モンスター・マザーが残した影響

 

 ところで当時では珍しく、ターナーは生涯結婚しなかった。それは、病的なほど怒りっぽかった母親メアリーに原因があるとされている。
いったん怒り出すと制御不可能となり、父を大声で口汚く罵る母親に恐怖と嫌悪を感じ、ターナーは幼い頃、母親の「怒りの発作」が始まると両手で耳を押さえて駆け出し、近所の家に避難していた。それは週に3~4回にも及んだという。ターナーは母親については厳重に口を閉ざしているため詳細は分からないが(彼の妹が幼くして亡くなったことが、精神疾患を悪化させたという説もある)、最終的に彼女が精神病院で死去したことを考えると、かなり激烈な人物だったに違いない。このことはターナーの女性観に大きな影響を与えた。悩める父親の姿を見ていたため、結婚して、もし自分が父のような目にあったら…という思いが、女性に対し距離をとらせたのだった。
とはいっても、彼に女性の影がなかったわけではない。早世した友人(パンテオン劇場のピアノ弾き)の未亡人で10歳年上のサラ・ダンビーと関係を持ち、その4人の子供とターナーの父親も入れた7人で暮らすという、非常に「現代的」ともいえる構成の家庭を作り上げたりしている。結婚こそしなかったものの2人の娘を授かり、その関係はターナーが25歳の頃から10年以上続いた。ターナーの伝記を執筆したピーター・アクロイドは、「未亡人キラー」という名称をターナーに贈っており、これは彼の女性関係がサラだけに留まらなかったことを示唆している。そして、なぜことごとく相手が未亡人なのかといえば、その女性が「結婚しても狂気に陥らなかった」、つまりつきあっても「安心」だと分かっているからだ、とアクロイドは記している。
真偽のほどはさておき、ターナーは母親の血を引く自分が、いつか母の様に狂気の発作を起こすのではないか…とも考えていたらしい。ターナーの作品が抽象的になるにつれ、新聞の批評には「狂った男」という単語が踊るようになるが、ターナーはこれをひどく嫌い、マスコミに母親の病が暴かれるのを怖れたという。
母親が病院で息を引き取ると、ターナーはその呪縛から解き放たれたかのように、1804年、サラや子供たちと暮らしていたハーレー通り(Harley Street)の自宅近くに、ギャラリーをオープンする。このギャラリーはターナー自身の作品を展示した私営ショールームのようなもので、顧客が直にターナーのもとを訪れ、作品依頼や購入を行った。この時代の芸術家は往々にしてこのようなスタイルをとることが多かったといい、ターナーも晩年までエージェントを雇わず、すべて自分で交渉した。堅実な父親に鍛えられたせいなのか、ターナーは非常にビジネスに長けたな面をもち、金額を作品のサイズで換算(端数は切り捨て、と但し書き付きで)し、依頼を受けた場合は期日通りに作品を仕上げるなど、現代人が想像する「芸術家」のイメージを裏切り、職人に近い感覚を身に付けていたようだ。金銭の余裕ができるようになると、郊外に土地を購入したり少量の株を買ったりと、いざという時のための備えもきちんと整えていた。
また、妻に先立たれたターナーの父親は、コベント・ガーデンの店を畳んで、ギャラリーの留守番やキャンバス作り、顧客への書類作成などの雑用をしながら影でターナーを支えた。2人は客の前でも「ビリー・ボーイ」「オールド・ダッド」と呼び合っていたそうで、母親の愛情とは縁のなかったターナーだが、父との絆は強かったようだ。

 



ロイヤル・アカデミーの展覧会場にて、作品の仕上げをするターナー。
当時の画家たちは展覧会開催の前に、会場内で加筆や修正を行った。
ウィリアム・パロット作「Turner on Varnishing Day」(1846年)。

 

ターナーを崇拝!?  批評家 ジョン・ラスキン


ジョン・エヴァレット・ミレイ作「ジョン・ラスキン」(1853~54年)
 ヴィクトリア朝時代を代表する評論家ジョン・ラスキン(1819~1900)が初めてターナーに会ったのは1840年。ラスキンはまだ21歳、ターナーは65歳だった。詩人を目指していたラスキンだが、ターナーの作品との出会いがきっかけで美術評論家へと転身。抽象的な画風で狂人扱いされているターナーの擁護のために、たまらずペンをとったのがキャリアの始まりだった。ターナーの死後もその作品の価値を説き続けた、ターナーの熱烈な崇拝者である。ターナーはラスキンが自分の作品を深読みし過ぎだと考えたようだが、それでもラスキンの応援を嬉しく感じていたらしい。
ラスキンが日記に記したターナーの姿は、次のようなものだ。
「多くの人間が彼のことを無骨で下品で教養がないというのが信じられない。ちょっとエキセントリックで独特の行動もとるけれども、基本的に彼はイングランド的な紳士なのではないか。怒りっぽいが気立てがよくて、見かけ倒しのペテンを嫌う。ちょっと利己的だが理知に富んでいる。そして、めったに喜びの感情を表には出さないけれども、心に秘めた熱い想いがふとしたことから外に漏れることがある」。