九死に一生を得た強運の持ち主

 

 英国でくすぶる火種は他にもあった。アイルランド統一を目指す、IRA(アイルランド共和軍)との確執だ。IRAは北アイルランドのみならずロンドン市内の公共交通機関や金融街などを狙い、テロを繰り返していた。NUMとの闘いが続く中の1984年10月、サッチャーの身にもその危険が襲いかかる。
開幕を控えた次期国会に向け、さらなる改革の促進に向け、弾みをつけるべく保守党の党大会がイングランド南部ブライトンで開催されようとしていた。自分の描くビジョンをより正確に力強く伝えたいと考えるサッチャーは、滞在していた壮麗なグランド・ホテルで、翌日のスピーチ原稿の確認に余念がなかった。作業も終わり、スピーチ・ライターらも自室に戻っていったときには、深夜2時半を回っていた。ようやく落ち着き、そろそろ就寝の準備に取り掛かろうとしていたところ、秘書が書類を確認してほしいと訪ねてきた。サッチャーは居間部分で対応し、書類に目を通して、自分の意見を述べた。秘書が書類を片付けようとしていたときだ。突然、衝撃をともなった激しい爆発音、続いて石造りの建物が崩れ落ちる轟音が響き渡り、居間には割れた窓ガラスの破片が飛び込んできた。
すぐにデニスが寝室から顔を出したおかげで、彼が無事であることはわかったが、浴室はひどいありようだった。
サッチャーのほか、閣僚、保守党員らが滞在していた同ホテルには、IRAによる爆弾が仕掛けられていたのだ。幸いサッチャーは無事だったものの、この爆破で5人の命が奪われ30人以上が重症を負うこととなった。
秘書に書類の確認を頼まれなければ危うく浴室で命を落としていた可能性もあったサッチャー。たったひとつの書類によって難を逃れた強運の持ち主は、すぐに官邸に戻る案が出されるものの、午前9時半より予定通り会議を行うことを決めた。多くは着の身着のまま避難しており、最寄りのマークス&スペンサーに朝8時の開店を依頼し、服の調達をしなければならないほどの状況だったが、テロをものともしない強硬な姿勢を見せつけたのだった。



IRAによって爆破されたブライトンのグランド・ホテル。© D4444n

 

強力なサポーター

 

 サッチャーが自らの信念のままにリーダーシップを発揮していく影には、10歳年上の夫デニスの存在がある。妻を温かく見守り、たゆむことなく支えたデニス。しかし、ふたりの関係は常に良好だったわけではない。1960年代、サッチャーが国会議員として仕事に没頭していくにつれ、デニスは孤独を感じていた。その頃、家族が経営する化学関連の会社で役員を務めていたデニスは、すれ違いの生活に神経を弱らせ、離婚まで考えていた時期もあった。心を癒すため、2ヵ月間英国を離れ、南アフリカを訪れたこともある。それは妻の元に戻るかどうかさえわからないという旅だった。しかし、何かがデニスを思いとどまらせ、ふたりは夫婦として再び歩み始める。
デニスが役員職から引退し、サッチャーが首相に就任して以降は、ふたりの関係は良好となっていった。危機を乗り越えた夫婦の絆は深く、政治家の夫として妻の活動を一番近くで支える、ますます力強い存在となる。
一家が大変なときは、その長が率先して事にあたることを、父の姿から学んでいたサッチャーは、一国を背負う者として寝る間も惜しんで仕事に励んでいた。深夜2時、3時までスピーチ原稿を確認していることも多く、平日の睡眠時間は4時間。親しい友人らと休暇旅行に出かけても、楽しいひと時を終え、友人らが寝室に引き上げると、サッチャーの仕事の時間が始まるといった具合だ。働きすぎのサッチャーに「眠った方がいい」と助言できたのは、夫デニスのみであった。

 

冷戦終結にむけて

 

 国内の経済活性化に取り組む一方、世界を舞台に外交面でもサッチャーはその力を遺憾なく発揮していく。
米大統領のロナルド・レーガンとは、互いの目指した政策が同じ方向を向いていたこともあり、良好な盟友関係を築いていた。後年、サッチャーが「自分の人生の中で2番目に大切な男性だった」と語り、『恋人関係』とも揶揄されるほどでもあった。
第二次世界大戦後から続いていた冷戦真っ只中にあった1970年代に、「(旧ソ連が示してきた)共産主義は大嫌いだ」と言い放ち、『鉄の女』のニックネームを与えられたサッチャー。のちにロシアの大統領となるゴルバチョフと出会うと、「彼となら一緒に仕事をしていくことができる」と評価している。
1987年に3期目に突入していたサッチャーは、両者との信頼関係を築くと、冷戦状態にあった米レーガン大統領と、旧ソ連ゴルバチョフの橋渡しに努め、冷戦終結に一役買ったともいわれている。
自分の推し進める政策と外交。何の後ろ盾もなかった彼女がここまでのし上がってきたのも、勤勉と努力の成果にほかならず、それによって彼女の自信が裏付けられた。そして、英国を新たな世界へと向かわせ、冷戦終焉に尽力、時代は大きく変わりつつあった。
しかしそのとき人々が求めたのはもはやサッチャーではなくなろうとしていた。

 

退陣までの3日間

 

 1990年11月、1期目からサッチャーを支えてきた閣僚ジェフリー・ハウが、欧州統合に懐疑的なサッチャーと彼女のリーダーシップのスタイルに反旗を翻す演説を行い、辞任したのだ。サッチャーが導入を決めた、国民1人につき税金を課す人頭税が市民からの強い反発を受けていたこともあり、ハウの演説を機に、党内での確執が表面化。党首選へ向けた動きが活発になる。
11月19日から開催された全欧安全保障協力会議で、ヨーロッパにおける冷戦終結が宣言されており、サッチャーは、党首選が行われた11月20日、同会議に出席するためパリに滞在していた。
英国では午後6時30分頃、投票結果が発表されていた。372票中、マーガレット・サッチャー204票、対立候補マイケル・ヘーゼルタイン152票。得票数ではサッチャーが勝っていたものの、その差が当選確定までに4票届かず、結論は2回目投票へと持ち越される。フランスの英国大使館前でインタビューに応じたサッチャーは、2回目の投票に立つ姿勢を見せるが、350キロ離れた英国国会議事堂の会議室に集まった議員たちの間には大混乱が巻き起こっていた。サッチャー派のメンバーも、今後の作戦を練り直す必要に迫られていた。
翌21日、ロンドンに戻ったサッチャーは、午後、官邸に着くとすぐにデニスのいる上の階へ向かった。冷静に状況を見極めていた彼は、ここで勇退を選ぶよう助言するのだった。それでも、自分を支持してくれる人がいる限り戦い抜くことを主張するサッチャー。しかし同僚たちと会って話すうちに、自分の辞任を望む人が数多くいる実情を悟っていく。
サッチャーは父が市会議員を辞したときのことを思い出していた。一時は市長を務めていたが、1952年に対立する政党によって上級議員の座を追われた父は、集まった支持者の前で誇り高くこう語った。
「私は名誉をもってこの議員服を脱ぐのです。私は倒れましたが、私の信念は倒れることはありません」
思い出すだけでも切ない、父に襲いかかった出来事が、今自分の身にも起こっている。
翌22日、ついに退陣を発表した。
首相官邸を去る日、男性政治家も顔負けの力強いリーダーシップで英国を率いてきた『鉄の女』は、長い在任期間を振り返り、声が震えるのをおさえるように口を開いた。
「みなさん、11年半のすばらしい日々を経て、去るときを迎えました。ここにやってきたときよりも、現在の英国の状態が格段に良くなっていることを、とても、とてもうれしく思っています」
彼女の側では11年半前と同じようにデニスが静かに寄り添っていた。
首相の座を追われるようにして官邸を去ることになったサッチャーの視界が涙でくもっていた。

 



首相官邸を去る日、官邸前で会見を行ったマーガレット・サッチャー。
20世紀では英国首相として最長の在任期間を誇った。
© PA/photo by SEAN DEMPSEY