色彩への目覚め

 

 ギャラリーを父親に任せ、ターナーは英国外へ足をのばしスケッチ旅行に出掛けることが増えていった。パリ経由でスイスを訪れ山脈や渓谷を描き、ベルギー・オランダではレンブラントをはじめとする名作にも触れる。しかし、真にターナーを変えたのはイタリアであった。
1819年、44歳で初めて訪れたイタリアの目がくらむほどに強い自然光に、ターナーは圧倒された。英国などの北方ヨーロッパにはない陽光の明るさと、そこから生まれる色彩の豊かさに息をのむ。特に「水の都」と言われるヴェネツィアに心惹かれ、この時の滞在は4週間にも満たなかったが、手がけたスケッチは400枚を超え、そのどれもが今までにない透明感ある光に溢れていた。以降、ターナーはたびたびヴェネツィアを訪れており、その後の画家としてのキャリアは、そこで目に焼き付けたイタリアの光を分解し、空気や大気の動きを色によって描きだす研究に捧げられたといっても過言ではない。その題材がナポレオン軍を描いた歴史画であれ、黄金色のリッチモンド・パークの風景画であれ、ターナーが描いたのは常に光と空気の関係性だった。以前から気に入リの主題だった海や港の光景は、洪水や雲気に形を変え、ついには「水蒸気」を表現するところにまで行き着くのである。
当時のロイヤル・アカデミーがサマセット・ハウスにあったことはすでに述べたが、敷地をロイヤル・ソサエティ(王立学会)と分け合っていた。王立学会は17世紀から続く英国最高の科学アカデミーで、産業革命時の英国における科学の行方はこの学会が牛耳っており、毎日のように刺激的な研究が発表され、議論が戦わされていた。光や空気を研究するターナーがこれを逃がすはずはない。最終学歴は小学校、さらに難読症でもあったターナーだが、それを補う人一倍の探究心を持ち合わせていた。雲の成り立ちに関する気象学者のレクチャーに出席したり、ニュートンの光学理論、ゲーテの色彩論にもとづき光を描いたりしている。まさに独学の人であった。
制作意欲は晩年になっても衰えることはなく、この先、ターナーが行き着く絵画は、ただ、まばゆいばかりの光の海、波と霧の渦でしかないように思えた。抽象画らしきものが生まれる半世紀も前のことであり、その概念もなかった時代に、ターナーは自分の色彩感覚を従来の絵画から完全に、自由に解き放ったのである。

 



「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号」(1838年)。
ナショナル・ギャラリー所蔵。

 



雨が降る中、蒸気機関車がテムズ河に架かる橋の上を疾走する様子を描いた
「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」(1844年)。
ナショナル・ギャラリー所蔵。

 

光を描いた現代アートの先駆者

 

 1846年、老齢を迎えたターナーはアカデミーの副会長の座を辞す。そしてチェルシーのテムズ河沿いに居を構え、25歳年下の未亡人ソフィア・ブースと暮らしながらも作品制作を続ける。彼女は、ターナーの父親が1829年に死去し、彼が失意のどん底で苦しんでいた際に、そばで支えてくれた女性だった。ターナーは屋根を自分で改造して、そこに座ってスケッチができるようにした。視線の先は子供の頃から見慣れたテムズ河。近所の人々は、雨漏りのしそうな家に住み、いつも屋根のてっぺんに座っている奇妙な老人が画家のターナーであることなど知らない。彼は人々から「船長」とあだ名されていた。
健康も次第に衰えてきたが、相変わらず鋭いビジネス感覚を有するターナーは死後の作品の行方をすでに決めていた。作品を自分の子供のように考える彼は、自身の経験からか、「家族を離ればなれにしちゃだめだ。皆一緒じゃないと」と言い、すべて国に寄贈することにしていた。ただし、自分の作品専用の部屋を作ることが前提である。そうしてテート・ブリテンに収められたターナーの作品の数は油彩400点、水彩画は2万点に及ぶといわれる。
やがて体調を崩した1851年、ターナーは病床に絵の具を持ち込み、ドローイングするようになる。ある時医師が呼ばれ、診断の結果、残念ながら余命が残り少ないと告げられたターナーは、「ちょっと下に降りてシェリーを1杯やって、よく考えてからまた戻ってきてくれ」と医師に告げる。出直しを命じられた医師は言う通りにし、数分後、やはり同じ意見であると伝えた。「それじゃあ」とターナーは言う。「もうすぐ無に帰るわけだね」(I am soon to be a nonentity.)。その数日後である12月19日朝、ターナーは76歳の生涯を閉じる。鈍色の空が広がる日だったが、その死の1時間前、ターナーを天へ迎えるかのように雲の切れ目から太陽が顔をのぞかせ、彼が眠る室内をまばゆい光で満たしたという。
ターナーが光に向かって旅立った後、テート・ギャラリー(現テート・ブリテン)では一悶着が起きていた。ターナーの遺贈作品に完成か未完成か分からない作品が沢山あるというのだ。すばやく筆で線が引かれただけの作品を前に、館員たちは頭を悩ませた。未完成作品に額を付けて飾るのは如何なものか…。いや、もしかしたらこれはこういう作品なのではないか、と。同館では現在でも「未完成?」とクエスチョン・マークをつけられている作品を目にすることがある。彼は来たるべき現代アートの、紛れもない先駆者だったのだ。

 



「光と色彩(ゲーテの理論)」(1843年)は、
ノアの洪水を主題とする、正方形シリーズ作品のうちの1点。
テート・ブリテン所蔵。

 

ターナーをもっとよく知る!  展覧会&映画情報

 ■風景画のリバイバルなのか、現在またターナーに注目が集まっている。昨年秋には日本で大回顧展が開かれたのに加え、グリニッジの海洋博物館では好評のうちに「ターナーと海」展が幕を下ろしたばかリ。9月からは膨大なターナー・コレクションを所蔵するテート・ブリテンで、ターナー晩年の15年に描かれた作品を集めた 特別展「The EY Exhibition: Late Turner - Painting Set Free」が開催される。特に、当時の批評家から「とうとう本当に気がおかしくなった」と評された、正方形のシリーズ作品=図下=9点が初めて全作セットで展示される。9月10日~2015年1月25日まで。

■中年期以降のターナーその人にスポットを当てた伝記映画『Mr. Turner』も公開される。『秘密と嘘』『ヴェラ・ドレイク』などで知られる、カンヌやヴェネチア国際映画祭常連のベテラン監督マイク・リーが、構想に10年を掛けたという大作だ。ターナーを演じるのは同監督作品常連の個性派俳優ティモシー・スポール=写真上。本年度のカンヌ国際映画祭に出品され、英国の各メディアが5つ星評をつけ、さらにスポールが男優賞に選ばれるなど期待大。12月19日封切り予定。