとほぼ毎日工房に通う。1年後には自宅に窯を築くまでになり、更に一年後には7代目乾山の伝書をもらい免許皆伝となった。また、陶芸を学ぶことは、茶の湯や禅を始め、さらに深く日本文化を知ることであり、中国や韓国の文化に触れることだともいえる。リーチはこうして陶芸を通し、さらに広い視野で東洋を、そして美術の世界を見つめ始めていた。それまでは西洋に対する東洋、純粋美術に対する工芸など、AとBを対比させる二元論で物事を考えてきたリーチだが、陶芸の世界に触れたことで、これまでのような対比だけではなく、二者の融合の可能性を考えるようになっていく。
これは今後のリーチの生涯の軸ともなる問題でもあった。彼はこの問題を深く考えるうちに、次第に陶芸を離れ哲学の世界に傾倒して行く。こうして26歳のリーチが「手を動かしてこそ思想が生きる」のだということに気づくまで、まだもう1つの段階を経る必要があったのだ。
(次週へつづく)